風景画杯 全作レビュー

皆様、ご応募ありがとうございます。
ほんの思い付きで始めたこちらの風景画杯、存外いろんな方に見ていただいたようで反響が多く、審査員一同驚いております。50作ですよ。正気ですか。審査員一同、こんなに多くなったなら手分けしましょうねって、即座に分業制に切り替えました。10人で手分けすれば一人10作ですよね。でも審査員って言ってもわたくし、一人しかいないんです。頑張りました。

もともと「事件」が起きない物語が好きでした。他人の日記を覗き見るような奇妙な面白さがそこにはあると思ってます。ただ、自分で作って暮らしているとそういうものを発表する場が本当にないんですね。SFと言えばSF、文学といえば文学、ホラーといえばホラー。ジャンルはクロスするけれども、単一ジャンルとしては無。そういう「よくわからんもの」が座らせてもらえる椅子はびっくりするほど少ない。

じゃあないものは作ればいい、という話をどこかで聞いたので開催した次第です。レギュレーションとしては、もともとのわたしのスタンスを越えて、「あえてかなりのガバ」に設定してました。作品投稿の間口は広く、レギュレーションに忠実かどうかは評価の段になって差がつくように考えてました。

今回の講評については「事件が起きない」というのはどういうことか、「面白さ」とは何かということを、僭越ながら皆様の作品を通して考えつつ、書いていければと思ってます。講評という形をとっていますが、基本的にはかくあるべしがどこにもない天狗です。大体において、これはこれで、で通しますし何か言いたいことがあったとしても「こちらのほうが僕好みです」の価値観です。もしちょっと違うなと思う講評になっていた場合は気にせず流していただけると幸いです。どうしても違うなって場合は個別にメッセージなどください。

ともあれ以下、どの作についても基本的には「それを読んだ人」に向けての文章になっておりますのでネタバレがいかついです。先にこちらのマガジンを読んでから進んでもらえるといいのかなと思います。

1.指を拾う

記念すべき一作目、いきなりとんでもクオリティのものが来てしまったので主催としては頭を抱えたのですが、読者としては快哉を叫ぶものでした。すごくおもしろかったです。
これはひとつの「模範解答」と言ってもいいと思います。
本作の面白さを分解していくと、「ギミック」としての「指」の存在を横糸にしながら、そんなものを霞ませる「わたし」のぶっちぎりの異常性の静けさというのが一番シンプルな切り分け方かな、と思います。
別の方もご指摘してらっしゃいましたが、無職になった「わたし」が「指を食べよう」という発想になる前に「そのへんの草」にチャレンジして、DOしているというくだりです。あんまりにもさらっと書かれているので見逃してしまう人もいるかもしれませんが、ここの発想のジャンプの仕方というのは異次元です。普通の人間はそういう発想にたどりつきません。
河原に指が落ちているという異常と張り合って、一歩も引かない静かな異常さがこういう部分にあり、そして、その異常者の「日常」を描くということに説得力と面白さが生まれているのだと思います。
相対的に、この掌編の世界では「何も起きていません」。レギュレーションクリアです。そして、主人公である「わたし」の生活はもう頭からお尻まで完全に面白い、未知の世界となっています。

ラストシーン、ぺたぺた歩いて家に帰るというなんでもない姿に人はおそろしさやおかしさを見るのだと思います。ぺたぺたという擬音で歩くのは、川から出て来た妖怪なんですよね。まさに風景画という作でした。後に続く方々は相当悩んだと思います。めちゃくちゃ完成度の高い逸品でした。

2.工場の日常

二作目としていただいた怪作。
こちらもいきなりハチャメチャな高得点をたたき出しています。
冒頭、いきなり「機械に巻き込まれて夫が死んだ」というレギュレーション危険球から来てますが、構造を拝見するにNGの出しようのない見事な構成でした。
「そういう世界」において機械に巻き込まれて粉微塵になるのは「なんでもないこと」であるというのが繰り返し語られているというだけでなく、それが「なんでもないこと」であることが物語の根幹と切り離せません。感性自体は何ら異常なところがない主人公の「わたし」、どこかの未来にあるかもしれない、誇張されているだけで、大なり小なりいろんな会社で起きているかもしれない「ありふれた異常さ」。
きわめてどこにでもある風景を描きながら、どうしようもない異常さを描きだしているというのはすばらしい手腕だと思います。

そして、ラストシーンの切ないうつくしさ。残酷さ。ビールを流しへ捨てる音が聞こえてくるような、よい風景画でした。強いて言うのであれば、もう少し題名に工夫をしてもよかったかもしれません。良い作というのは、読み進めるうちに題名のことなんか忘れてしまって、ふっと息をついて顔を上げたときに再び目に入る題名が「あっ」となるもののような気がします。

3.優雅ですばらしき殺戮

三作目、また趣向ががらりと変わってこれは文芸の作ですね。
ギミックとしては、ありふれた日常の風景をさまざまな技巧を凝らした表現で再構成し、よくもまあこんなに美味しくなさそうに表現できるものじゃ、と仕上げていくもの。
食事を共にしている人がこういう脳内でないことは誰にも証明できないし、実際に主人公「ぼく」が声を発したのは最後の会話のところだけですしね。
難点をあげるとしたら、せっかくの技巧に対してレギュレーションである「何も事件が起きない」をがっちり守ってしまったせいでこじんまりとした印象になってしまったことでしょうか。
自分でレギュレーションを設定しておいてなんですが、「面白さ」というのはある種の予測のできなさといったものが強く関係しているような気がします。
たとえば「食わないのに殺す」のと「殺した後は食う」の「ぼく」にとっての違いやどちらがより強い快感を得られるのかとか、そういう、読者がすぐには想像できないものを描くのも面白かったかもしれません。

風景画としてみると、部分的に解像度を高めることで新しい風景が発生するというのは大変面白い試みでした。顔の皮膚を2000倍に拡大するとグランドキャニオンが見えるやつのような。

4.やっぱごぼう天二つで

私小説枠ですね。
風景画と私小説は非常に親和性が高いと思います。サブテキストを豊富にとった、「知っていると会話の内容が余計に面白い」という構造はとても技巧的です。風景画の中にそうしたオマケを潜ませるという方法は、こうしたモラトリアム期間を過ごした過去のある人の、大事な記憶が呼び起こされるのだと思います。読み終えて、タイトルを見て、その後の二人のことを思うような構成も非常に巧みでした。
そして、「面白さ」というのは何かというところの問題に戻ってくるわけですが、ひとつとして「あるある、分かる」という共感性を呼び起こすもの、そしてもうひとつは「分からない、なんなのこれ」という違和感を呼び起こすものです。
本作については、作者の青春時代など、経験したものを再出力されたものかなと拝察しますが、そこに生まれる面白さというのは、作者存在自身の面白さのような気がします。ケチをつける部分は全くないのですが、書き手自体も「意外だ」と思う展開があるとなお良かったように思います。
読み心地は読者を巻き込むタイプのもので、物語内だけで完結するのではなく、多くの方が様々なことを思われたのも納得という感じでした。

5.エーっと来てセイッ

怪作。面白いのは確かなんですが、講評として最初、どう評価すべきかちょっと悩んでました。カテゴリとしては私小説に入るんでしょうか。
何度か読んでみて、なんとなく気付いたのですが、物事の面白さには、2本以上の柱があると安定するような気がします。
文芸として、主人公の「私」の乱高下するテンションの思考を駄々洩れで眺めるのは間違いなくおもしろいのですが、たぶんこれ、絵や映像などの「動き」が合わさったほうが多分面白いですね。

レギュレーションとして「何も起きない」のポイントはかなり高いですが、書く際にそちらに重点を置きすぎてしまったような感じがしました。終盤、ゲーム起動せんのかーい、という突っ込みポイントが発生していたので、その前の夜食も、何なら冒頭の「水」すら飲まない、という線で調整すると「何も起きないにもほどがあるやろ」の実績解除ができたような気もします。

6.コリードの犬

正統派オブ正統派!不穏な空気を纏いつつ進む男二人の会話ですね。
なぜだか一行目から不穏の香りが漂っているのは風景画として非常に得点が高いです。
非合法の仕事の中にも日常はあって、でも非日常や暴力や死がすぐそばにあるという舞台設定が見事でした。地に足の着いた外国の描写。近い将来に彼らに不意に訪れるであろう破滅や、あるいは夢をかなえるために本当に努力し始めたところで訪れるであろう破滅や、タコス屋の看板娘が投下するであろう破滅や、まあ、色んな破滅の可能性を幻視させるポテンシャルがみなぎっていたと思います。惜しむらくは、そういった「続き」を読みたいなという気持ちになってしまったこと(いいことなんですけどね)。

小説に関しては「塗り」をどのくらい重ねて塗るかということをよく考えます。破滅のにおいは、ディテールをネチネチ練っていった方が実際に弾けたときの「ウワア」が増す気がします。中盤「親父の夢」を見るあたりで、脱線して親父のディテールをネチネチ書いていくとか、そういうチューンを施すと、単体で完結する風景画としては、より完成度があがった気がします。

7.ゲームと業務

良作!良作良作!良作です!
筆者の方はすでにカードゲーム小説やらサウナ小説でものすごいものをたたき出しているので贔屓目と、逆に粗を探してやろうという逆贔屓目で見てしまったのですが、ほとんど粗が見つかりませんでした。
(おそらくは)架空のカードゲームの対話も、それが何なのかを理解できなくても、喫茶店の隣で話している人の会話を盗み聞いたような解像度で描かれています。ゲームについての二人の会話も、作者の代弁者としての説明役、聞き役ではなくてそれぞれの自然な会話に落としこめています。
作者の意見や見識を登場人物に代弁させるというのは、実はものすごく難しい行為で、ほんのわずかな違和感から読者はそれを見破って、なんだプロパガンダかよとか内輪受けかよとか、すぐにそっぽを向いてしまうものですがこの短編においてはそれが見事に消臭されているのも見事でした。
ラストにちゃんと「キメ」のコマを置いているのも、よく見るとタイトルが駄洒落なのも丁寧。実に丁寧な仕事だと思いました。描写についてネチネチ掘り下げていくのではなく、一定の解像度で進めるというのもまた、風景画の一つなのだなあと思います。

そしてゲームって何だろうと同様に「面白さ」ってなんだろうというのをつられて考えているのですが、読み手が引き込まれて自我が消滅する面白さというのもあり、逆に、読み手が物語との間に違いや壁を感じて感じる面白さというのもありますね。そのあたりを多義的に作れると「面白さ」の底上げができてくるのかななどと思いました。
関係ないですが、カフェバーで夜遅くまで友達と遊んで、周りの店では飲んでる人がいる中駅でバイバイする、という暮らし、もうここ二年くらい出来てない気がします。そのあたりのノスタルジーもすごく響きました。

8.本を焼く

これまた良作!良作!良作です!
このあたりの投稿受付の段に来て、風景画杯主宰であるわたくしは軽く危惧を覚え始めたのを記憶しています。軽い気持ちで開催してしまいましたが、これは僕なんかが講評していいのか、偉そうなことを言うだけ言ってオメー何してんだよとか言われたら死んじゃう。そんな恐怖を軽く感じながら、まいっか、単なる一読者のお好みレビューでいっか、とすぐに減圧しました(基本がガバ)。

ともあれ、予備知識としておそらくはUO(ウルティマ オンライン)というネットワークゲーム内の物語だろう、というものを持っていたため、それをオフにするのには少し苦労しましたが、おかげでかなり丁寧なつくりになっていることを実感しました。本棚に本が「湧く」島(あるいは世界)、であるという序盤の一行で、いっぺんに「そういう世界」なんだなというものが伝わって、そこからは没入が早かった気がします。
一見、明らかなレギュレーション違反である「花嫁を焼く」という事件行為が日常であるというおかしさ。これについてはタイトルが「本を焼く」でなければ違反として泣きながら減点対象としてしまったかもしれません。いや、今からでも遅くないのかな、減点にすべきか。ともあれ他の加点と相殺で賄える範囲です。この世界においては、花嫁を焼くというのは本筋から離れたところで、そして日常である。
この「異常さ」が主題と別のところで発生するというのは、前述「指を拾う」にもありましたが面白さのひとつの鍵かと思います。

惜しいのは、風景画としてみたとき、もう少し立ち止まるシーンがあってもいいのかもという点でした。物語の解像度やフォーカスが主人公や冒険者たちの異常行動にぐいぐい寄っているため、もう少し後ろに下がって、主人公の眼前で広がる風景、ぐりぐり塗られる部分があるともっと好みでした。

9.路

もうね、皆さん風景画と聞いて出してこられるものの解像度が高い!
これも本当によい作でした。難点を言うとしたら、今回のレギュレーションが「事件が起きない」なのでメタな視点からラストシーンが想像できてしまうところ。「目的地はここじゃない」のあたり、本来はこれはものすごく緊迫感の高まるいいシーンです。これは複数の作であった問題点でもあるのですが、このへんは「今回に限った難点」なのでそんなに気にしなくていいです。
包丁を買ったところから始まるロードムービー、ひたすら主人公の内面を風景画として塗ってゆくのは正統派の風景画です。ストロングスタイル。筆力と、それをもってディテールを塗ってゆく匙加減が構成していく緊張感。息を止めて読んでしまう塗りの厚さがそこにはありました。
だからこそ、メタな部分でのレギュレーションが惜しい、と感じましたが実はこれは講評時点でのこと。わたしは基本的にガバなので応募にレギュレーションを設定しておきながら初読時、どうなるんだろう、やるのか、やらんのか、とドキドキしながら読みました。ネタバレを予見させる要素は本文中に瑕疵はなかったように思います。不幸な事故。

この小説も「あらすじ」が書けないタイプの物語ですね。起きたことだけを書け、と言われたときに要約できない(要約すると重要部分がすべて逃げてしまう)というのは、風景画杯のレギュレーションを満たすかどうかの判断の一つの気がします。ですが、それは「面白さ」を満たすかどうかというものとリンクしません。あらすじを書こうとすれば書けるし、それによって読みたくなるけれどもあらすじだけでは何も「良さ」がわからないというのが至上の気がします。

10.思い出句集

こちら、ちょっと面白い構造でした。
冒頭に言及されている通り、いわゆる「センスがない俳句」(厳密にいうと僕は俳句に対してセンスの有無をあまり判断する立場にありませんので、ここでは「ありがちな俳句」と呼びます)、をもとに、個人の中に展開される豊かな風景について重ねてゆく形式です。
面白いのは、このありがちな俳句群がどれも「作者の顔」に直結しないところです。その句の作者の特異性や個性を、読者としてはそれほど意識させられないのだけれど、語り手はそこからしっかりと圧縮された記憶を読み取ることができる。
これは、内面世界のありようというのは本来こういうものなんだろうなあ、というのを想起させる作でした。

惜しいのは、本当にそれが「それぞれの句」をきっかけに語り手が思い出したものの列記に過ぎないという構成のところ。ここを貫く横糸のようなものがあると、ラストについてもぶつ切りのような印象ではなく、余韻を残したものになったのではないかと思います。

11.恐怖!死のデス・ゲーム

諸兄、この作へのレビューだけはちゃんと見なくちゃと思ってるんじゃないかと思いますが、問題作です。こちらの投稿が受理された報を受けて、界隈が騒然としたのは記憶に新しいですね。主宰としては、「1人格に対して1作」というレギュレーションを設けていたため、別人格の投稿はOK(こちらのレギュレーションに対する異論が一切出なかったのはちょっと納得がいかない)、内容としても「事件が起きている」と断言するのは冒頭の「おばけ界への転移」だけといえばだけかな、という点による判断でした。
もっとも、後に応募が多くなり、ひとつ中身をチェックしての可否を判断するのが物理的にできなくなりましたが、今作はそのあたりをチェックしてました。応募受付の門戸は広く、講評時に相応に反則を減点していくスタイルだったのですが、混乱を呼んでしまったようで、その点はごめんなさいと思っています。

踏まえて、本作についてはまず「面白い」があるためそちらでの加点がありますね。
小説の面白さとは何だろう、と考えるためのヒントがここにはあります。違います。忍者が出てくることではないです。そうではなくて、面白さの一つの要素は読者が、物語に参加する(あるいはとても近いところにゆく)ということかなと思います。
想像力の余地という点でいうと、この切り詰められた地の文、繰り返される天丼、すべて読者が参加することを計算して作られたものかなという気はします。

惜しいのは、冒頭の転移シーンです。これが本当に惜しい。これはさすがに「起きて」ます。これが本当に惜しかった。このシーンは、作劇上、削ってもよかったのではないかと思います。これがなくて冒頭、おばけ界におちたシーンから始まってさえいれば…。よもや…。もしかしたら…。
人格を統合して、次がんばりましょうネ!

12.vector改

こちらは律儀にも、初投稿時には字数が足りなかったものを自己申告していただき、さらに改定増補していただいたもの(そんなに気にしてなかった)。はからずも主宰がマジモンのガバであることが明らかになったものとなります。
内容としては、日常の風景を追っていく形式のもの。部分部分では、やはり字数の下限に苦労したのか、目にしたものをすべて書いていかれたような、すこし散らかった感じを受けます。
実際の風景画、というものもよく観察してみるとわかるのですが、描く以上、どこかにモチーフのメインとなるものがあります。真ん中に据えられた建物であったり、構図だったり、何かの美しさだったりします。ポートレートについても同じで、漫然と書いてしまうとどうしても散らかってしまうような気がします。

ただ書き足された後半、「通り魔」について、何度も繰り返されるトピックの不安さというのは、大変良かったです。姿の見えない同居人が「通り魔」本人であるかも、あるいは、「通り魔の被害者かも」という不安感。狙ったものでないのかもしれませんし、狙いすましたものかもしれませんが、この、「直接的に書かれない」ところから浮かぶ情景というのは、もしかしたら風景画であってなおかつ「心を動かすもの」の正体に近づくヒントかもしれませんね。

13.ガラクタ市

こちらは、起きたことを列記するのではなく、配置されたものを、順路を進んでゆく構成の物語。案内役としての「僕」が色々なものを紹介してくれる構造は、ツアーの中に出てくる見世物小屋と入れ子の構造ですね。
それぞれの不思議なお店の、扱われているものについては面白いのですがやはり少しだけ散らかった雰囲気。六つの店を貫く関係性や、それとのかかわりによって最後、それぞれの必然性を提示できたりすると、ぐっと引き締まるような気がしました。

特に、ツアーの中でも見世物小屋と人魚の店のおどろおどろしさが一番目立っていました。ここだけ、登場人物が続いているのでなおのこと、それまでのものとつなげて何か貫くものがあるとラスト、もっと良かったかもしれません。古着屋で出たベルベット女王の名前が回収されるとかそういう感じのものですね。
お店の種類も八百屋に戻り、主人公の行動も、どちらも不意に怪異の気配が消えてしまうというあっけなさが「構成されたもの」であることをよりアピールできるような気がします。

14.鉱床マン

快作!
これは、大変に文芸的な作品だと思います。先入観を持ってはいけないと思うのですが、執筆された方が日本語を母国語としていない方というのも大変驚生きました。構成点ではレギュレーション的には満点です。何も起きていない。大変面白い。その上に技巧的な加点まである。これ凄いことですよ。角栓のひねり出し方を数種類、それぞれに違うものであることを客観的に、しっかり身体感覚として描き、しかも面白い。なかなかできるものじゃないです。読んだ後わたくし、思わず顔洗いに行きました。

だからもうほとんど絶賛の言葉以外に、何もないのですが、講評として「もっとこうしたら」という点を無理やり絞り出すとしたら、この、人によっては嫌悪感を覚えるしかできないであろう芸術的な描写を、より際立たせるために前半に「心象風景的な作品」であるというようなフェイクシーンを入れたらどうかなあ、ということくらいです。主人公が抱える内面の悩みや、そういったものを描写して、「そういう話になるかな」と思わせてからの怒涛の洗面所になだれこんでゆく。
でもこれも多分蛇足。これはこのままで面白い。他に言えることないです。降参。

15.まよなかの無駄遣い

出ました。バベルデッキ部。25000字弱。これはまとめてエイッと読まなきゃダメだな、と一旦講評の手が止まりました。単純にすごい。ありがとうございます。
内容としては3話構成。主人公と殺人鬼の女の子、現在に戻って主人公のバイオレンス、過去に戻って主人公と殺人鬼の女の子。
ちなみに、レギュレーション的にはグレーです。2話目のところが、1話目の何も起きなさと対比して、明らかに「事件」が起きてしまっている点ですね。ただ、構成として一話目で明らかになっていなかった背景を描くためのものと考えると、二話目は「小道具」という扱いとも取れます。それを経ての三話目で視点を戻し、一話目でよくわからん、と読者が思っていたことを回収するという構成。

お話の筋としては、割とシンプルな構成で嫌いではないです。最終的にはなるほど、となりました。ロードムービー的な一話のあれこれも、風景画としてアリだと感じますし、フェリーの情緒もよかったです。ただ、長い小説にありがちなのですが、特に読者が登場人物の人となりを把握する前段階での会話部分、どちらが話しているのか分かりにくい部分は気になりました。あまり丁寧にやってしまうと雰囲気を壊してしまうかも、というのはありますが、もう少し明確にしておくと親切で、読む目が止まらないかもというのはあります。特に、何気ない会話の塊、どちらから話し始めたのか分からないシーンや、どちらがどちらなのか分かりにくい部分がありました。
中盤以降、割とドライブ感があって、そのあたりのことを気にせずともなんとなく読めるのは良かったと思いますが、やっぱり、女二人のシーンになると「どちらが喋っているのか」というのが分からず気が散ってしまうところがあったように思います。

踏まえて、雰囲気自体は統一されていたのですが、おそらくは最も描きたかった「風景」であろうフェリーの情緒が、種明かしシーケンスとごっちゃになってしまったのが残念でした。全体的に描写や会話を増やして、長くしていくことよりは、緩急、メリハリをつけたほうが印象に残る作品になるのかなと思います。

16.洞窟とドラゴン、パズルそしてドラゴン【火曜日は火竜の日】

ダンジョンズアンド龍、パズルアンド龍。
これはレギュレーションへのチキンレースですね。先生そういうの嫌いじゃないです。形としては逆噴射小説大賞の分野でのレギュレーション感がありましたが、素直に読み物として面白かったです。
ただ、これは採点講評ですからどうしても「これは事件か?」「事案か?」「これは事件…まあセーフ!」などの読み方をせねばならず、心苦しいものでした。
これを風景画、この世界の日常とするのであれば、『我々はダンジョンの添え物ではない』『ましてやパズルの添え物などでもない』のくだりですね。こちらに対して、主人公の「また同じこと言ってる」よりもう少し「うんざりしている」というアプローチを掘り下げていただくとよかったかもしれません。頻発する異世界災害に対し、イケイケで「資源が来た」と捉える蛮族の方が政府サイドにいる世界線なのは理解できますが、オート周回での狩りというわけでもないようなので、市民団体の抗議とかもあると思います。
パズドラやD&Dの名称が襲来の原因になっているかも、というのであれば、ゲームの版元が自主的に発禁にしたり、名称変更に踏み切ったりしててもいいような気がします。また、不用意に「龍」の名前を使った風俗店がメチャクチャな目に遭うとか、「その世界ならでは」の奇妙な出来事を描いた方がより「風景画」には近くなった気がします。

それはそれとして風景画としてセーフなのかい主宰さんよう、という問いには■■■!■■■■!です。かなりグレーです。小説としてはきちんと面白かったのでちょっと残念でした。

17.少女と犬とサキの世界

たいへん読後感のよい作。
風景を描くパートと、思い出を描くパートの解像度、もっというと色調を意識して書かれたような気がします。うつくしい風景画でした。
ただ中盤、「雪」のシーンが気になりました。
「あなた」が歩き始めたのは3日前、真夏の筈でしたが「雪」が降りました。この雪が降ってくるというのが怪異の前触れとしての「雪」なのか、単に時系列を間違えたのかという点に判断がつきませんでした。「あなた」は子供なのでそこに特に違和感を覚えなかった。あるいはそれは「雪」ではなかった、というのが正解かもしれませんが、そこに至るまでの部分の描写が少ないことが、きれいな風景画の中の、塗り残しのような残念さがありました。

今回のレギュレーションの中に、「事件が起きていないこと」「面白さがあること」というのがありますが、これは「事件が起きる前を描く」「事件が起きた後を描く」というのを必須条件には置いていません。この先、何が起きるのかな、と思わせることは必須ではなく、むしろ「続きが描かれなくてもいい」と思わせることが風景画の要点のような気がします。人は、風景画を見てその5分後の世界をあまり想像はしません。
本作の読後感がとてもいい、というのは、世界から人がいなくなってしまった理由について、ほんのさわり程度に描写されていますが、主題が「そこ」ではないというところです。なぜ起きたのか。降ったのはほんとうに「雪」だったのか。主人公である「あなた」はそこに興味を持たなくていい。スンと歩いていくのだ、ということだけが残りました。それはとても物語として完成されているものと思います。

18.散歩

打って変わって、今度は日常風景、レギュレーション中央の、まさに風景を描いた作ですね。
何も起きない、というのを強く守ろうとすると、マジで何も起きなくなってしまいます。そこに「面白さ」を足そうとするととても難しいのではないかと思いました。
道ですれ違う人の面白さや、見聞きしたものの面白さを描くのもよいですが、その場合は何か、やはりフォーカスをするということが必要になってくると思います。この中でいうと、もっとも特殊(それほどよく見るものでもない)のは、チワワのおっさんかと思います。このチワワのおっさんに絡まれそうになる話、話しかけて仲良くする話、チワワのおっさんに隕石が落ちてきて消し炭になる話、どれもまあまあ面白く料理できそうな気がします。
文章自体はとても読みやすく、そこで何が起きているのかはきちんと理解ができます。場面も想像できます。
今回はレギュレーションが意地悪だったかもしれませんが、テーマというのは曲解してナンボです(個人の感想です)。
ぜひ、自由に風景画というものを考えてみてもらえるとわたしは嬉しいです。

19.おやしきぐらし

ゾンビもの、というのが一番近いのかな。ともあれ、冒頭でそれを予感させた後、一度否定するという展開は大変クレバーでした。あんまりシンプルすぎると「ゾンビもののアレね」となってしまうのを上手く消臭しながら、それでも最初に感じた印象を投げ捨てるわけでもない。
軽く混乱しながら読んでいるうちに、徐々にわかってくる展開、起きていることの違和感、そういったものが読み終わった後、もう一度読んで「何が起きていたのか」「登場人物は本当は何人なのか」という答え合わせをしたくなるような読み味は、だまし絵のような面白さがあります。
ただ、惜しいのは今回のレギュレーションですね。
アポカリプス世界での風景画であり、その線のタッチも目に浮かぶようではあるのですが、これはおそらく「事件が起こったほうが面白い」タイプの作品でした。
起承転結、きれいにまとまっているものではあるのですが、どうしてもそこに目が向いてしまうため、今回のレギュレーション上だと少し外れてしまうかもしれません。この先どうなるのかな、という興味が、風景画感を上回ってしまっていました。
物語のギミックをフォーカスの主体に据えるのではなく、もっと二人(二人なのか?)の生活のディテールや、この世界で生きていくならそうだろうなあ、という工夫が書いてあって、そちらに意識が行くような読み味だと、もっと良かったと思います。

20.ケーキ刑

怪作。これは大変なものを読んでしまった感じがしました。文章も読みやすく、話としても大変面白い。描写も決まっていて、陰鬱なはずなのに照明がばっちり決まった明るい刑場の映像が浮かぶようです。
そして、何の罪でそんな刑に処されているのか分からない主人公、製菓係、そして一番人間らしい反応を見せる23番。
基本的には刑務官も仕事でやっているわけですから非人道的な刑罰というのは、「執行する側」にもそれなりの負担を強います。にもかかわらずかなり複数の職員がこの非人道的な「ケーキ刑」に関わっていること、その執行に関わっても発狂しないでいることから主人公の罪状はそれなりにヤバいというか、ケーキ刑に処されて当然だろと思うことをやったのではないかという想像も働きます。ケーキ刑が有期刑なのか無期刑なのか、その辺の想像も一切の説明、匂わせもなしです。落語的には「ケーキだけに、無限の刑期ってね」ですが、どうなんでしょうね。失禁するシーンも要るか?といわれたらなくてもいい気がしますが、ケーキを作る手を休めるとボコボコにされるのに失禁程度では怒られない、という異常さがすごいです。確かに要るシーン。ここ。要るシーンです。
そしてそんな、「よく考えたらぜんぶ無茶苦茶だろ」という展開の最後に主人公が製菓係を真っ当に思いやるという正気具合も、この静かな狂気の中ではすごく効いてると思いました。
最後の看守の、製菓係を一切思いやることのない一言で、製菓係も相当ヤバい罪を犯したのかなという気がします。鼻血垂らしながら甘味作らされてるのに一切の被害者面させてもらえないの、相当でしょ。
構造としては無理矢理読者を巻き込んでくるタイプのパワー型のスタンドでした。これはすごい。何も起きないスーサイドスクワッド。すごくおもしろい。

21.めしをくう

来ましたね。これはつよい。もう圧倒的につよい。
本作の持つ圧倒的なエモーション、読み物としての地力についてはもう疑う余地もなく、好きな点も数え切れずあるのですが、まずは冷静にレギュレーションについての話をします。
視点については、常時FPSの視点ですね。主観カメラ。画面の右下、左下にそれぞれ右手と左手があって、感想は脳内に直接流れ込んでくるやつ。聞こえるし感じるし音もするしメチャクチャうまそうなのに読者は食べられない。なにこのVR。拷問?
視点については残念ながらレギュレーションに抵触するところは何一つありませんでした。では物語の展開としては、何かとんでもない事態が起きてませんか?しかしその答えはうまい飯があって、それを食べる話。見事に何も起きていません。日常というしかない。
では描写については?ここについては、もうフォーカス具合が見事というしかないですね。店内の描写とか居合わせた客とか、申し訳程度に書かれてはいますが、それがさらっと程度で済まされていることが、料理やその背景にあるものに対してのフォーカス深度を、より強めています。緩急。ただものではない。
なにこれ、褒めるとこしかない。言及されているであろう、実在の店舗の店名のもじり方も完璧。やだもう。

22.H駅ホームの月見かき揚げそば

こちら、上述の「めしをくう」にたいへん読み味が似た素敵な作品になります。やはり、生物ならではの「食事」については各人のエモーションと密接に結びついたものになりますので、蕎麦と生卵のように、絡む思い出もまた濃密になってゆくものですね。

前半の「おいしくなさそう」な描写から、いきなりフルスロットルで「ごちそうオブごちそう」にシフトする部分の急加速は、一瞬置いていかれそうになりましたが、こなれて安定感のある「ごちそう」描写が上手なのですぐに引き込まれました。
ひとつ惜しいなと思ったのは、誤字の多さです。予測変換かな。せっかくの朗々たる描写の中でひとつふたつの誤字があるというのは、浅利の砂が残っているような、仕方ないのだけれど気になると気になってしまうものでした。
あとは冒頭、意図的に店構えについての描写、「おいしくなさそう」な描き方が、後半の「おいしそう」と同じレベルの解像度の高さだったところについてです。前半に関しては明らかな知識を蓄積した大人の目による「逆の期待」であり、こういう見方をできる人物は一般的にはやはり「大人」なのかなと思います。主人公が高校生なのだ、と読者が感じるためのトリガーは、ダッフルコート以外にも前半にひとつふたつ、挟んでおいても親切だったかもしれません。読み終えて、あ、高校時代の話だったのか、となってしまったのは再読性を見込むならアリだとおもうのですが、こういう感じの、身体感覚に引き込んでゆくタイプの風景画にとっては、雑味は少なければ少ないほどいいような気がしました。

23.ア・セレモニー

いわゆる何気ない日常の風景です。読んでいる中に不安感があまりないし、作者の方は書き慣れていている方だと思うので、良かった点より先に気になった点を書きます。
これは、今回の講評の軸になる要素かもしれませんが、解像度の上げ下げの話です。今作は書き方がとても丁寧で、「そういう目」で見ない限り目が滑るポイントなどでもないのですが、起きてからのあらゆる言動を誠実に記述していくというのは、どこかのタイミングで読み味の違うものを挟まないと少し冗長になってしまう気がします。あるいは、逆に「こうも日常をしつこくかくということは、逆に非日常が訪れるのではないか」という、不安のないことによる不安。これは、逆手に取ればよい武器にもなると思いますが、本当に「何も起きずに終わる」と、物足りなさになってしまう部分でもありました。
その点、中盤で不意に差し込まれる別れたばかりの恋人の話なんかは、急に主人公の「人間の部分」が見える感じがして良かったと思います。風景画の中にも物語があり、静止画の中に動きがあるように、描くものと描かないもの、より分けをしていった痕跡が筆遣い、筆致というものになってゆくのではないかと思います。
あと、終わってしまったシリーズ作品の新作映画、と聞くとどうしてもドラちゃんとかクレしんが浮かびましたが、プリキュアオールスターズもあるかもしれません。イメージした作品名によっては読み味が変わる気がするのもちょっと面白いなと思いました。

24.かすかに辛い

すごく好みのやつ。これは主宰の好みのやつを意識の隙間にすっとさしこまれた感じがしました。すごく好きな感じです。この、どうやっても一般的に言う「いい関係」になりようがない、いびつな関係。そこにあるものすべて、誰かに品評させたら「ぜったいよくないよ」って言われてしまう関係。それをそのまま書いておけるのは、そのまま書く人だけなんですよね。別の人に任せてしまったら、それはもう別のものになってしまう。
「安雄」のダメエピソードの解像度の高さや、「みちる」の感覚で生きている感じ、それらは主人公からも読者からも異質なものとなっています。ただ、そこにあるのは苛立ちや好意、敵意、どれでもない名前のない感情です。
風景画というものは、あるものをあるままに描くものですが、必ずそこに筆遣いが残ります。作者の目、語り手の目。ここで描かれているのは何重にも繰り返される倦怠、名前のない感情です。出口のない風景。それは、ある種の人にとっては定型的に映ってしまうかもしれません。ここには注意が必要だと考えます。
繰り返すものを色々な角度から描くことが目的から外れ、その轍から外れるときに物語は動きます。何も起きないなりに、そういった「破」の部分が描かれていたら満点だったと思います。その意味では、「何も事件が起きていないこと」というレギュレーションが物語を途中で切ってしまったかも、というのはちょっと申し訳ないような気もします。これは続きというか、この渇いた轍から外れるところも読んでみたいですねえ。

25.地機宇人

ギミック先行型に見せておいて、意外と地に足をつけた風景画になってました。冒頭の部分でレギュレーション違反へのチキンレース枠かなと思っていたのでちょっと驚きました。すごく丁寧な作劇。
ちなみにレギュレーション的には「事件」は起きてないです。起きてないんですが、冒頭のハチャメチャ滅亡詩が掴みとして必要かどうかというと、その後の段との温度差がちょっとすごいので、丸ごと削るか、もうちょっと無頼絶殺刀とかのテイストを後段にもちょいちょい入れていったほうがよかったような気がします。この辺はガバなレギュレーションが惑わせてしまった事故なのかもしれません。ごめんなさい。

ともあれ、作中作という扱いではありますが、丁寧なとてもいいパートだったので割愛部分、「割愛」で済まさず、がっつり書いてもらった方がよかったと思います。きちんと物語として完結して、そのうえで「冒頭の○○のとこまで載せるよ」(本編は6倍くらいある)だと、迫力が増してすばらしく良かったと思います。ギミックとしての、広報誌の編集部の風景、感情がないはずの機械のかわいいとこ、そして「実在していた彼女」の振ってくれる手。

技術的なところでいうと、この作中作の後のパートのネタバラシはもう少し情報を開示したほうがよかったかもしれません。作中作が出てくると、読者側からすると基本的にそこで描かれていたことは「全部/一部が嘘」という意識になりがちです。描かれていたこと自体は「本当」というのを理解するまで何度か読み返しが必要でした。わかると、なるほど!とすごく面白くなったので、ここはもっと親切にしても読み味が損なわれることはなさそう。

それはそれとして、旧人類を滅ぼしたマザーコンピューターはさっさと破壊しなきゃダメだと思います。一度誰かを滅ぼしたコンピュータはまた滅ぼそうとするって不死身の杉元も言ってる。

26.わたしは拳銃をもっている

不穏、不穏、不穏。しかし、どこが不穏なのかはまったく分からない、不思議な読み味でした。そして、これがちょっと特筆して面白いのは、これまでの講評にも何度か書いてますがフォーカスの部分なのかなと思います。
拳銃の包み方についての、ちょっと偏執狂的な描写とこだわり。これが「おまじない」という扱いとものすごく相性が良いんですね。ぱっと見、拳銃という異物を持ってきた時点で、細かいディテール、それも拳銃の包み方やチラシの柄なんていう描写は必要ないように見えるかもしれないんですが、ここが一番の肝なんです。
おまじないに縋る人はそりゃ手順を厳密に扱いますよね、という解像度の高さは、この読後感の不穏さの源泉なのかもしれません。
レギュレーションとしてもケチをつけるところはどこにもないです。イラつく日々には持ち歩くもんね。呪物とか武器とか。日常です。
ともあれ、面白さ、というものがどこに宿るかを考えると、このように「どこに注目して、どのようにして視点が肝の部分に寄るか」というメリハリの部分があると思います。ここで一番寄りの視点で描かれているものは、拳銃をどう包むかという至って日常的でシンプルなものなのですが、一般の人が気にも留めないその動作のこだわりに注目して書くというのは、言ってみれば誰も気付かなかった花の美しさをとらえる芸術家のそれなんです。

惜しむらくは、もう少しの動きでした。あと一息、「日常に根付いた何か」、「事件ではないけれども、読んでいて意外に思う何か」があると、より拳銃が日常に溶け込めたので満点だったと思います。全体としてトカレフに若干の異物感が残ってしまっていたのが心残りでした。そりゃもともと日本社会においてはどストライクの異物だから当たり前ではあるんですけどね。トカレフ。

27.みやび、いまめかし。

頭の中の描写を続けていく作品はこれまでにも幾つか取り上げてきましたが、とても硬質な感じの読み味でした。
大抵の場合、この硬質な感じを狙って書くタイプの方は割と難しく考える人であることが多く、身体感覚を疎ましく思っている人が多いイメージですが、序盤に出てきた「飴ちゃん溶けちゃった」の部分がものすごく印象に残りました。
硬軟の対比というよりかは、白梅の中に一点ある紅のような奇妙な鮮やかさでした。そこに目を向けられるのは、しかし、おそらくは作者の方の意図通りではないのだと思います。でもここが一番、おっ、と思いました。

硬質な文章というのは、時に読み手を拒絶します。ふんにゃりしたスタンスでなんとなく読もうとすると意味が取れないことがあります。特に「詩」のジャンルというのはものすごく相性に左右されます。好きな詩人の詩集でも、一冊読んで気にいるのが二、三もあれば大儲けといった具合です。小説として「読みたい」と思わせるためには、詩の引用のほかにも、もう少し仕掛けのようなものがあっても良かったかもしれません。
硬質な思考と、まるでそぐわない身体感覚の対比がもっと明確に描かれると読み味もまた変わったものになったのではないかなと思います。

28. ノンタバコミュニケーション

こちらは作者の方から取り下げの連絡があり、別のとサシカエしてほしいということなので講評割愛します。レギュレーション的には1人格につき1作なので、心をガシャンと砕いて、別人格でもう一作投稿してくれればよかったのにィ、などと思いますが、人格の分裂はあまり人にお勧めするものでもないので、取り下げを受理しております。
でもこれはこれでおもしろいと思うんですけどね。喫煙所の風景。個人的にはもうちょっと「理解できない」会話の内容だと盗み聞き感が増したように思いました。わからなくてもなんか雰囲気で面白い他人の会話ってありますよね。
そういうのも、読んでみたいですねえ。

29.【逆間区物怪会合 #コロナワクチン陰謀論の怪】

おばけ界だ!おばけ界は本当にあったんだ!!
というわけでおばけ界の会合を描くものとなりますね。話自体は面白いものです。分量も読みごたえあり、ギミックもあり、オチもちゃんとついています。世界設定もちゃんとしているし、各キャラクターの個性もちゃんと差別化できています。
ただ、ギミックがきちんと機能してしまっているせいで、残念ながら「風景画」ではなく、普通の「怪異ものの読み物」になってしまっていた気がします。冒頭に説明された世界観から逸脱することなく、基本的に会話による説明で物語が進んでしまうと、描かれている主題がそこにある「風景」ではなく、「物語のギミック」として読まれてしまうように思いました。
これもまた、レギュレーションを守ろうとする無意識がそちらに向けてしまったのかもしれませんが、「事件が何も起こらずに終劇する」ことが約束されてしまった物語は、きちんと機能するギミックやちゃんと作られた世界観と相性が悪いのかもしれません。これは別のフォーマットでのびのびと、会合の最中にレモンをかけたのかけないのといったところなどから花子さんとくねくねが大喧嘩になって荒川を二つに割る妖怪大戦争勃発、のような自由な作劇を期待すべき作品なのかなあ、ということを思いました。

レギュレーションはスレスレまで犯していいんだ、というのをもうちょっと明示しておくべきだったかなあ、と思っております。これに関しては運営側の落ち度でした。…とか一瞬思いましたけど、これ、おばけ界で攻めてきてるってことはレギュレーションチキンレース勢だな、ということに今気づきました。
最後のところで社会性を発揮してアクセルを踏みそこなったのは、社会通念上大変良いことですが、折角長いものを書いたのですから、こう、もっと弾けてみてください。
ただ、その場合レギュレーション違反にはなります。

30.ゴースト

やだ好き。これはもう文句なく名作ですね。平坦で、何も起きていない部屋で繰り返される風景。悪い言い方をしてしまうと、かなり「ありそう」な話なのですが、構成の巧みさでいろんな読み味を生んでいると思います。
冒頭、早い段階で「どちらが非実在なんだ」という疑問の答えをうまいことミスリードして、反復に持ち込む。
そしてそこからの鮮やかな反転、なんどもくるくると変わる「自分はどちらに思い入れているんだろう」というフリップフラップ。まあ鮮やかにサクサクと急所を何度も刺してくる物語。これは、あらすじを書いてしまうと途端に陳腐化してしまう話です。もしかしたら、あらすじだけを聞いたら、読んでないのに読んだ気になってしまう人が出てしまうかもしれません。
つまりそれは、要約できない物語ということです。風景画もまた、解説するのに「風車と川が描かれています。場面はたぶん昼です」としか言えず、それは風景画の本質をとらえてはいません。削ったり足したりする必要はなく、「全部」が必要な作品であってほしいというのは今回の募集の骨子かもしれません。レギュレーションをいい意味で満たしたすごくいい作品でした。

これはこれで完全だったのですが、ワンギミック、「ぼく」が反復する幽霊と一緒に暮らすという冒頭ミスリード部分の読み味も新鮮だったので、反転する場面で明言してしまうのではなく、うまいこと「どちらともとれる書き方」をするのも面白かったかもしれませんね。ともあれたいへん滋味のある短編でした。ヘッダー画像の「裏返ってる感じ」もすごくいい。

31.あんなに月が綺麗なのに今夜は月が出てない

これめちゃくちゃいいですね。めっちゃくちゃいい。どうしようってくらい、いい。
これ講評読んでから中身読んでみっか、という方は先にさっさと読むといいです。すごくいいです。
完全に身体の延長線上にある言葉で語られるのは、何気ないというにはけっこうパンチのある日常、風変わりな出来事、主人公の「小川」の名前までもが、ほう、と息の出る一つ残らず珍しい「初めて知る世界」です。単純に読み進めるのも楽しいし、そのリズムも心地よい。
読みながら、これはいわゆる作家の「実体験」をベースにしているんだろうか、というようなことを少し考えました。もしこれが全く実生活と関係ない、頭の中からひねり出された完全な虚構だとすると、僕はどうしたらいいのかもうわかりません。降参するしかない。
ともあれ実生活で見聞きしたことをベースにしていたとしても(実作者としては、そうであってほしいのと完全虚構であってほしいのが半々)、ひらひらと移りかわるようで根底にある「丁寧な」「丁寧に」「丁寧の」に対する目がすばらしいです。日常で起きたことを漏らさず列記するのとはまた違う、明らかな作者の取捨選択があるのを感じました。
それはもしかしたら偶然なのかもしれません。骨子のストーリーラインに、肉付けしていく過程で生まれた奇妙なうねりなのかもしれませんが、これもまた「要約できない物語」です。これを要約せよ、って宿題が出されたら小学生泣くと思う。つまり、これは完全な風景画杯向きの小説なんですね。
これ、さらにいいところは「現在」の小説なんですよ。ものすごく身体感覚の延長線というのにふさわしいと思います。マスクをつけるのが日常に入ってきた世界。「家にいろ」といわれる世界。
創作や小説は、読者や作者の身体の延長といわれますが、まさに今、体験していることをそのまま書き残しておくというのはとても重要なことのような気がします。そしてそこに、説教臭さや抹香臭さ、デザインされた思想臭がないのは本当にいいですね。

無理矢理難点を探すとしたら、最後、切り方が少し唐突すぎるところでしょうか。創作文芸としての体を取るのであれば、時間軸、物語軸、動作の一連など、もう少しわかりやすい「一区切り」があってもよいような気がしました。

32.現在時刻

作者の自叙伝的なもの、になるのかなと思いながら読みました。というのも、小説として立てるにしてはディテールのようなものの濃淡が、少し偏っているような気がしたからです。
事前に、作者の方が初めて書かれる小説という情報を得てしまっていたので、ややその情報に引っ張られてしまっていますが、文章自体は書き慣れている方だという前提で、今後のための講評をします。読みやすさという点においては優れていると思います。独善が過ぎる描写、感傷がすぎる冗長さはあまり見られませんでした。長い文章として、読むのが苦痛になる部分も特にないです。
ただ、主人公の人となりが今一つ分かりませんでした。ザンギエフに怯える、というモチーフが繰り返し登場しますが、世界恐慌や経済的な破滅とガチムチのコサック戦士が今一つ結びつきません。ここはおそらく、物語の肝になる部分だったのかなと思いますが、よく分からない動機で勉強をするひと、という目で主人公を追っていくのはちょっとたいへんです。
読み手は、ザンギエフに怯える主人公に対して完全に共感せずとも、一定の理解はしなければならないと思います。せっかくの紙数を書くのであれば、そこにもう少し紙数を割いて、親切にしてもよいのでは、と思いました。あとは、これまでの講評でも幾つか書きましたが、フォーカス、解像度、メリハリの部分です。ここを意識するとぐっと変わる気がします。おそらくは年代記のようなものを意識されたのだと思いますが、「詳しく書く部分」と「省く部分」に分けてみるともっと読者が物語に近づきやすくなります。
割合ふわっと読むことが多いわたくしの受けた感じでいうと、「さぷりまん」の描写のところあたりをもう少し掘り下げるのが、メリハリをつけていく近道の気がしました。登場後、さらっといけ好かない感じであることが書かれた次の段にいきなり「糞袋」というかなりグレードの高い代名詞になってしまうあたり、おそらく、小説の原型になったモデルや、頭の中にあって書かれていないエピソードなどからジャンプしてしまったのだと思いますが、一番キャラクターが立っている人物です。このあたりの「作者と読者の情報差」というものを意識して、もうすこし詳しく書いてみると、最終の自殺してしまうオチのところもまで含め、ふんわり着地できるのではないでしょうか。
ともあれ、初めて書くものでこれだけ長く書けるというのは間違いなく偉いので、「長く書く」から「削る」というのを次は意識して頑張ってみて下さい!

33.トーンダウン・メテオノール

長めの作品が続きます。こちらは、またいっぷう変った読み味の作品。結論から言うと、たいへん技巧的でパワフルな作かと思います。メリハリ、フォーカス、未知の何か。そういったものの正体とはなんだろう、というようなことを考えながら読んでいたのですが、途中からふと分かったような気になり、分かったぞ、と思いながら作中の描写に没頭したらいつのまにかまた分からなくなるような、迷路みたいな楽しさのある一品でした。
冒頭、電車の識別番号とかから、うおっ、これ、徹頭徹尾フィクションで行くのか!と驚いたあとの、シレっと県名からわかりやすくフィクションであることを提示するのは鮮やかでした。しかも地名から何からおそらく、全部が創作です。架空の土地を走る自転車。ここが飛竜とか妖怪の出ない世界かどうかも分からないまま、読者は沙口に随走します。
あらゆる動きを逐一書いているように見えて、そう感じさせないのはテクニックもあるかもしれませんが、常にカメラが主人公から一定距離以上離れない安定感かなと思います。
そして、一気に転調する主人公のダメ人間っぷり御開帳パート!あんまりにも逃げ場のないダメさが畳みかけられるので思わず姿勢を正してしまいました。「月の支出は手取り収入を超えた」じゃないんですよ。完全にあらゆるものが自己責任なんですよ。解像度が高いというか、容赦がない。好き。

そして、そんな沙口のダメエピソードのとどめたる「妹キャラ」です。そんなことまで言わんでもええんちゃう、というトドメ。この妹キャラに名前が与えられなかったのには、多分、どんな名前をつけてもググると何かしらカスるせいで架空世界が揺らぐからではないかと思っていますが、とにかく妹キャラです。このあたりのくだりでもう沙口のライフはゼロ。読者のほとんどが、ええけどもうちょっとちゃんとせえよ、ってなると思うんですが、不思議とイライラしないんですよね。これがすごく不思議でした。
語りが、彼の人間レベルの高低をまったく品評しないというのもありますが、別に特別暖かいわけでもないんですよね。できないものをできないまま、淡々とできない、できなかった、と書く感じ。この距離感は、風景画と呼ぶのにふさわしい感じもします。没入するのではなく、少し離れたところから記録し、書き込み、塗っていく。
最終段になって、タイトルにもなっている「メテオノール社製の耳栓」が現れます。ここで終わるというのも、ブツ切れ感がなく、解像度を下げることで空が広がるような、とてもよい読後感となっています。もうこのあたりまで来ると、作中の固有名詞を検索して、そのあまりにも完成された架空度にため息をつくくらいになりました。

幾つか自伝なのかな、実体験ベースなのかな、と思う作が続きましたが、これについてはどうも本当に徹頭徹尾ぜんぶが架空、実体験を基にしたものではなさそうな気がしてます。自転車に乗ってる身体感覚の部分とかは実体験ベースかなと思いますが、さすがにこれだけダメな29才男性を完璧にさらりと距離感を保ったまま描き切っておいて、実は実体験ベースなんです、とか言われたら、人間存在としての強度が強すぎる。そのくらい、一貫して突き放した(というにはなぜか冷たくない)視点が優れた作品でした。これも要約しろと言われたら小学生は泣きます。多分。

34.in other words

拙作ですね。にぎやかしに、と主宰ですがエキシビジョンで書いてみました。「大賞!俺!」とかやらないので安心してください。
以下は講評ではなくレシピになります。これについては、「手癖で書いてる」「手癖だ」「いつものやつだ」とひそひそ囁かれた通り、骨子だけ決めて、粗く線画を書いた後、何度か色を塗って整える、という書き方をしましたので、何かの参考になれば幸いです。
骨子は、叙述トリックのようなもので、作中の表現の読み味を変えてみたい、というチャレンジでした。というわけで冒頭から一切、視覚に頼った知覚表現を排除して書いてます。最後のあたりでそれを明かそう、というのが骨子です。絶対に映像化できない作にしよう、と思って書きました。
骨子を仕上げた後、合間合間に過去の思い出を挟み込み、バランスを整えたあとは、どのあたりで違和感を挟んでいくか、という調整をしました。削る推敲はせず、ディテールが足りない部分を適宜塗り足すという形式で書いてます。風景画。
作者的には、土手への階段を上るあたりで強い違和感を覚えてほしいという感じで仕込んだつもりでしたが、鋭い人はポーチの階段を下りるあたりで「ん?」となったというので、面白いものだなあと思ってます。
エモーショナルな部分に関しては、ちょうど誕生日近辺でお酒を飲んで、酩酊しながら最後の推敲をして、改題とそれに伴うセリフの挟み込みをしたのが我ながらよかったと思ってます。ベタではありますが感覚がいい仕事した。タイトルは御存じ「Fly me to the moon」の歌詞より。
ちなみに改題する前は「now and then」でした。改題したほうがぜんぜんいいです。芸術は即興に限りますね。
ちなみにわたしは目がメチャクチャいいです。両目とも15~2.0あります。結婚はしていますが実体験ではないです。

35.辺獄いいとこ戦争日和

コ、コ、コ、コラーッ!!レギュレーションチキンレース部!
話自体はちゃんと面白いんですが、諸兄、もうちょっとレギュレーションに合わせようとしたフリくらいはするべきだと思います。
風景画にするとしたらこうすべきじゃないかしらん、という講評はしますが、これはなかなか難しいです。改稿の余地があまりなく、ある程度「ちゃんと」完成したものについては口をはさみにくいんですよね。
言えるとしたら、やはり描くもののフォーカス、その軸を複数作ることでしょうか。戦闘を描くのはいいです。ただ、それだけで完結してしまうのではなく、不死の肉体を持った者たちで、何度も繰り返される戦闘によってのみ描かれるものとは何なのか、というのを考えてみるといいと思います。
カメラを固定して、「人」を追うのではなく複数の戦闘を経験したテーブルを描くのもいいかもしれません。銃姫のモーフィングを偏執狂的に、ネチネチ書いたりするのもいいかもしれません。
せっかく、きちんと作りこんだものを用意したのだから、もう一段階、素直な展開を書いていくのではなく、そこを書くの?と読者を裏切るステップがあってもいいように思います。

それはそれとして、ちゃんと物語としての起承転結がはっきりありすぎるのでこれはレギュレーション違反です。レギュレーションに寄せようという姿勢を見せるとオチが見えちゃうのでダメといい、レギュレーションを完無視するとそれはそれでちゃんとレギュレーション違反になるという。ひどい主宰ではありますが、ただ、どの辺まで通るかな?というこのチキンレースは、すごく難しいかじ取りになるいばらの道です。
この道に突っ込んだ最初の人だれだ。

36.私小説 朝

私小説、という分野にはそんなに明るくないのですが、ちょっとなんといったものか悩んでしまいました。
文体は読みやすく、エピソードも分かりやすいです。書き慣れた方なのだろうというのはすぐに察しがつきました。この小説が何にフォーカスが当てて書かれているのだろう、という部分を考えると、おそらくは「現在が楽しい」「充実している」「友人とのやり取りでよい思い出が蘇った」という部分なのかな、となります。
書くこと自体が楽しい、というのは、歓迎すべきことです。楽しく、読みやすいものを書けるという以上のことを、わたしたちは求めるべきではありません。だから、本来はこうした方がいいんじゃないかな、という指摘をすること自体が少し野暮なのかなあと思って、それでもちょっとだけ書きます。(「こういう風に書くべきだ」という話ではないです)

日記と私小説を隔てるものは、視点の位置なのだと思います。日記には「出来事」しか登場しません。「私」がその日、何をしたのか。どんなことがあったのか。
そこへ「どんなことを思ったのか」を掘り下げてゆくと、日記と私小説の境界は徹底的に曖昧になってゆきます。

踏まえて読み返してみると、語り手が何を感じたのか、どんなことを思っているのか、それがあまりにも少ないような気がしました。せっかくやり取りする外国の相手のアウトラインの紹介をしたのに、内面やエピソードを掘り下げずに次の友人に話題が移ってしまうのを繰り返すのは、その人に元々興味がある人からすれば面白いのだと思いますが、知らない人しかし映っていないフォトアルバムの解説を聞くようで、少し残念な気がしました。
話したエピソードや、それに対して自分が何を思ったのか、どう感じたのかが書かれるときっと、独自の読み味というものが出てくるのではないかなあと思います。

37.ベランダバーベキュー

これはタイトルがいいですね。ベランダでバーベキューする話かと思ったらベランダでバーベキューやらない。この外し方は作中の全体的に少し脱力した感じに実に合っています。現実にあるものを割と親切なヒント(というか割とそのものズバリ)を散りばめた、「陰の者」たちのコミュニケーション。短いながらもそれぞれにちゃんとキャラクターがあって、安定感のあるホームドラマのような、実に安心して読める味です。異常さを前面に出した味の濃いものが続いていたのでほっとする感じでした。不思議と、家族間の会話、気心の知れた間なんだろうなあと思わせるのは筆力だと思います。どこが源泉なのかわからないけど、友達でもなく同僚でもなくたぶん血縁、という会話。距離感。実体験でないとしたら、ものすごく観察した結果のような気がします。

なんだか最近、コロナ前の生活とコロナ後の生活、この小説はどっちを描いたものなんだろうとか考えてしまうことが多くなりました。特にこうした愛しい日常を描いた物語なんかは特に。よい読後感でした。

38.待ち人来たらず

ものすごく丁寧に書かれた怪談でした。ストーリーラインがきれいなエスカレーターになっているのと、語り口も読みやすいのですごくいいです。上部に「コロナウイルス」の注意書きが出てしまうのはちょっと難点でしたが、それはnoteメディアだから仕方ないもの。
技巧的なところでいうと、「状況証拠」の語が出て来た瞬間が肝でしたね。ぐっと風景がクリアになって、あとの道がすうっと開ける。
それまでの理性的な、たいへん明瞭な語り口から、「根負けして家にあげちゃう」とかそのあたりの静かな狂気がにじみだすのは大変面白かったです。死体があるから風呂に入れない、というのは逆に常識が残っているのがこわい、という面白いところでした。死体を横にどかして風呂を使ってたりした方が逆に怖くないですね。

難点を言うとしたら、妻女と浮気相手を「殺してしまった」という時点で「犯した法」の天井が見えてしまったところでしょうか。殺人と死体損壊だけだし、実際そうなのでいいんですが、せっかく「即死ではなかった」のくだりがあるので、オバケになってもらうために色々「創意工夫」した跡が見えたりしたらもっとウゲエ、となったような気がします。(罪状も増える)

39.ないものねだり

これは大きく抗議します。これ最後、「つづく」ですよね。続くんですよね。レギュレーション違反に「続く」がダメとは全く書いてないので別に違反指摘ではありません。
続きが読みたくて仕方ないので続き書いてくださいというか、途中までは、おっ、またレギュレーション違反チキンレース部の方かっ、という身構えで読んでましたが、魔法、マギックというギミックやら外連味のある世界設定がどちらかというと「おまけ」で、おしゃべりなお姉さんと傷ついた少女の軽妙なやりとりに引き込まれてしまいました。たいてい、レギュレーションチキンレース部の作は、物語のひと段落、一旦熱が逃げるあたりで「これ、何も起きないレギュレーションなんだよな」と我に返る瞬間があるのですが、これに関してはゼロ。
浮かんだのは、これ、どっかで作者の方が既に連載している自作から流用したんじゃないか、という疑問でした。(ちなみに検索したら「ヘレンディッツ」でグーグル検索まさかのこの作品ページ1件、すごくて逆に声が出ました)そのくらい小説自体の完成度は高いと思います。

作品自体の質はもう何も言うことがないほど高いので、「風景画」「応募作」としての観点から書きますが、もう少し欲しかったのはやはり「複数の軸」「視点のフォーカス」でした。じゅうぶん魅力的な舞台装置が揃っている物語です。連載第一回としては、それらのお披露目として、ほとんど完璧な描き方となっています。せいぜいが、名前を覚えるまでに少しかかる、というくらいで特に問題があるとは思えませんが、「この短編だけ」を評価しようとすると、テレサの過去を掘り下げたところがもっともキャラクターを描いた部分で、しかし、背景をほとんど何も描かれていないのに魅力的なミオの主張のほうが強くなっています。これはバランスが悪いというか、「連載第一回のお披露目」にバキバキにチューンされた構造になってしまっている気がします。風景画と呼ぶにしても、「風景」ではなく「場面」なんですよね。キャラのアップのコマが多い。
また「この短編だけ」として考えるとやはり物語の核になる「二人はなぜテレサを雇ったのか」という問題に答えがなく、わかりやすいヒントも出ていないというのはちょっと形がよくなかった気がします。モヤモヤしちゃう。
繰り返しますが、内容はすごくよかったので、これ、この続き書いてください。約束ですよ。

40.いまだあせぬ、神威の痕

また!またレギュレーション違反チキンレース部の方!ま!た!と思って読み始めたんですが、意外にも(というのも失礼ですが)想定していたレギュレーションの許容範囲、センターど真ん中の雰囲気のものでした。
諸兄、これです。こういう感じ。その世界の「日常」であれば、事件が起きていたとしても事件カウントしませんよというのは、こういう感じです。
それはただひたすら「日常」であればいいという訳ではなくて、作品を通して温度が一定であることです。
風景画、静物画、とにかく「画」というものにはトーンがあります。細かいところを言うと、叔父さんは何者なのかとか、どうやってツアーしてるのかとか、世界ランキングってなんだとかレポートのテーマはなんなのかとか、いろんなものはあるんですが、語り手である「私」の、日常と地続きの、統一されたトーン(しかも強大な戦闘の痕跡とはそぐわないくらいポップな)の文章が続くと、別の風景が見えてくるんですね。
これは、レギュレーションに沿って「何も起きないんだろうな」という予想がマイナスに働いてしまう場合と、今作のように「何も起きないんだろうな」という予想があっても読み味に何の影響もない(むしろそれを考えるタイミングがない)場合に分かれます。
それが何によるものなのかを考えていたのですが、もしかしたら「この先に何が起きるんだろう」という、「未来」について読者の興味を引っ張るスタイルと、描かれている「現在」について同じ歩調で読ませるスタイルの違いなのかもしれません。
大変面白い発見でした。

41.某県某所の中華料理屋:★4.5

風景画杯グルメ部!井の頭五郎!!
小説というか、完全に食べログのレビューに長文を載せる怪人の仕事ですが、そもそも食べログの長文レビューのことを小説と呼ぶので、これはこれで完全な仕事でした。webでの文芸賞を主催したのが初めてで、逆噴射小説大賞の構造を「こういうもんだろ」と丸パクリした形式だったため、ぽつぽつと提出された作品を読んでから書かれるものが存在するというのは、面白い体験です。募集期間内に書かれたほかのものの影響を(おそらくは)受けているであろうものを読む際の、ある種の面白さというものがあります。
先発が不利とも、後発が不利とも言い切れないものでありますが、作品自体の評価に関しては、なるべく前後の文脈を勘案しないでやろうと思います。

踏まえて、本作、ところどころ面白くてちょっと笑ってしまった部分が多かったです。写真が出て来たときは唸りました。今回唯一じゃないかな。じわじわとスクロールすると見えてくる「ラーメンの写真」。「うまさ」の表現を突き詰めていくもの、「思い出」を突き詰めていくもの、「概念」をなんかすごくするもの、色々なグルメ文がありますがこれに関しては、料理を切り口に「作者のある種異様なこだわり」を描くものになりますね。一緒にご飯食べに行くとものすごいうるさいか、話しかけたら怒られるくらい静かかどちらかかと思います。
読んでいて最も面白かったのは、「ラーメンと餃子を食べるのにこんないうことある!?」という過剰さでした。ただ、あまりにも細かく書かれているので、風景画というよりは細密画という感じなのかなと思いました。
風景画にしていくとしたら、「ラーメンを食べる自分」というものを俯瞰した視点がどこかで挟まれるシーンがあるとよかったのかなという気もしますが、これは細密画だから良いというタイプの作品でした。だからこれはこのままでいいけど、MAPアプリとかでお店探して、お店の食べログ評価にも転記してあげてください。

42.帰り道、ひとり

私小説枠。
内容については読みやすさ、導線ともにすっきりした構造でした。やはりある程度書き慣れている方だと思うのですが、冒頭から一貫して「これは何も起きない」と思わせるに十分な、トーンの統一は見事でした。最後のオチの一文もなんとなく唐突に感じるくらいに「何も起きない」空気。
物語(この場合、風景画杯のレギュレーションも含みます)には、トーンというものと筆致、最後に作者の色を消臭するというのが基本かなあ、と思っております。
一方、こちらの作品のように「作者」という色を強く出すタイプのものもありますが、あくまでもそれは作者のファン層への訴求となるため、こうした公募においてはやや不利に働くような気もします。
今回のものでいうと、登場人物の状況、関係性などの説明を省くことはその内省的なトーンに対してはプラスに働いていた気がしますが、もうすこし読者に対して親切にしてもよかったかもしれません。「演技体質」の話なども、サブテキストとしてピンとくる人はいると思いますが、もう少し解説しておくと物語単体での完成度が上がり、しっかりした読み心地になったのではないかと思います。おそらくは、本音を出すのに抵抗がある、ついついおどけてしまうという体質の話だと思うのですが、これをしっかり書いておくことによって、その後の描写、語りが「本音」なのかそれも含めて「演技体質のなせるもの」なのかという読み方ができるようになります。

書く人については一度、他媒体で書いたことを、もう一度書き直すというのは面倒だということのほかに、また同じ話してる、と思われてしまいそうな気がして避けがちではあるのですが、読者は常に「自分のことを初めて見る人」として考えても構わないんじゃないかなと思います。

43.絵画的プールゲーム

風景画杯というレギュレーションに合わせて、風景画(正確には人物画)をモチーフに書かれた作品でした。単に絵の読み解き方を描くのではなく、二名の、考え方的には逆の人物を配置し、絵の読み解きについても途中でスイッチさせて、対比をより際立たせようというギミックはとてもロジカルだと感じました。単にそのギミックにとどまるのではなく、最後、もうひと仕掛けするのも大分書き慣れている方かと思います。
中身は古き良き、あるいは古き悪しきアメリカ。資本主義が人間を分断し始めた時代の描写は、服飾小物などにこだわった描写からビシビシ伝わってきますね。多分、本来はルビ芸で表現できた方がリズムが崩れずによかったのかもしれませんが、note媒体はフリガナが使えないので、ちょっと残念ではありました。そんな事情からか、ここで読者をふるいにかけるような面がある気がしますが、すっと物語に入れない方にも「そういうものかな」で入っていける仕組みがあるともっと良かったかもしれません。
肝心の絵の読み解きについては、二人の紳士の対比という構造なので、もっと激しく二者の読み味を変えられるとよかったかなと思います。途中で書き手をスイッチさせるという構造自体はしっかりしたものなので、あとはそこに肉をつけてゆく塗りこみの段階です。
二者の登場人物の書き方の違い、読み味の違いは感じ取れたのですが、ただ、個人的には二者の読み解きを見せられて出てくる感想は、どちらのスタンスが「よりよい」ではないような気がします。読み解きとしての「正確さ」あるいは「好ましさ」を対比させるのであれば、途中で書き手をスイッチさせるよりも、単純に2種の絵×2人の読み解きで良かったような気がします。個人的にはマシューの書いたものの方が好きです。

これは作品自体の読み味が全然変わってしまうのでアレですが、入れ子構造になっている「現実」の二人の対比が、作中の「紳士二人の絵」と似てしまっているところが若干混乱を呼んだ気がします。自分で書くとしたら、ここは、未来人たちとか宇宙の人とかの対話構造にしてみるかもしれません。

44.竜華透夢

ウグァアアーツ!これ!は!
これはすごく良かったです。特にレギュレーションを踏み越えるかどうかという部分、まったく安心感がない感じの進行でした。のっけから「夢なので何も起きてません」という無敵のエクスキューズを用意してるのかなと思わせておいて、そこからの「何かが起きそう」という強い物語の牽引力。そして、それ単体で「風景画」を名乗ってどうぞ!という、塔の並ぶ風景描写。
プロット自体は、新奇の新奇という感じではありませんが、しっかりとした地力が感じられました。
奇しくも入れ子構造になっている物語が続きましたが、鏡面の「ガワ」については今作のようにわかりやすく明確な違いがあったほうが、共通している部分が浮き上がって見えるように思います。わかりやすい構造があらゆる場合で優れているかというとそういうわけでもないのですが、本作もしかり、往々にして「面白い」ものは「わかりやすい」ことが多いですね。

肝心の「事件の起きなさ」というレギュレーション裁定ですが、竜の飛び交う世界の「十二年に一度」の大事件が描写されず、代わりに相対的に珍しさのない「一件の家庭の火事」がちいさく描かれるという形は、美しいのひとことでした。そして、描かれなかった竜婚のあとの、日常に戻ってしまった風景。完成されていると呼んでよいと思います。技術的なものもありますが、これは風景画、事件は起きていないと読んでよいと思います。
ほんの少しだけ希望を言うと、「望まない竜」「求めない竜」の像に対して、「一緒に竜華を見よう」と望んだミア。逃げ出してしまったアヴィオール。こちらの世界の「僕」。あんまり全部を描いてしまうと視点が散らかるかもとは思うのですが、このピースを埋める部分をもう少し読みたかったなあと思います。

45.大巨獣エビオナンテのいる街

大巨獣、とタイトルにあるので、すわっレギュレーションチキンレース部かと身構えましたが正統派。巨獣をメインに据えるのではなく、その世界下での日常を描くタイプ。ギミックの説明を兼ねたルーチンワークは、レギュレーションの「正解」といってもいいと思います。
もともとヒーローのいる世界の、脇のとこが好きなので好きなタイプの作劇でした。
ただ、やはりギミックが派手な場合、物語のフォーカスが比較的遠目からのものになりがちな気がします。世界ギミックを説明するためのディテールと、ディテール自体に注目したディテール、それぞれの描き出すフォーカスが変わってくる気がします。これはすごく感覚的なものなのですが、視点が「世界説明」から「キャラクター」にぐっと寄るタイミングというものがある気がするんですよね。本作でいうと、「世界はこうなってるけど、『僕』はそうではない」というタイミングがあったりすると、視点が複層となって、短編であってもぐっと深みが出たような気がしました。
しかしタグ制度はちょっといいですね。どのような意図で描かれたものなのかなあと探っていく際の「正解」がある程度絞り込めるとことか。逆を言うと、読み方を制限してしまうので功罪あると思いますが、これを利用するとちょっと面白い仕掛けが出来そうな気もしました。

46.stella noir

これメチャクチャ面白いですね!名作!すごい!
SF的な原理のところというのはちょっと見当ついてないんですが、自爆するために敵母艦に突っ込むコンマ1秒前の時間が「永遠に引き延ばされた自艦」って、時間と自艦かかってますが、そもそもの着想がメチャクチャ斬新。なおかつ、そのシチュエーションで暮らす三人+1台の得たものとして「未来の情報をDLできる」という状況設定が異次元。これをチャチャッと解説して、あとはそこに暮らす日々の日々、思うこと、過去にフォーカスしてゆくという構造ですが、この場合の異能は、この奇妙なシチュエーションの解明に一ミリも力を割かないということ。これは並大抵の手腕ではできない気がします。
時間の歪曲と未来との接続、その理屈を思いついてしまったとしたら解説を止められる人はなかなかいないと思うし、もし仮に「理屈はわからんけど」という状態でこんな異常なシチュエーションを組み立てられるとしてもそれはそれで異能。すごい自己抑制/狂気だと思います。仮に、これが何かから着想を得たものだったとしても、それは十分、作者の世界に変換されています。「おれのだ」って言っていいやつです。
途中、スラップスティックな部分に関しては、ヘルシングやブラックラグーンの巻末漫画のようなノリが強く出すぎている気もしますが、テンポが著しく変わるわけでもなく、途中、一息ついて「でもこれ、最後なにもなく終わるんだよな」と我に返る瞬間も与えずに走り抜けたのは立派のひとこと。
最悪でサイコーな「バースデーケーキ」のくだりなんかは、見事すぎてため息が出ました。最初から最後まで、一貫している本当に素晴らしい風景画です。レギュレーションについて考えるのも野暮ではありますが、きちんと「何も起きていない」し、むしろ、「起きていない」ということが物語の骨格になるギミックにもなっているし、これは満点ではないかと思います。
強いて言うなら、主人公の「僕娘」が僕娘っぽい言動をしてくれたら一億点でした。いやあ、いいものを読ませていただきました。すごく良かった。

47.おいしいカレーのつくりかた

あら、これは、と声の漏れるしっとりとした一篇。
軽快な「カレーの作り方」にフォーカスして、一貫してカレーの製作を丁寧に追ってゆき、そして数行の挟み込みだけでくっきりと浮かび上がる「もういないひと」の姿。
構成としてはたいへんうつくしい、すっきりとした味わいでしたが逆に言うと、人物に無理をさせず、工程にも無理がなく、すべてをすんなり書いてしまったせいで物語としての起伏に欠けてしまったところは残念だったかもしれません。これが、カレーではなく「ケイジャンジャンバラヤ」とか「チミチャンガ」みたいな聞いたことのないメニューだったりすると、より読者の意識を料理そのものに向けさせて、より後段の仕掛けが生きるのではないかと思います。
カレーというのは、親しみのある分、多くの読者が「すでに知っている」情報になります。ここを「面白く書く」というのは割と限界があり、その分、技量が出るといえば出るのですが、そのための「一工夫」に疲れて書くのがおっくうになってしまってはつまらないとも言えます。
鼻につくような感傷や、大仰すぎる「感動させようとする仕掛け」のようなものがなかったところはとても良かったと思います。このあたりの消臭を、感情の下処理と呼ぶとすると、下処理が丁寧にできているのですから、あとはどのように「描いたことのないもの」を描くという、新しい料理に挑戦するような頃合いなのではないでしょうか。

48.山野辺ゆきみと篠井研

これまた素直な読み味の良いものが出てきました。山野辺ゆきみ、呼ばれ方は「べゆみ」、篠井研、呼ばれ方は「けんち」。マスクの話題は出てきませんが、言葉遣いなんかは比較的新しい年代の物語ですね。
セクシャルマイノリティについてのストーリーは、とかく「理解できる」「理解できない」の地平から始まることが多いです。今回、他にもいわゆる同性愛を描いたものが見られましたが「だってそうなんだから仕方ないし、そもそもすでにあるものじゃん」という立場から書かれるものが、僕は好きです。そう。あるものを描くんだから、見えたものは見えたように書くしかないんですね。
踏まえて、ですが主人公の内面についてあんまり描かれなかったというのは、ちょっと物足りなかった気がします。色々な登場人物の自己述懐と同じように「別に特別ではないから書かなかった」というのもなるほどと思いますが、こういった短編になると題材に対して淡白すぎる印象もあります。もう少し分量を割いてみてもよかったのかもしれません。
読後感というか、ラストの切り方がちょっと急だなと思って調べてみたら、字数についてはレギュレーションの3000字にほんのちょっと届いていませんでした。惜しい。削って削ってこれしか残せない、という感じでもなかったので、もうちょっと足してもらえるとよかったかなあ、と思います。

49.父親の墓

あっ、これは、たしかに。最初のやつ(ノンタバココミュニケーション)よりこちらの方がいいです。断然軽妙。こちらのほうが断然いいです。はい。本当に「何も起きない」ものを描くよりも、「何も起きてないというしかないもの」を描くというのが、今回のレギュレーションのストライクだったのかもしれません。面白さ、というものが一体どこに宿るかというのは大変難しい問題ですが、その答えの一つとして、どうなるんだろう、という疑問のところです。
今回の講評の際、なるべくどの作品も「間を空けず、続けて読む」ということをしてみました。その際に、どうしても途中で「この先、何も起きないんだよな」と考えるだけの隙間のある作品(言い換えると一休みできる間が設けてある作品でもありますが)と、そういうことを考えないで読み終わる作品があったように思います。
おそらく、何も起きないんだよな、という予想が入り込む余地のなかったものについては作者が意図的にコントロールできているという言い方もできますし、テンションや導線がしっかり設計できているという言い方もできます。本作、主筋である「みたこともない父の墓を建てる」という、読者のだれもおそらくやったことがないであろう目的に向かって、アレもいるな、これもいるな、と追いかけつつ、実際の工程での苦労やら、ふと頭をよぎるものやら、そういうものを丁寧に書くというのは非常によいものだったと思います。「僕」が内面を語らないのが不満になりそうな気もしますが、この場合は逆に語らないことが別の効果を生んでいました。レギュレーション的にも、上述、「何も起きていないとしか言えない」ものであり、さらに、途中ちょっとだけ気になった法的なアレに最後、注釈をつけてあるあたりの配慮も完璧。

50.ゴールデントライアングルへようこそ

不思議な読み味のある、多方面から叱られるために書かれたと思しき、とてもよい短編でした。途中から、ずっと主人公に「ひどい目に遭え、思ってもみなかったひどい目に遭え」と思いながら読んでました(誉め言葉)。丹念にレギュレーション違反を拾おうと思ったのですが、意外にも物語のトーンとして「事件が起きた」というものはありません。シチュエーション自体が事件ともいう。
ともあれ、こういうブラックなものについては、筒井康隆氏の短編なんかでも結構あるのですが、虐げられる民をきちんと汚らしく、また理不尽に、そしてかわいそうにねっちり書くのが多く、また、その書き方によっては別の読まれ方をしてしまうという問題が結構起こるのですが、今作については徹底的に「虐げられる側」の内面や悲哀を描かないという割り切り方。これはこれで決めて書かないと難しいと思うのですが、その分、独特な読み味を実現しています。これはこれでたいへんよいですね。
ラストの、オチの部分についてもこんだけ特異な体験しておいて★ひとつ足りないのかよ、という細かいディテールやら、机の引き出しに聖書があるタイプのホテル、というカテゴライズやら、かゆいところに手の届く面白さがあったと思います。
難点…ワンイシュー、決めて突破して書かれたものの難点を言うのは非常に難しいのですが、トーンとフォーカスがやはり単相なところでしょうか。たとえばマジで最悪なツアーの中、「純粋に美しいだけのシーン」があってもいいような気はしました。主人公がそれを感じるかどうかは別として、美しい風景のようなものがあるとか、そうした別の位相のものがあると、より複層的な面白さがあった気がします。

おわりに

ここまで読んで、で、誰が一等なのよというのを思ってらっしゃる方が多いと思います。8月31日現在、正直、まだ決めかねてます。この講評はあんまり加筆修正することはないと思いますが、特賞の賞金を得るチャンプの発表はもうしばらくお待ちください。
この講評から、これじゃないの、というのを予想して待ってくれると嬉しいです。

しっかし思い付きで始めた賞ですが、大変でした。もっとこじんまりとした、内輪だけでイチャイチャする賞の予定でしたが本当に予想外に盛り上がり、しかも応募された作の面白いこと面白いこと。大変ではありましたが苦痛ではありませんでした。皆様、お付き合い下さりありがとうございます。

しばらくの間がありますが、よかったらこんな偉そうなことばっかり言ってる主宰は実際、どんな小説書いてんのよ、見てやろうか、と思ってる方もいらっしゃるかもしれません。というか、その辺に興味を持ってもらえると大変うれしいのですが、わたくし、高橋白蔵主、最近だとこのへんの仕事をしております。講評たくさんしててエライネーって思ってくれる方は、ぜひわたくしに喜捨していただくか、あるいは、わたくしの書いたものを読んで下さい。このくらいの見返りがあってもいいだろうよ、という悪い笑顔です。
めっちゃくちゃ面白いので是非読んでよ、という「事件が起きるタイプの小説」、連載中でまだ完結してないのがアレですが、

『ハニカムウォーカー、また夜を往く』

こちら、ぜひ一話だけでもいいので読んでみて下さい。面白かったらそこからツルツル進むと思いますのでぜひ。

また、わたくしに投げ銭してあげよっかなという方は、サポートに投げてもらえるのも嬉しいですが、折角ですから一篇、ついでに読んでいきねえの500円コース。短編小説のオマケがついてきます。これけっこう評判いいのよね。天狗小説。比較的、風景画杯のテイストに近いです。

もっといっぱい投げたい方はこちら。めちゃくちゃ色っぽいお姉さんの声で、「これから殺される系ASMR」が聴けます。1000円コース。MP3ダウンロードのオマケがついてきます。

このへんでもお楽しみいただきながら、しばしお待ちください。二度目の夏休みが取れそうなので、今週末までに何とかしていきます。わたくしも人の子なので、書いたものを読んでもらえて、なんか言ってもらえるのは至上の喜びとなっております。投げ銭もそうだけど、応援の声や感嘆の声、マジでやる気出るんですよ。これ。ともあれ。

それではねー。


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