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毎日投稿100日目。歯磨きを発信するインフルエンサーはいないよねって話。

1回目だろうと、100回目だろうと、同じ1つの投稿であることには違いはない。

プロ野球選手が、100本目だろうと、1000本目だろうと同じヒットに変わりがないのと同じように。
そこに数字という形容詞を修飾することで、あたかも価値があるかのように見せる。
または、そこに過去の記録との比較をさせることで、一つのことを誇大に伝えることもできる。偉業というやつだ。

数字というのは、評価をするための指標の一つの概念でしかない。

しかし、数値は自分の現在地を伝えてくれる。
過去と今の頑張りを可視化できることで、励みにもつながる。

でも、とっても強い人、そのようなものにとらわれず、すべてのやるべきことを歯磨き同様に粛々と習慣化できるような人は、わざわざカウントしない。
したとしてもそれを大っぴらにすることもない。

習慣化したことは、その人にとっては歯磨きと同じこと。
いかに発信を好むインフルエンサーでさえ、歯磨きが何回目だ、料理が何回目だと数えないのと同じように、超人たちは、側から見ると特別なことだろうと、その行いを淡々とこなす。
自分がやる理由を数字にとらわれず、委ねず、ただただ、続けることができる。

彼らにとっては、続けることは目的であり、過程であり手段である。
どれだけ連勝しようとも、結局シーズン終了後に優勝ができていないと意味がない。

続けることが習慣化され、単なる過程と捉えられるようにあると、
次は、そのひとつひとつの質と向き合っていく。
双方をいっぺんにもとめるのは、とても難しい。

だから、正直いうととりあえず100回頑張ろうとか、その時点でちょっと志は低いのだ。

でも、とはいえ、よく続けました。(笑)

ネタがないなと思いつつも振り絞りながら、100日連続で1000文字以上の文章を書き続けたことに、よく頑張ったなあ、とちょっと褒めます。

ほぼ日ではなく、毎日だからね。
価値はないかもしれないけど、でも意味はあるなあと思うのだ。

noteで、100日や100回と調べると思っていたよりも多くの方が、僕と同様に続けている。まして1,000日続いている人もいる。(笑)

多くの人が、その過程でいろんな発見や出会いがあるようだ。

ぼくがおもう、noteを書き続けることの最大のメリットは、
日常をむしめがねで見ようとする習慣が身についたということ。

noteという手法でなくても良いが、
毎日何かを発信を続けるためには、この二つの方法しかないのではないかと思うものがある。

ひとつは、何か普通のことを、普通じゃない捉え方をする。
または、毎日全く異なる日常をおくるか。

じゃないと、中々に続けることは不可能かなと思う。

毎日が平凡なのではなくて、毎日が平凡であるように見てしまっているだけである。

全く同じ日なんて、こないのです。
天気、会う人、流れる番組、ニュース、食べるもの、考えること。
そのひとつひとつに向き合い、毎日を流して生きない。

それが、虫眼鏡でみるということ。

そうして、その断片を切り取って自分がどのように感じるのかを伝えれば良いだけだ。

で、
”旅”の醍醐味はここにある。
日常を非日常と捉えることが比較的容易であるから、発信がしやすい。

あー、でも不思議。

旅のときは、異なることを好むのに、
どうして、人は、他人の異端については許容できないのだろうなあ。

と、都知事選の結果をツイートで見ていて感じる。(急に時事)


100日だろうが、アイも変わらず駄文が続く。

少し休憩をして、明日からは頻度とnoteの向き合い方を変えて投稿していこうかなあと思います。
なんだかんだ言っているが、続けることが目的化してしまった部分が結構大きい。

続けることは頑張ったと認めて、
今後は、もっと南アフリカと向き合い、
南アフリカについて多くの人が興味関心をもってもらえるようなことを書いていこうかなと思います。

最後に、noteは、現地時間ではなくて日本時間でカウントされてしまいます。
僕は1回だけ、日本時間で1日に2度投稿してしまい(南アフリカ時間では毎日なのに)1日抜けている。
だから、今日投稿したとしても、
100日おめでとうのポップがでないのがすごく悲しい。

まあいいや、4月1日から続けた毎日note、100日達成お疲れ様でした自分。



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