広島東洋カープ北別府学投手は、難治性の成人T細胞白血病で亡くなった
プロ野球のカープのエースだった北別府学投手は、白血病で亡くなりました。
宮崎県立都城農業高校からドラフト一位で入団し、213勝をした大投手です。
背番号は20
宮崎県都城市出身の巨人の戸郷翔征投手が同じ番号をつけています。
「郷土の大先輩の北別府さんと同じでうれしい」とコメントしています。
北別府投手の病名は、鹿児島、宮崎、熊本などの南九州に多い、成人T細胞白血病(ATL)でした。
ウイルスによっ引き起こされる、世界でも珍しい白血病です。
赤ちゃんの頃にウイルスの入った母乳から体内に入ったウイルスが、長い期間をかけてT細胞をがん化させます。
発症までに、30年から50年ほどかかります。感染しても発症しない人もいます。
北別府投手は、60歳で発症し、骨髄移植など様々な治療を受けましたが、65歳で亡くなりました。
ATLは、通常の白血病の治療法が効かない難治性の疾患です。
水泳の池江璃花子選手も、白血病になりました。
名前が「池江」だったので、もしかすると鹿児島のご出身だと思って、すぐさまATLかと想像しました。
ATLならば難治性なので、水泳選手として復活することはできないのではないか、と心配しておりました。
しかし、ATLではなく、白血病の治療法が効いて、見事復活を果たしました。完全緩解もして、本当によかった。
私が通っていた椎葉小学校の教頭先生のお名前が、池江でした。
書道や剣道も教えていました。
放課後の書道教室で、池江先生が教室から出て行った後に、一つ上の女の子が「池江先生は早くいけえー」と冗談を言って、みんなで笑ったことを覚えています。
NHKの「日本人のおなまえっ!」という番組で、池江選手の名前を取り上げていました。
「池江」という姓は、まさに鹿児島県発祥で、薩摩藩の武士にこの名前があるということでした。
戦国時代には、戦の先陣を担当し、鎧を着たままで川や池を渡って攻め込むことが多く、泳ぎは相当得意だったそうです。
なるほど、そういうDNAがあって池江選手は活躍しているのか、と感心したものです。
さて、カープの北別府投手の後輩に津田恒実さんという剛速球投手がいました。
押さえの切り札として活躍し、「炎のストッパー」と呼ばれました。
巨人の原監督は、津田投手の火の玉ストレートを渾身のスウィングで打って指を骨折し、それが原因で引退しました。
一方の北別府投手は、「精密機械」と呼ばれるコントロールが武器で、二人は対照的でしたが、仲が大変よかったそうです。
津田投手は、33歳のときに脳腫瘍で亡くなりました。
津田投手の入院中は、北別府投手はよくお見舞いに行っていたそうです。
今頃、お二人は、天国で久々に再会していると思います。
北別府投手の背番号をつけて頑張っているジャイアンツの戸郷投手には、今後の活躍を期待したいと思います。
日本シリーズにはいけずに、本当に残念でした。
北別府投手ゆずりの精密機械のコントロールと、津田投手のような剛速球で、来年は最多勝と日本シリーズ優勝を狙ってください。
ご活躍を期待しています。
どうかご安全に。
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