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伊藤裕一の残酷な脚本

褒めたくて書いてるよ

こんなタイトルだけど、「そこが大好き」という話です。わたしは彼のお話とっても好きなんです。信じて。
終始敬称略ですので何卒悪しからず……敬意はめちゃめちゃ抱いております……!

あっあと素敵なイラストをお借りしておりますが
これは話題にしている演劇作品とは無関係なポーカーのイラストです。二次創作だと誤解されぬよう顔や服装部分はトリミングさせていただきました。この絵はこの絵として好き。

HOLD THEMのアスカちゃん

聖地ポーカーズが過去に公演したお芝居で、『HOLD THEM』という作品がある。

ここに出てくる「アスカちゃん」が、わたしは大好きだ。
正確に言うと「彼女」を「アスカちゃん」にした脚本が、大好きだ。

HOLD THEMは演劇作品である。フィクションである。
だから、出来事のすべては一座が作り出したものだ。「彼女」の名前は(おそらく)脚本家による設定だ。
田中花子でもよかった。聖地ぽか子でもよかった。メアリー・スーでもよかった。ジェーン・ドゥでもよかった。ストーリーだけが重要なのならば。

でも、「彼女」が得た名前は
巣立飛鳥
だった。

※弩級ネタバレするよ!!!※

何故「彼女」を「巣立飛鳥」にしたことが残酷かって話を、したい。
どうしてもストーリーの重要な秘密に触れてしまう。
今更ながら、これから『HOLD THEM』を観る方はここで引き返してほしい。お願いします。まだ観ていない方、どうぞご覧になってください。どうにかして。がむばれ。すっごく手段限られるけど……ウチ来るとか……?

「巣立飛鳥」
巣立ち、飛びたってゆく鳥。
希望を感じさせる、未来を思わせる、健やかで伸びやかな、美しい名前。
慈しまれ育まれた優しい巣を卒業して、自らの翼で大空へ羽ばたいてゆく、自由な若い命!

ねえ、巣立飛鳥は、巣立家は、どうなった?

トびましたね。ええ、トびましたとも。
自らの力で。きっと強い意思で。
(どうだろう。そこに巣立飛鳥の意思が本当にあったかについては観る側に委ねられてる気もする。わたしは、彼女が決意と勇気をもって行動したと解釈しました。)

いや、飛んだっていうか。飛べていないよね。
五体満足心身健康で屋上からダイブするなら、まだ多少は「跳」ぶ要素があったかもしれない。でも彼女ができたのはせいぜい「転がり落ちる」か、良く言っても「這い出る」程度だったはずだ。
巣から?
違う。巣にすら帰れなかった。親鳥の庇護下になんていなかった。巣立ちは、温かな巣があってこそできる行為だ。彼女がいたのは、「転がり落ちる」ことで出ていくことが最善に思えるほどの地獄だった。

何が「巣立飛鳥」だよ。
こんな残酷な命名ってあるか?

脚本を書いた伊藤裕一ってひと。
自らの作品に登場する人物に、雑なネーミングをするわけがない。これに関しては自信がある。
HOLD THEMは聖地ポーカーズの作品だが、わたしは同じ脚本家の、彼自身が主宰する劇団の作品にも通ってきた。

『RUN』3部作(特に2部?)なんて特に分かりやすい。
通称と本名の絡め方(たとえばネズミ姐さんは根津美樹、LARKは白抜楽太朗)や、ストーリーと本名の絡め方(千日紅〜〜〜!!!ネタバレ避けるけどウワーーーー!!!!!)、キャラクタ造形と名前の仕掛け(ハッピーちゃんもブックさんも、特徴から名乗るだけかと思いきや『〇〇〇』を付けると……など)に至るまで、それはもうお芝居のパーツとして「そうあれ」という、いわば脚本上都合がいい名前を享けて生きている。
そういう言葉遊びをする脚本家が、無邪気に「巣立飛鳥」なんて設定にするか?
たぶん、いや、絶対と書いてもいい、そんなわけがない。

巣立てなかった
飛ぶ鳥のように生きられなかった
そういう女の子に対して
わざと「巣立飛鳥」って名前にしたんだ。

たとえば創作における「うちのこ」観など

伊藤裕一脚本の好きなところは複数あるけれど、その最たる例のひとつが書き手のドライさである。
きっと思い入れもあって、大切にしているのだろうとは感じるけれど、ソレとコレとは別、と言わんばかりの乾いた距離感が見える(ように思う)のだ。

ストーリーがあって、演出があって、お芝居があって、演劇は成立する。作中人物は物語に沿って、台本に従って、監督の指示を受けて、舞台上に存在する。
一個の人間ではない。
一個の人間として在るよう創作されたとしても、創作されたのだからこそ、一個の人間ではない。

その乾いたような、絶対的な隔たりが美しいと思う。よく聞く「キャラクタが勝手に動き出しました」というアナーキズムじみた語り口ではない。打鍵する指が1文字1文字タイプしていることを感じる強さ。すべてをコントロール下において、よりよいものを発表せんとする真摯さ。
無秩序に噴出する湧水ではなく、きちんと制動されたポンプで組み上げた物語。

可哀想だと悼むことにばかりかまけていたら、「彼女」に「巣立飛鳥」なんて名付けられるものか。
彼女は大事なパーツで、彼女の名前が無惨に散ることは観客の情動を煽る重要な設定だ。
ただストーリーを展開させていくだけよりも悲愴で、苦しくて、痛ましく演出するために「巣立飛鳥」であることは効果的だ。
酷い、と思う。
「彼女」にそんな名前を与えるのはあまりに酷い。容赦が無いと言ってもいい。

……最ッ高。



あ、お芝居はお芝居で好きですよ

役者としての伊藤裕一も勿論とっても好きなので
彼が出ている作品は別人の台本であってもわりと気に入りがちではあるのだけれど(好きなゲームの好きなキャラクタ役で好きな俳優がキャスティングされたときなんて心臓止まるかと思った #鉄球おじさん ありがとう)、
劇作家としての伊藤裕一が、別枠で、はちゃめちゃに好きだという話でした。


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