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『永遠なるものたち』感想文・刹那なるものより

使いようのないそれのレビューを、また最後まで読んだ。

開いていたのは男性をメインターゲットにした成人向け通販サイトだ。買ったところでわたしには使えない『ジョークグッズ』が画像とともに紹介されている。それでも幾度となく販売ページにアクセスしている。

男性になりたいわけではない。

元カノや片思い相手たちのことは、女のわたしとして愛していた。夫のことも女として愛しているし、彼に女として愛されて不満はない。その商品ページは、ただ読みたいから読んでいた。何の鬱屈もない、単純な話である。笑えてきたのは、わたしが最近買った本とその作者について考えたときだ。万事こんな風だと、エッセイにならないんじゃないかしら。

読んだのは『永遠なるものたち』。

無いもの。無くなってしまったもの。目には見えないもの。姫乃たまちゃんはそれらを「永遠なるものたち」だという。ひとつひとつの欠損や空白に名前を付けて、「もの」と呼ぶ。

嘆き上手だ。
それはわたしにとっての「無いもの」なのかもしれなかった。
…………かもしれなかった、けれど、そうではなかった。

例えばわたしは男性器を持たず生まれ育って、男性向けのアダルトグッズに惹かれていて、しかし全然まったく微塵も悔しくない。ふたつは別個の話だ。

コンサータという一日一錠の社会性が手放せない脳を持っている。金銭的な負担は辛いけれど、まぁそんなもんよね、と思っている。悲しさを聞かれれば皆無と答えよう。

近視と乱視がひどいから裸眼で往来に出ればあっというまに事故死できそうだ。ままならなすぎてウケる。

おそらく誤解で絶縁された友達がいる。弁明の機会は得られないだろう。彼女のことが好きな事実は変わっていないのに、どう困れというのだろうか。

憧れている俳優が劇団を去った。「推し」という流行り言葉に収束させてみたものの、実際は祈りみたいなものだ。その後の公演に彼の名がないことはさみしい。しかし劇場に通った日々が、繰り返しDVDを見たことが、かけられた声が遡って消えるわけではないのに何を失ったと?

敬愛する教授が鬼籍に入られた。お前が最後の弟子だからな、とギラギラした目で笑う、痩せたおじいちゃんだった。先生に教わった何かは、先生の心臓が止まっても消えないし、わたしが先生と遊んだ学会を離れても消えない。元々生きていることを理由に師事していたわけでもないしなぁ。


……わたしにあったかもしれない「永遠なるもの」を、頑張って探してみた。見つからなかった。

姫乃たまちゃんが優しく抱くようなペーソスは、もしかしたらそれ自体がわたしにとっての「永遠なるもの」と呼べるそれだという気がする。気がするだけだ。実感が伴わない。

なぜなら失っていないから!


思えば、わたしが姫乃たまちゃんに出会った瞬間もそうだった。


姫乃たまちゃんのことを知ったのは件の通販サイトだ。彼女は生身を手放して同人誌の紙面にいた。シンプルに強力な印象である、「めっちゃくちゃ好みの顔をした女の子」として。

当時のツイートが残っていた。2013年の4月だ。

『うわああ世田谷はなれてからこんな気になる子を知るなんて!』

当時、18歳までを過ごした東京都世田谷区を離れて、大学のある県で一人暮らしをしていた。姫乃たまちゃんは下北沢近辺でよくライヴをしているようだったので、実家からかなり通いやすかったはずだ。そういうことが言いたかったのだと思う。

ツイートは続く。

『姫乃たまちゃん! おぼえた。おぼえた。おぼえた。』

そのときのわたしは、ものすごくタイプの容姿をした女の子を知ることができた、という驚きと喜びを抱えていた。すぐに会いに行けないことを惜しんではいるものの、ほとんどの感情は嬉しさだ。


わたしは、姫乃たまちゃんを「永遠なるもの」にできなかった。


置かれたところ、許された時間、作り上げてきたもの、届いたことの一々に笑っている。わたしの手に残らなかったものは残らなかったものとして、永遠でも完全でもなくそれだけのことだ。
得ているものと得たものが等しく嬉しいわたしからすると、「穴」について特別な感情なんて持ちようがない。

姫乃たまちゃんが、優しく温かい文章にも透けさせる憂いを、だからわたしは不思議に思う。

彼女の喪失感は「もっと素敵であったかもしれない/なれるかもしれなかった何か」に向いているように感じることがある。
めらめら燃えている分かりやすいものとは違うけれど、それは向上心なのではないかしら。
どこか湿っぽくて、生あたたかくて、蠕動する、つやつやした上昇志向。世界はきっとすごく魅力的なんだ、と前提にしている言葉選びだ。

ミロのヴィーナスの腕は美しい造形をしている! と疑いもしないような。姫乃たまちゃんが見ている世界は、だから、とびっきり綺麗なのだと思う。

「(略)悲しくて、いい気持ちでもありました。だって、なくなったものは、もう二度となくすことがないから。」

『永遠なるものたち』

姫乃たまちゃんがそう慈しむ穴のふちを、わたしはにこにこ跨いでいく。わたしが知り得ないところで、ものすごく素敵なものを愛でている女の子がいる。
見えているものを共有できないまま、共有できないものがあることだけは知っている。それも十分「ものすごく素敵」だって浮かれてしまう、こういうところこそがわたしの捉え方の癖なのだろう。


でも、だから、姫乃たまちゃん、あなたが失くしたって言ったから、
わたし、失くしたものがある女の子を得たよ。



刹那なるものだらけの世界より 驚きと愛を込めて!!

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