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これは余事象の名前

いくつかの名前がある

そのうちのほとんどは、とくに隠していない。
noteでは「茶沢くちなわ」だけれど、同時に「榎本春介」だったり「知広」だったり「阿部玲司」だったり「渡辺ラウル」だったり「エト」だったり「巳緒」だったり「雨樋カンナ」だったりetc.
同じ奴ですよ、とわざわざ書いてはいないことも多いけれど、
秘密にしているというほどでもない。

何かしらの作品に沿えて出す名前のときは、その雰囲気に揃えたい名前を新調することが多かった。
たとえば雨樋カンナはネットラジオの真似事をしていたとき。
わたしの声は圧が強めでやや低いから、雨音にも消えないなと思った。
話題が繋がったまま長く続くのに、終わってみれば何も益にならない様子が鉋屑みたいだと思った。
その音声投稿サービスを勧めてきた友人は、わたしのことをふざけて「マドンナ」と呼んだ。
じゃあ、雨樋カンナがいいか。
そういう感じ。
肉声を曝すサービスでなければ、わたしはカンナではなかった。
そういえば昔、まんがに出てくるカンナという女の子に似ていると言われたこともあったな、なんて決めてから思い出した。わたしは走り幅跳びで6m13cmも出せないけれど。

余事象ハンドルネーム

「茶沢くちなわ」は上に書いたような「こういう名前がいいな」「こんな感じがしっくりくるな」を伴わない記名として使うことが多い。

「長々おしゃべりカンナちゃん」「夜な夜な捕まらない絵虎くん」「お兄ちゃんっ子で笑い上戸のラウル殿」「好奇心に隷属する知広さん」「『普通』になりたい阿部玲司average

そういう諸々に引っかからなかった
そのままの部分である。

「わたし」について書いた文章に何か筆名を、と要求されたとき
今までのように名義まで込みで作品として出すのではない名前にしようと思った。
それで、文章を書き始めるより前から帰属している場所から採ることにした。下北沢と三軒茶屋を結ぶ区道。
家族で遊んだ下北沢と、友人たちと遊んだ三軒茶屋。それは幼いわたしのほとんどだった。

茶沢
記憶にあるひとつめの家は、下北沢から2駅の距離にあった。
幼少期、わたしはたくさんの時間を代沢(と書くと馴染みのない方もいるかしら。下北沢周辺の地名です。「下北沢」って通称でしかないのよ!)で過ごした。わたしの母と、わたしの父と、彼らとわたしの友人である人々。
母の人は宴席の人で、わたしを家に運ぶのは父であることが多かったと思う。
2駅とは書いたけれど、電車よりはタクシーのイメージが強い。深夜のタクシーでうとうとしながら、運転手に告げる父親の声の記憶だ。
「茶沢通りをそのまま真っ直ぐ」
声量のわりによく響く、甘く轟くような声が優しくて、だからわたしは父と乗るタクシーが一等好きだった。オネガイします、と少し芝居じみて言う癖も好きだった。
うつらうつらしながら、店に残った母が笑っている想像をするのが幸せだった。
わたしを理由につまらなくならない母のことを愛していたし、わたしを理由につまらなくならない父のことも愛していた。

わたしが親を伴わず/親に伴われず遊ぶようになった年齢のとき、
いちばん多く笑った場所は三軒茶屋だろう。
今は閉店してしまったゲームセンターがあって、そこでアーケードゲームに興じるのが楽しみだった。
のちにリフレクビートにドハマりするのだけれど、当時は稼働前。お小遣いの使用先はほとんどクイズマジックアカデミーとポップンミュージックだった。あと少しだけドラムマニア。(まだ「ギタドラ」に一本化される前、「ギタフリ」と「ドラマニ」だった!)

キャロットタワーの雑貨屋で輸入菓子やパワーストーンを眺めてうっとりため息をつくのも楽しかった。商店街で古着を見て歩くのも楽しかった。今でも覚えている、お気に入りのボトムを買った日がある。蝶のかたちのくりぬきジーンズ。階段横の壁に掛けてあったそれに一目惚れした10代の初夏。

くちなわ
茶沢が~中学時代くらいまで、以降はくちなわに負わせている。
これは単純、わたしの舌が蛇だから。
実際にタンスプリッティングをしたのは20代だけれど、身体改造は中学校の1年生から始めている。だから途切れなく「茶沢くちなわ」かなって。
あまり深い切れ込みを入れていないから、蛇というよりは桜の花弁の方が近い気もするけれど、まあヒトの舌の自然な形でないことは間違いないしね。

下北沢でうまれて、三軒茶屋で育って、自分のかたちを自分で選ぶようになったわたし。
茶沢くちなわ、はそういう名前。

#名前の由来



余談

なんで名前いっぱい使うの?と聞かれたことがある。
驚いた。むしろ、どうして一つの名前で出せるの? くらいの感覚でいた。
だって「なんていう奴の文か」って気になるんじゃないの? って。

わたしは作者をあまり気にせず作品を楽しむタイプだったから、
終わったに「あっコレもアレの作者だったんだ~」という本やCD、映画がたくさんある。
しかし、世の中には「○○さんが好き」で作品を追うひとが多いことも知っている。そういう人々は作家まで含めて作品を楽しんでいるのだろうと考えたから、それなら「作家」まで作りこんでお出ししてあげたいな、と思っていた。

この考え方のベースはおそらく、「Des-ROWとD-crew(やそのほかMTOなど)だろうなぁ。
わたしが人生の半分以上の年月をファンでいるアーティストだ。
先に挙げたアーケードゲームの音楽を作っている人。
当時ポップンミュージックの公式サイトには楽曲ごとに紹介ページがあって(復活してくれ~~~~!!!)、そこで作者のコメントを読むことができた。

Des-ROWはロック調の曲が多い。
クセの強い言い回しが目立ち、同僚や後輩を振り回すような言動が多い「おれさま」。
D-crewはテクノやトランスが多い。文章はやや事務的で丁寧な雰囲気。
positive MAやMTOは切ない曲調で、コメントもやわらかく穏やか。

……全部同じひと。
昔は公然の秘密とはいえ別人扱いを通していたけれど、途中からは明らかにしていた。
作風によって名義を使い分けるひとに触れて、それが当然だと思っていたから、
わたしも色々な名乗りをするようになったのだと思う。

ところでDes先生セカンドアルバムまだですか。
待ってます。待ち続けています。
D-crewファーストアルバムもずーっと待ってます。
何卒……何卒……!!!!!!


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