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空は狭い方が落ち着く。


“「太平洋側で育った子供が描く青空の色と、日本海側で育った子供が描く青空の色は違うんだ。青空は湿度の少ない太平洋側では青に、湿度の多い日本海側では水色に描かれる。」”

『私と湿度の話』


……あ、それって意外たり得ることなんだ。
という新鮮さが好きで、noteを読んでいることが多い。
常識の埒外について、外部刺激を抜きに埒外であると気付くことは難しいから。

見えるものを見て育つのだから(、見たものを書けと指示されたのであれば)、見えるように書くのは何らの不思議さも無い。
わたしの空は『水色』寄りだ。ただし日本海側ではない。オーガンジーのようなガスが、やわらかに光を拡散する空。正確には水色というより薄い黄緑色に寄った灰色と言った方が近いかもしれない。環七と環八に挟まれた、首都高と首都高に挟まれた、東京の住宅街。
光化学スモッグ注意報が出たので屋内にいるように、という全校放送で校庭から散らされた小学生時代の記憶は約20年経っても覚えている。だって恨めしかったもんな、遊びの中断させられんの。


寒い、寒い、と夫のポケットに手を突っ込んで暖かさの押し入り強盗をする。わたしよりずっと薄着の夫が「これでぇ?」と笑う。東北(の中でも豪雪地帯!)出身の彼は寒さに強い。
小さな頃に珍しく雪が積もったので遊んだ話をしたときなど、「珍しく…………?」と完全に異世界のリアクションだった。こちらからすれば冬季と夏季で学校の入り口が変わる世界の方が驚きなのだけれど。

「たぶん20センチくらい積もったんだよ! 膝上だよ!?」
「いや、センチとかの単位で考えないくらい積もるし……そもそも雪は脅威であって、はしゃぐものではない」
「だって雪だよ!?」
「まあ校庭でスキーして遊んだりはあったけど」
「…………??????」

我々夫婦の年齢差は1歳のため、世代としては同じと言っていいはずだ。
だからこの感覚差は時代によるものではなく、地域によるものだと考えている。
恐るべし、雪国。


気温だけではない。
冒頭で引いたnote記事の通り、湿度だ。
夫がかつてすごした場所を辿って、東北の2県へ旅行したときに改めて認識した。
生活の中で雪や霙に出会うことがあまりに少ないわたしは、つい忘れてしまうのだけれど、あいつら氷なんだよね。氷ってことは、水なんだよね。
空気が濡れていて、じゅわじゅわと重いのだ。
冷たく、高密度な、ベルベットのような空気。北関東なら冷え込んだ早朝にだけかろうじて近いものを感じられる、あの静かでくぐもった空気。朝に限らず一日を通して満ちていた。(それでさえ栃木の冬は本家の?本場の?雪国には遠く及ばない!)

高校卒業まで世田谷で育まれたわたしにとって、その風のにおいは美しい異国情緒だ。
灰色の、上等な布を連想する。足音を吸い込む絨毯、貴賓室のカーテン。
しっとりと重く、やわらかな空気の中を歩くことは楽しい。
…………来訪者としてであるならば。


生活の拠点とするには、あまりに濡れている、と思った。
もちろん、あくまでわたしにとって、である。
東京育暮らしに慣れすぎた、わたしにとって。
人ごみに親しみすぎた、わたしにとって。
淡白な人間関係を愛しすぎた、わたしにとって。
同じ世田谷育ちであっても、わたしより柔軟に生活環境を変えていけるひとであれば問題ないのだろう。だからこれは個人の問題でしかない。
素敵な場所だ、と感じると同時に、これはぼくにとって異物だ、とも感じた。
(余談。
noteやブログを書くときはノイズになる気がして「わたし」を選ぶことが多いものの、自我にしっくりくる言葉は「ぼく」である。ゆえに内心をセリフ起こしするなら、上述のように「ぼくにとって異物だ」が近い。このテのちょっとした逸脱が曖昧なままに放置されることは、わたしが人口過密地帯を愛する理由の一つである)



世の中に、わたしが愛し方を見つけきれていない生活があるということを
とても素敵だと思う。

異物は好きなんだよ。
ピアスホール13ヵ所持ってる奴が異物のこと嫌いなわけないでしょ。肉体に異物たる金属片を毎日突っ込んでるのよ。

今日は曇り。そもそも白い。

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