私と湿度の話

湿度から逃れるように大人になっていった私の自己紹介がわりに。

私は高校卒業まで雪国新潟県の実家で過ごし、今は東京で働いている。傍目には立派な社会人になった。

思い出す実家の冬は、
温度も低いけれど、雪に濡れて寒いより冷たい冬。
メートル単位で降り積もる雪に物理的に閉ざされるだけではなくて、外で自由に活動することも制限される閉塞感に満ちた冬。
じめじめ、ひんやりと不快な湿度に満ちた空気。
朝起きると机の上に置いておいたプリントが湿気でしわしわになるのも冬の風物詩だと勝手に思っている。

高校生のときの地理の授業で、全国には、あるいは全世界には湿度も温度もちょうどいい気候の地域があると知り、新潟の気候は最悪だと思った。こんな場所とはおさらばしたいとも思った。

そんな決意を胸に大学入試に合格。
太平洋側の乾いた地でひとり暮らすことが決まった私に、当時の担任の先生がしてくださった話が印象に残っている。
あれは合格の報告に行って、先生とふたり、静かな生徒指導室でのことだったかな。

「太平洋側で育った子供が描く青空の色と、日本海側で育った子供が描く青空の色は違うんだ。青空は湿度の少ない太平洋側では青に、湿度の多い日本海側では水色に描かれる。」

育った環境は確かに人を作っていくのだとぼんやり感じた。

大学に入った私は、冬も自転車に乗れること、冬も好きな靴やスカートを履けること、雪で電車が止まる心配をしなくていいことに感動して、とてつもなく開放感を味わった。
ひとり暮らし、いい天気、精神的にも物理的にも自由で無敵だった。

ただ、大学生の時は感じなかったけれど、今は東京で社会人となって、途方もない開放感と、少しの寂しさを感じる。
あの高湿度の雪国は間違いなく私の故郷で、
たしかにあの場所で育ったからこそ得られた感じ方、考え方があると最近しばしば考えるようになった。
東京のからっとした空気の中で、故郷の湿った風の匂いを思い出す。

自分にはどうしようもできないものの存在を抵抗なく受け入れることができるのは、湿った雪が支配する故郷の地のおかげなのかもしれない、とかそんなことを考える。

今でも帰省して化粧をすると、湿度の違いで化粧の加減が難しい。
私は太平洋側で化粧を覚えた。

#自己紹介




この記事が参加している募集

#自己紹介

229,106件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?