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自己肯定力の低いあなたへ

あなたは今、悩んでいる。近頃自己肯定ということばがよく聞かれるようになったけれど、おそらく自分はその力が低い、と。
とにかく自分に自信がない。どんなに理路整然と考えたすえの結論であろうと、どんな後ろ盾があろうと、どこか自分の考えがまちがっているのではないだろうか、あの人が正しいのではないか、という疑念に囚われている。

よく言われるのは、子どもの頃に親の愛情を享受できなかった、という話だが、あなたにはどうもそれが当てはまらない。あなたの両親はあなたを叱らなかった。あなたのことをたくさん褒めてくれた。失敗をしても責めなかった。ちょっとディープな趣味も、応援してくれた。

あなたは確かに、いじめにあっていたかもしれない。
けれどそれは命を脅かすほど深刻なものではなかったし、相談した先生は親身になって話を聞いてくれた。あるいは執念深く生真面目なあなたは、親や教師のアドバイス通り、何時何分に誰に何をされて……なんていうことを、几帳面にノートにつけたりしたかもしれない。
結局のところそれは子どもの精神が未成熟であるがゆえの、心無い態度であったに過ぎなくて、それが証拠に、小学校を出る頃にはいじめっ子とも気のおけない仲になっていただろう。

あるいはあなたは、セクシュアリティがちょっとまわりの人とは違っていて、それで疎外感を感じていたかもしれない。でもあなたは、似たような気持ちでいる人と友達になって、孤独ではなかった。

あなたは愛されて育った。親戚もみな、あなたを愛してくれた。

ならなぜ、あなたはそんなにも自分に自信がないのだろう。

あなたは肯定されて育った。両親はどんな選択も否定しなかった。あなたは自由だった。

……本当に、そうだろうか。
あなたは、自由だっただろうか。

もしかしたらあなたは、「仲良くあるべき」という神話に、囚われてはいなかったか。

たしかにあなたの親戚達は皆仲がよかった。よくあるような嫁姑の確執もない。毎年親戚みなで旅行を楽しんだくらいだ。

本当だろうか。
そこにはもしかしたら、「仲良くあるべき」という神話が、あったのではないだろうか。

子どもの頃のことを、今一度、思い出してみよう。
あなたはたくさんの習い事をしていた。ずっと続けていた。英会話は先生の都合で教室を閉めるまで、ピアノは高校が遠くなって通うのが難しくなるまで、続けた。とりたててそれらが好きだったというわけではなかったのに、むしろ、ピアノの練習は嫌いだったのに。
なぜあなたは、「やめたい」と言い出さなかったのだろう?いや、思いすらしなかったのだろう?

そういえばあなたはだいぶ長いあいだ、野菜が食べられなかった。でもそれで困ることは何もなかった。なぜなら、家で食事をとるとき、あなたの前には野菜が出てこなかったからだ。母親が、あらかじめあなたのぶんの献立から、野菜をすべて取り除いていたからだ。それは彼女の愛情だっただろう。

果たして、そうだろうか。
彼女もまた、「仲良くあるべき」という神話に、囚われてはいなかったか。

あなたに野菜を残す機会はおとずれなかった。あなたに意見を言う場はなかった。それは、家族になんらの不和もきたすまい、という母親の祈りだったのではないだろうか。

あなたは反抗をしなかった。なぜならそれは、「仲良くあるべき」という神話に、背くものだからだ。それは神話なのだから、壊されるべくもないものとして、いつのまにかあなたの中に巣食っていた。
反抗「しないべき」なのなら、言わ「ないべき」なのなら、思うことすらもなくなるだろう。

あなたは自由だったはずだ。でも本当は、思うことすら封じられていたのなら?

あなたの意思はそこにはなくなる。あなたが寄って立つものは何もない。ただ「仲良くあるべき」という神話があり、それに反しないものだけがあなたの意見になる。
だとしたら、あなたに自信なんてものが、芽生える機会があったといえるだろうか?

だからあなたは、今自分にとても自信がなくて、困っている。ひとの悪意や敵意に翻弄されて、どこかで自分以外のひとにぶつけられただけの強い言葉にいつも傷ついて、赤剥けた皮膚を海水にさらしているかのごとく生きている。
それはもしかしたら、元をただせば、あなたのなかに住まっていた、「神話」のせいなんじゃないだろうか。

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お気づきのこととは思うが、これは私自身の話である。典型的な自己肯定力の貶めの類型が自分には当てはまらず悩んでいたのだが、今日カウンセリングで話をして来て出た、一応の決着だ。

原因らしきものが特定できたからといって、一気に楽になるということはありえない。明日から自信満々に生きられるか、といえばもちろんそんなことはない。
けれど自分の中に根拠ができさえすれば、どのようにして自分の認知が歪んでしまったのかがわかりさえすれば、応急処置は自分でできるようになる。自分を「これこれこうだから、自分の考えはねじれていて、本当はきっと、こうなのだ」と、考えることができるようになる。

どこかに私と同じような悩み方をしている人がいるのではないかと思ったので、ここに書き留めたものである。もしかしたらいるかもしれないあなたに、届きますように。

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歯塚傷子
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