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同じ材料、二つの料理。それから、放った言葉のこと。

いつも、締め切りがぎりぎりになってしまう方だった。

全てがそういうわけではない。成長するにつれて、タスクを管理して、いついつまでになになにを、ときちんとやれるようになっている気もする。だけれども、どうにも、先延ばし癖が抜けない。

そして、大切にしたいことほど、その傾向は強くなる。

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何度か確認して、もう誤字がないことを確かめる。一度紙媒体にして、赤ペンでもチェックをした。それから、信頼できる友人に草稿のレビューも依頼した。
推敲作業というのが、実はあまり得意ではない。

結局、なにが良いのか次第に分からなくなり、読み返すたびに、これを公表する意味を己に問うてしまうからだ。

レビューをしてくれた友人は、SNSで知り合った人だった。彼女は、私の文章を読んで、とても丁寧な感想文を送ってくれた。それが、どれほど嬉しかったことか。

「私ははつかさんの文章好きです。」
スマホに書かれた文字を、何度も繰り返して読む。

ああ、いいじゃないか。彼女に読んでもらえて、それでもう、満足かもしれない。

それから、一旦パソコンを閉じて、夕飯の豚汁を作ることにした。

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ごぼうを切り、レンコンを切り、灰汁を抜く。大根と人参も。それからこんにゃくは一口大にして砂糖でもみ込むと灰汁が抜ける。

料理をすると、ざわざわしていた心が次第に落ち着いていく。身体と心が繋がっているのだなと感じるときは、こういう瞬間だった。

手を動かしていると、思考が研ぎ澄まされていくのを感じる。こんがらがって見えなくなっていたものは、ほぐしてみると、案外単純だったりするのだ。

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二月の頭に、cakesコンテストの告知があった。
その時はまだ出すとも出さないとも決めていなかった。そもそもnoteを書き始めてまだひと月余り。歴戦の書き手がいるのは百も承知。それに、自分が細々と書いているnoteが、誰かに読まれているのか、不安を持ち始めている時だった。

仲さんの企画を目にしたのは、そんな折だ。

三日ばかりの逡巡の末、やはり自分の文章がどう人の目に映るのか知りたいという気持ちが勝った。

仲さんとのやり取りをここで取り上げることはしないが、やっぱり私は『読んでほしい』のだなと改めて思った。
己の感情の整理や、自分の深淵を見つめることばかり書いておきながら、それでも読んでほしいなと思ってしまうのは、エゴイスティックなのかもしれないけれど。

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豚肉を炒めると、甘い香りがする。豚バラ肉の油はあまいのだ。

それから、ネギを入れる。ある程度炒めた後、大根と人参、レンコン、ごぼう、こんにゃく。レンコンとこんにゃくは少し多かったため、半分は細切りにして人参、それに冷凍庫にあった牛肉と一緒にきんぴら風炒めにする。

材料は似通っていても、切り方ひとつ、調理法一つ、味付け一つでガラッと変わる。料理とは、そういうもので、だからこそ献立を考えるのはパズルのようで面白い。

そう考えると、私がさっき完成させたものも、今までと違う料理方法をしたおなじみの食材だったのかもしれないと、ふと思った。

  〇

病になった当所、ブログを書くように母から言われた話は、以前触れた
当時はそのことを全力で拒否していた私だが、同時に、こっそりと書こうと試みてもいたのだ。

いつか自分が忘れてしまったときのために、あるいは、本当に死んでしまったときのために。きっと、そんなことを考えていたのだろう。

しかし、紙を前にしても、不思議となにも言葉が出てこなかった。

病室のベットの上で、一人真新しいノートを目の前にする。何から書こうか。病院からは富士山が綺麗に見えること。稜線の美しさと、傘雲の壮大さ。樹海が広いという実感。
それか、今日行った検査のことか。血管が細いため、造影剤の注射がなかなか入らなかったこと。
あるいは、静岡だからか、病院食に茶葉を練りこんだパンが出ること。

頭の中で出来事はぐるぐるとまわる。

起筆を情景描写に求めることは、よくあることだ。

だから、こんな感じで書き出してみる。

「皮膚科の病棟は五階にある。エレベーターを降りて左手。病室が並ぶ廊下の突き当りからは、この国一番の山が望める。」

だけれども、いつまでも物事の輪郭ばかり描いていられない。自分が何を思ったのか、己の身に起きていることをどう受け止めているのか。それこそが、きっと「書くことで貴方が楽になる」と言った母の言葉の意味するところでもあろう。

しかし、なにも出てこなかった。
どう頑張っても、言葉に出来なかったのだ。

全てわかった風に、これも私の運命だと受け入れる文章を書いてみる。ちがう、受け入れてなんかいない。消す。

自分の宿命を嘆くような、悲哀に満ちた文章を書いてみる。ちがう、私はそんなに酔っていない。消す。

なにがあろうとも、生き延びてみせると、力強く文章を書いてみる。ちがう、そんなに前向きでもない。これは私じゃない。消す。

きっと、この感情の移り変わりこそが、病を患った人のそれなのだろうと、今なら少しわかる。しかし、まだ中学一年生だった私は、自分の感情をどれか一色に定めて記そうとした。

それは、無謀なことだ。だけれども、書くということは切り取るということで、それはある意味、決まった一色を形作って見せることでもあった。

私は自分の病について、なんども書き直し、なんども破り捨てた。
便せん十数枚にわたって書きなぐり、捨てたこともあった。結局、なにひとつ残っていない。だけれども、何度も繰り返し書き残そうとしたからだろうか、十年した今でも、入院中の事をよく覚えているのだから、おかしな話だ。

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cakesコンテストに何を出そうか、ぼんやりとひと月余り考えていた。中途半端なものは嫌だったが、しかしなにが良いのか分からなかった。

最初に書いていたのは、和泉式部のことだ。

文章には様々な武器がある。文体、語彙、語り口、そして筆者本人がもつ引き出し。私に引き出しがあるとすれば、勉学と病。どちらかでいえば、勉学選びたかった。

しかし、和泉式部の歌について書き始めると、なぜか指が勝手に病のことを書いていた。自然と、春の事を、あの3月11日のことを書いている自分がいた。

まいった、こまった。
自分の傷口を見せて、人の興味を引くようなことを、できればしたくないのだ。それは、結局は『どっきり映像』みたいなコンテンツが人を引き付けるのと同じで、温度差のようなものだと、理解しているから。

しかしどうやら、私の指は、頭は、心は、自分のことを語りたいようだった。語って、どうしたいのだろう。どこに決着を置くつもりなのだろう。あの頃、中学生のあの頃、どうしたって決着が見えずに書けなかったことを、いまどうやって語るつもりなのだろう。

どうしたら、私は自分の傷口を、傷口としてでなく語れるのだろう。

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昔から、締め切りギリギリになる質だった。
それは、大切なこと程そうなる傾向がある。

結局、心は騙せない。書きたいことを、書くしかなかった。

和泉式部について借りてきた本を横に置いて、本棚から伊勢物語を取り出していた。

もし私が自分の病を語るとして、ならばそれは、私が愛してやまないものにささげよう。私を救ってくれたものを語るのに、私の傷が役に立つなら、それほどまでに嬉しいことはない。

大切なこと程、最後の最後まであがいて拘って、そういう癖が、昔からある。

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こうやって、私はきっと、中学の頃から手に持っていた材料を、ちがう調理方法で料理したんだな。

出来上がった豚汁ときんぴら風炒め物を前にして、腑に落ちたような気がした。

ダイニングを拭きあげて、家族の帰りを待つ間に、風呂に入るため湯を沸かす。
この間まで春の陽気を見せていたのに、ここ数日は手足が冷える寒さが戻ってきている。東の方では、雪まで顔をみせたとか。

投稿ボタンを押す私の指が、少し震え気味なのも、おそらく花冷えのせい。

やはり不安だな。本当に大切なこと程、見せたいのに見せられない。きっとそういうものなのだろう。だれだって、ラブレターを渡すときはドキドキするものだ。ラブレター、渡したことないけどさ。

でも、今回のラブレターは特別。初めてというだけじゃない。
私を救ってくれたものへのラブレター。

それも、誰当てでもないのに、もう一足早く「文章が好きです」という最上級の誉め言葉を頂いている。

勝ち戦、これはもうすでに、勝ち戦。

だれと闘っている訳でもないけれど。

えい、と投稿ボタンを押して、それからすぐにパソコンを閉じ、風呂へとむかった。

あとは知らん、なるようになれ。
放った言葉が、どこで誰に届いて、どうなるか分からない。
それは結局、私たちが真に孤独だということだろう。

だけれども、私の放った言葉が、誰かに届いて。
その誰かが、少しでも感じ入ることがあれば。

それはもうきっと、一人じゃないということだ。

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その日の豚汁ときんぴら炒めは、とてもおいしく感じた。

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