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「女」の成長とは「母」になることなのか。(『竜とそばかすの姫』感想)

男の子の成長が父の姿を追い求め、それを超えるものとして描かれることは非常に多い。父を背中を眺め、尊敬し、そしてそれを超えることが、男の子に与えられた試練であり、成長だという認識が、そこには存在する。
では、一方で女の子の成長というのは、どういうものなのだろうか。
『母親になる事』が女の子の成長なのだろうか。
それは、ある種美しい親子の絆や、無償の愛を描いているようで、その実非常にグロテスクかつ押しつけがましい「ケア要因」としての役割を、世の女性たちに与えているのではないだろうか。

女は、「誰かのために身を投げ捨てられる」ようになって初めて、大人になるのだろうか。

『竜とそばかすの姫』の何が問題なのか。

『竜とそばかすの姫』を、私は二回鑑賞した。
理由としては、主人公すず/ベルの声優を担当し、同時に歌も担当する中村佳穂のファンだからである。特に、最後にクジラに乗って歌う〈U〉でのライブシーンは美しい映像と圧倒的歌唱力によって、鳥肌が立つものであった。
二回目の視聴は、そのライブシーンを見るためだと言っても、過言ではない。

だけれども、その内容について「おもしろい」とか「すばらしい」という感想は一度目も二度目も沸くことはなかった。

一度目の視聴後に映画館から出た時、中村佳穂の歌唱力によって浴びせられた「高揚」の裏で、心になにか引っかかるものが存在していることに気が付いた。
それは、二回目の視聴で、より顕著に私の前に姿を現し、物語に感動するどころか、冷めた目で見つめるもう一人の私の存在を強くした。

私が、あるいはこの映画を見た人の一定数が何に引っかかるのか。それは、つまり「女の成長」とはどういうことなのかという問題に行き着くのではないかと思う。

物語のプロットと、そこに潜む「性的役割分担」の影

この映画は弱気で臆病な女子高生すずが〈U〉と呼ばれる仮想世界で歌姫になり、そこで「竜」という存在に出会い、成長する過程を描いている。
すずは幼いころ母をなくしており、そのことがずっとトラウマとして心に傷を負っている。母親は氾濫する川に取り残された幼い子を助け、命を落とした。「なぜお母さんは知らない子を助けるために、わたしを置いていったの」とすずは悩み、心に蓋をする。
そんなすずが心を開放することが出来る場所が仮想空間〈U〉である。すずはBelleとして活躍し、世界的歌姫になる。
〈U〉ですずがであった「竜」はインターネット上の嫌われ者である。「竜」の強さとその裏にある弱さを感じ、強く惹かれたすずは、竜に歌を贈り心を通わせる。
そんな中、「竜」の正体が父子家庭で育つ14歳の少年であり、虐待の被害にあっていることを知る。「竜」正体・恵くんとその弟・知くんを守るため、すずは地元の高知を飛び出して東京まで駆けつける。そして、暴力を振るおうとする父親の前に立ちはだかり、自らを犠牲にしてまで幼い二人を守ろうとする。

この映画は、母親の死を乗り越えるすずの成長を主題としており、それに付随してインターネットの仮想世界や児童虐待などが描かれている。
主人公であるすずが成長するためには、母親の死を乗り越える必要性があった。そのためには、母親の行動原理を理解しなくてはいけない。そこで、プロットは疑似的な『庇護対象』を用意することになる。つまり、「竜」であり、恵・知兄弟のことである。
虐待を受けている二人のために身を投げ出すことではじめて、母が行った「身を投げうってでも人を助ける心」をすずは理解する。

すずは自分が『守る側』になって母がなぜ自己犠牲をしてまで子供を濁流から救おうとしたのかを理解し、自分の過去との和解を果たし、成長をするのだ。

ここで、二つの問題が浮上する。
一つに、「幼く、弱い者のために自己犠牲をする」ことを成長としていいのだろうかということ。
二つに、それはもしかして主人公・すずが「女」だからこそ与えられた成長なのではないだろうか、ということだ。

「女」に求められる性的役割分担について。

ここで一旦『竜とそばかすの姫』から離れ、そもそも現代社会で女性を苦しめ女性に求められてしまう役割とはなんなのかについて、今一度整理してみたい。
もしかして、これを読んでいる方の中には「すずは家事・育児をしているわけじゃないじゃないか!」として、この映画にひそむ家父長制を否定する方がいるかもしれない。

しかし、それは間違いだ。

女性に求められるものは一般に、家事・育児・看護・介護、そして性的なサービスである。多くの女性は、妻として、母として、そして娘としてこれらの行為に否応なく従事させられている。これをまとめて「ケア労働」だとか「道徳的価値提供」と呼ぶ。

大切なのは、精神的ケアも女性に求められる価値提供・性的役割分担に含まれる、という点だ。
たとえば、飲み会でおっさんが武勇伝を話すときに「すご~~い」というのは若い女性の役割であったり、たとえば、男性が失敗して落ち込んでいるときに「よく頑張ってますよ」と慰めるのは女性の役割であったりと、そういうことである。

そしてこれは、家庭内にも同様の形式を持ち込む。
優しい母、厳しい父の構図は、女性の精神的ケア・道徳的価値提供を意味しているのだ。

つまり、家父長制の中で女=母は常に「弱いものを守り、自己犠牲をする存在」として位置づけられているのである。

細田守監督「母親像」。

この映画は、細田守が今まで描いてきた「インターネット世界(『サマーウォーズ』)」、「夏と高校生(『時をかける少女』)」「母の力(『雨と雪』)」、「父子家庭(『バケモノの子』)」の要素をすべて詰め込んだ、細田守の集大成と言っていいと思う。
そして、だからこそ、彼が持つ『女性観』が色濃く描かれ、プロットラインに非常に強く影響を及ぼしていると考えられる。

次に、『竜とそばかすの姫』に影響を及ぼしている細田守の「女性像・母親像」について、『おおかみこどもの雨と雪』から考えてみたい。

『おおかみこどもの雨と雪』は、「おおかみおとこ」と恋をし出産した主人公が、二人の子供をひとりで育てるというシングルマザーの物語である。
この物語には多くの問題があり、それについてはネット上に多くの記事があるため、今回細かい言及は避ける。
注目するべきなのは、細田守監督の「母性信仰」と言ってもいいほどの、母親の描き方である。

主人公・花はいつも笑顔で明るく笑う人物である。つらい時こそ笑顔を、という気持ちのもと、周囲に頼れる人がいないなか一人で子育てを行う。
花はいつだって「理想の母親」として描かれる。
離乳食は自分で作り、「自然はママ」としてあらゆる本を読み知識を身に着ける。常に子供に愛情を注ぎ、育児ノイローゼになるようなことはない。

花は子供が生まれた瞬間から『完璧な母親』であり、迷うことなく子供に愛情を注ぐ存在として描かれているのだ。

果たして、世の多くの女性たちがこれを見たらどう思うだろうか。ワンオペ育児に疲れ、子どもが可愛いはずなのに愛せないと嘆く女性が、この日本には多くいる。そこには、ジェンダーギャップ指数120位の日本で起こる、家事と育児を女性に負担させる構図が強く影響している。
そうした問題をすべて抜きにて「母親は子供を愛し、子どものために離乳食を手作りし、洋服を縫い、常に一緒にいる」と語ることにどんな意味があるのだろうか。
それがしたくてもできない、あるいはそうすることで自らをすり減らす女性たちにとって、『おおかみこどもの雨と雪』は呪いにすら近い映画であると、私は思う。

そして、細田守監督の中には、こうした家父長制社会の中で作り上げられた女性信仰・母性信仰が強く根付いていることが、この映画からは簡単に読み取ることが出来るのだ。

「母親になる」ことを「成長」として描くということ。

『竜とそばかすの姫』に話を戻そう。

先にも述べたように、この物語は主人公・すずの成長を「疑似的に母親になる事」として描いている。
そしてこれは、おそらくすずが「女」だからこそ与えられた成長だろう。

もし、主人公が男であるならば、「立ち向かう」とか「戦う」というところに主眼が置かれていたはずである。しかし、本作はどちらかというと「守る」に主眼が置かれている。
最後のシーンで、虐待する父親を前に、恵・知を守ってすずが立ちはだかるシーンは、それを象徴的に表していると言えよう。

つまり、「女」は「守る存在ができる」=「母親になる」ことで大人へと成長していく、というのがこの映画の主題であり、主張だと言えるだろう。

これを性的役割分担に基づいた価値観による偏見といわずして、なんというべきだろうか?

この映画は、女性を家父長制の中に位置づけ、ケア役としての責務を負わせている。さらに、それを「成長」として描くことにより、母性信仰をより強固なものにしていると言える。
これは、現在の家父長制に基づいたジェンダー感をより強固にし、そこから脱しようとする女性たちに、「女は母親にならねば一人前でない」と告げていることになるだろう。

「現実の女」を描くということ。

細田守監督は、次の記事でこう述べている。

「日本のアニメを見るだけで、若い女性が日本社会で軽視され、真剣に受け止められていないことがわかります」
原文:"You only have to watch Japanese animation to see how young women are underestimated and not taken seriously in Japanese society,"
「日本のアニメで若い女性が神聖なものとして扱われているのを見るのは本当にイライラします。それは現実の彼女たちには何の関係もありません」と細田は明らかに不満を持って言った。
原文:"It really annoys me to see how young women are often seen in Japanese animation -- treated as sacred -- which has nothing to do with the reality of who they are," Hosoda said, with evident frustration.

これらの発言から、細田守監督は自分は「現実の女」を描いており、若い女性の神聖視を行っていないと自分自身では認識していることがわかる。

しかし、前で述べたように、彼の映画は「母性信仰」があふれており、その根源にある考えは性的役割分担であり、ケア労働を女性に求める家父長制が根付いていることはいうまでもない。

また、彼は『竜とそばかすの姫』の発想の元となったディズニー『美女と野獣』について、こうも述べている。

「元の話では、ビーストは最も興味深いキャラクターです。彼は醜く、この暴力を持っていますが、彼は敏感で、内部も脆弱です。」「美しさは単なる暗号であり、それはすべて彼女の外見に関するものです。私は彼女を複雑で豊かなものにしたかったのです。」
原文:"In the original story the Beast is the most interesting character. He is ugly and has this violence but he is sensitive and vulnerable inside too.Beauty is just a cipher. It is all about her looks. I wanted to make her as complex and rich."

『美女と野獣』の美女・ベルは、確かに美しいが、同時に「女に学はいらない」という時代に「本の虫」として描かれている。こうした事実を無視して、ベルについて「外見だけの美女」と評価を下すのは、どういうことなのだろう。
「ケア労働者」として、成長することにより母親となるすずよりも、社会の「女はこうあるべき」という像に反して、読書をし知識を有していくベルの方が、よほど「女としての規範からの解放」を描いているのではないだろうか?

細田守監督は、はたして本当に「現実の女」を描いているのだろうか
彼が見ている現実とは「女は家庭で母親になり、つねに家族の心配をし、ケアをする存在」なのだろうか。もし、それが現実だと思うのならば、それは細田守監督による、ジェンダーの押しつけにほかならない。

そうした社会が求める「女の像」から自分たちを解放しようとすることこそが、現実の女たちが、今必死に求め手を伸ばしているものではないのだろうか。

おわりに

この映画には、本記事で指摘した以外にも多くの問題点が含まれている。
たとえば、女子高校生をひとりで「虐待親」のいる場所に送り込むところや、それを大人たちが止めないところ。
また、虐待していた父親をすずが「妹の力」のようなもので跳ね返してしまうところ。
そして、肝心の虐待については、その解決案が描かれず、「僕もベルみたいに立ち向かうよ」という少年の決意でもって解決として終幕しているところである。

これらの点から、細田守監督は「虐待」や「社会問題」を描くのではなく主人公が「母親になる」装置としてそれらを描いていたことがわかるだろう。これは、現実にはびこる社会問題に対する真摯な態度とは決して言えないだろう。

そして、なによりも、女性をケア労働者として消費する家父長制を「正しく・美しいもの」として描いた罪は大きい。
今一度、この映画が何を描き出しているのかを、多くの人に考えて頂きたいと私は思っている。

細田守監督作品は、日本を代表するアニメーション映画監督でありながら、「好みが別れる」というをよく聞く。だけれども、それは本当に「好み」の問題なのだろうか。
私はそこに潜むものは、もっと根深く、そして時に人を苦しめるものだと感じている。

『竜とそばかすの姫』は、背景美術、アニメーション芝居、CG芝居、そして言うまでもなく音楽・歌、どれをとっても素晴らしい映画であった。田舎の夏のノスタルジーとインターネットを掛け合わせる姿は『サマー・ウォーズ』を、甘酸っぱい高校生の恋は『時をかける少女』を思わせる。

もし、この映画の主題が、「主人公の母親としての成長」でなければ、私はきっとこの映画をもっと楽しめたに違いない。

細田守監督が、日本でも屈指のアニメーション映画監督であることは間違いない。
だからこそ、彼の才能が、現実の女性たちを呪い、縛る方向ではなく、それを開放し、羽ばたかせる方向へ向くことを願っている

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