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草の香り、土の感触、生きるということ #おうち旅行

カブスカウトに入隊したのは、小学五年生のころだったか。そのままボーイスカウトに昇進して、中学三年生の夏ごろまでスカウトとして訓練をしていた。

夏と春にはキャンプ、月に一度はハイキングやサイクリングで過酷な活動。それでも、あの日々は私にとってかけがえのない思い出で、あの場所は楽に息ができる居場所のひとつだった。

夏になると思い出す、草の香りと土の感触。
街ではアスファルトの照り返しで、エアコンがなければ生活ができない。でも、山奥は全く違う世界だ。川の水はひんやりとして心地よく、足には沢の魚が触れる。杉の木がまっすぐと天へと伸びて、指す木漏れ日が穏やかだ。葉がこすれるさわさわとした音は、どこか柔らかい雨を思わせる。

昼は川で飛び込み遊びとし、夜はカレーをみんなで囲む。それからキャンプファイヤーで大声を出して、地面と言うことと、炎ということと、星空ということを学ぶ。

私たちはいつも靴を履いて、アスファルトを踏みしめ生きている。だけれども、一度山に入ってしまえば、そこは泥や土、落ち葉の世界。地面は柔らかく、緑の瑞々しい香りが漂う。

キャンプファイヤーが終わった後に、炭の匂いとともに、夜のひんやりとした空気を肺の奥深くまで吸い込む。まだぱちぱちと燻る炎を見ながら、生きているということを考える。

街では冷房を付けなければ越せない苦しい熱帯夜も、山に抱かれればこれほどまでに静かで穏やかだ。街明かりの届かない場所では、星がよく見えた。

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息苦しい日々が続くと、あの山の奥でのキャンプを思い出す。

けっして、豪華でも楽でもない。訓練の意味を含んだキャンプだから、竹を組んで自分たちでかまども机も作る。それから汚水用の穴や、トイレ穴を掘る。薪だって現地調達だ。杉の葉、ちょうどよい太さの枝、火の持ちが良さそうな幹。両手いっぱいの薪を集めないと、夕飯づくりすらままならないという過酷さだった。

それでもなお、あの日々はいまでも輝いて見える。

文明から強制的に切り取られた二泊三日の訓練。同い年の仲間と囲む飯盒飯。アブに刺されて腫れた足や、ヒルに噛まれて血が止まらない脛すら懐かしい。

そしてなにより、足のうらに伝わる地球という感覚。

水のさわりごこち、土のやわらかさ、その手触り、香り、色。
星と自分と地球が、一直線にならんでいるという、その感覚。

いきるということの、ほんらいの形。


こちらは大学生のときに手伝いに行ったカブスカウトの夏キャンプのお写真。

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