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掌編小説『からだ』

「きっとさ、入るアバターをまちがえたんだよね」
 コンパルの驚くほど苦いコーヒーを、澄ました顔して飲みながらモトコはそう言った。
「アバター?」
 気取って注文したブラックコーヒーは私にはやっぱり苦くって、こっそりフレッシュと砂糖を入れながら聞き返した。そういえば、随分前にそんな題名の映画が流行ったな、見たことないけれど。
「十八年もこの身体に入ってるのにさ、未だにうまく操縦できないもん。ほら」
 そう言いながら、彼女は机の下でロングスカートを巻き上げた。骨格標本に皮をかぶせたみたいな私に比べて、モトコの足は柔らかい曲線を抱いている。中世の裸婦画を見たときのような、何とも言えない引力を感じながら、「はしたないな」と意識して目を逸らす。
「ここ、見てよ」
 たくし上げられたスカートの影に伸びていく太ももの線を意識しないように心がけながら、モトコの指すふくらはぎを見る。青黒い内出血の跡が、三つばかり健康的な肌の上にシミをにじませていた。
「なにこれ、どうしたの」
「いや、わかんない。気付いたらあった」
 思わず、は?という顔をした。なんだそれ。
「そういうことってない?なんかさ、この身体のサイズ合ってないなって思う時。だからぶつけるんだと思うんだけど」
「えー、服みたいに?」
「そう、服みたいに」
 そう言いながら、モトコは自分の手を確かめるみたいに、握っては開いてみせた。つられて、私もコーヒーカップを置いて、両手を握ってみる。それから、めいいっぱい伸ばす。うん、動く。
「いや、わかんないわ」
「ええ~だめ? じゃ、あんたは入るアバター間違えてないんだな」
 不服そうにモトコが唇を尖らせる。それだけわざとらしい表情ができるってことは、モトコだってちゃんと身体を使えてるとおもうんだけどな。そう言おうとしたら、ウェイターのおばちゃんが注文していたエビフライサンドを持ってきてくれた。
「おお、おいしそ。食べよ食べよ」
 うれしそうに、皿に乗せられたサンドウィッチをモトコが頬張る。うまいこと食べられないらしく、パンの端からエビフライが落ちそうになっていた。なるほど、操縦が下手ってこういうことかもな。
 そう思いながら、自分も一つ手に乗って、こぼれないように注意しながら頬張る。
「おいしいっしょ」
 得意げに、指についたタルタルソースを舐めながらモトコが言う。
「なんで偉そうなの」
「だって、コンパルにしようって言ったのわたしじゃん」
 そうだった。四月から花の女子大生になろうというものが、わざわざ都会へと出てきてコンパルに行くのはいかがなものかと、五分ほど口論したことを思い出した。
「せっかく街に出たんだから、もっとおしゃれなとこでもいいとおもうけどな。たしかに、おいしいけど」
「おいしきゃいいじゃん」
 モトコは二切れめに早くも手を伸ばしていた。よほど空腹だったらしい。
「たばこくさいよ」
 そう抗議すると、思っても見なかった、という顔をされた。
「それがいいんだよ」
 意味が分からなかった。
「高校卒業したってさ、煙草、吸えないし。お酒も飲めない。だけれども、副流煙なら法律に触れずに煙草を吸えて、お得じゃん」
 ますます分からない。
「たばこ、吸いたいの?」
 かろうじて、そう聞いた。
「お金かかるし、やだけど」
「じゃあ、なんで」
 自分から出た声が、どこか悲壮感を宿していることがなんとなくわかった。まるで、置いて行かれる子供みたいな、のどが詰まるような、そういう声。
「なんだろな……うーん」
 少し考えるように、モトコが低い天井を見上げる。駅の地下街に入っている喫茶店なんて、どこも狭くてがやがやと騒がしい。ヤニに焼けた壁紙はあちこち黄ばんでいる。モトコの言葉が、おじさんたちの話し声にかき消されないように、天井を仰ぐその顔にすべての集中力を使った。
「……受動的な、自殺。みたいな」
「え」
 ふーん、とか。そう、とか。なにそれ、馬鹿じゃないの?なんて。用意していた言葉が全て喉に詰まって、気道がぎゅうっと収縮するのが分かった。
「……とか、言ってみたりして。やだあ、若者っぽい!ね、今のすごく鬱大学生っぽくない!?やばい、これで大学生デビューも完璧だわ!」
 やけに明るい、心底楽しそうに聞こえる声で、モトコが笑った。
「……どちらかというと、中二病っぽい。後退してる」
 わたしはといえば、そんな言葉を絞り出すだけで精いっぱいだった。

  〇

 それから店を出て化粧品なんかを見た。モトコは終始楽しそうにしていたけど、私の喉にはまださっきの言葉が引っ掛かり続けている。帰りの電車に乗るころには、もう空は月の独壇場になっていた。
 人の少ない電車で、ふたりして席には座らずにドアの近くに立つ。外を飛んでいく街明かりが、遠くて近い。窓に映るモトコの目がどこを見ているのかだけが、気になっていた。
 電車が徐々にスピードを落として、モトコが降りる駅のホームへと入っていく。
「楽しかったね、今日」
 私よりも少しだけ低い背のモトコが、見上げながら小さく笑った。それから、ちょっと迷うみたいに窓のむこうをゆっくり動くホームを見た。
「……上京してもさ、こっち時々もどってくるんでしょ」
「ああ、うん。夏とか春とかには」
「そ、まあ、また連絡してよ。待ってるから」
 モトコが小さくそう言うと同時に、目の前でドアが開いた。ひらりと、あのロングスカートを翻して、ホームに降り立つ。
「じゃ」
 そう言って笑う顔が、なんだかやっぱり、思春期みたい見えた。
 だからかな。思わず、ホームに降りたモトコの柔らかい腕を、私の骨ばった細い指がつかんでいた。
「あのさ、さっきの話」
「ちょ、電車、出るって」
 言われなくたって、わかってる。ホームには出発の警告音が鳴り響いて、駅員さんがこちらを迷惑そうな顔で見ていた。
「さっきの、話なんだけど」
「さっきって、なに、いつの。危ないってば」
「アバターって、話」
「アバター……?」
 きょとんとしたモトコの顔が、けたたましい警告音が鳴るホームで場違いに見えて、変だった。
「このモトコのアバター。間違ってるかもしんないけどさ、けどさ、モトコに似合ってるよ」
 柔らかい腕も、私にはない曲線を纏ったふとももも、全部。これ以上ないってくらい、モトコの身体に思えた。
「え、あ、うん。……ありがと」
 いまいちよくわからないって顔で、そう答えた。いつもは何が起きたってすまし顔してるか、関係ないって笑ってるモトコ表情が崩れるのがなんだか滑稽で面白かった。
「うん。そんだけ。じゃ、また連絡する」
 迷惑そうな顔でこちらに近づいてくる駅員さんに気づいて、パッとモトコの腕を離した。
「あ、うん。また」
「うん、落ち着いたら遊びに来てよ。花の女子大生のひとり暮らし」
 そう言うと同時に、プシューと音を立てながら、ドアがしまった。ドア越しに、自分で言うなよってモトコが笑った。
 電車はゆっくりとスピードを上げて、ホームを離れる。
 手を振ると、モトコもちいさくな手を必死に振り替えした。
 すぐに景色は後ろへと飛んでいき、あっという間に姿は見えなくなる。しまったドアに頭をコツンと付けながら、私はもう一度手のひらを開いたり閉じたりしてみた。
 たしかに、十八年生きていたって、身体の操縦が効かないこともあるんだな。
 指に残る、モトコの腕の感覚を思い出しながら、ぼんやりとそう思った。
『危険ですので、電車からお降りになられる際はドアから手を離してお待ちください。事故に繋がる可能性もあり、ほかのお客様の迷惑にもなります』
 車内アナウンスに、こっぴどく注意されながら、私はいつまでも手のひらを開いたり閉じたりしていた。

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