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人見知りが酷かった

私の一番古い記憶は、3歳の頃の引っ越しの日に仲の良かった友達と、社宅の門の前で、別れを惜しんでいるシーンです。自宅の事は何も覚えていないのに、そのシーンはハッキリと50年近くたっても、写真のように覚えています。

引っ越し先の家は一軒家、家の向かいには小さな公園があり、近所の子供達のメインの遊び場でした。毎日、仲良く遊んでいる同い年くらいの男子2人組に興味をもったのか、紙を丸めただけの望遠鏡で、2人を覗いていたそうです。と言うのも、私はその事をすっかり忘れていたのですが、2人には、かなり面白い知り合い方だったらしく、時々ネタにされていました。2人は1つ上のT君と、2つ上のKちゃんでした。その頃は、いつも3人、時には母親3人の6人で一緒に楽しく過ごしていました。

そうこうしている内に5歳になり、幼稚園に通う事になりました。なぜか2人の通う幼稚園じゃなく、違う幼稚園に通う事になりました。ここでは印象に残る友達は出来ず、母親同士が仲良くなった近所の女の子Cちゃんくらいしか、友達ができませんでした。


発達障がいの片鱗?

幼稚園生活で印象に残っていることは、孤独とは違いますが、ひたすら1人で居たって感じです。通園バスでも教室でも、1人でいる事がデフォルトでした。

ただ、幼稚園では「知能教室」なる特別講座が放課後にあって、その講座が大好きでした。最後の問題を解き終わったら帰れるシステムで、出される問題が簡単すぎたのか、だいたい初めに教室を出るのは私でした。その私を見た母親は気を良くし、ひらがな、カタカナはもちろん、九九を教え始めました。私は母親が喜ぶのが嬉しくて、小学校に上がる頃には全て習得してしまってました。


思えば、最悪な問題児

小学校に上がる直前に、また、引っ越す事になり、全く知らない土地に引っ越しました。そこでは、まず言葉をからかわれました。「変な言葉をしゃべってる」っと、笑われました。何が違うのか私には理解できずに、悔しくて、悲しくて、寂しかったです。気が付けば、終礼の時間にもめるのは、いつも私絡みの話ばかりになっていました。

そんな事が2年続き、また、2年前の家に帰る事になりました。帰れば帰ったで、 また言葉の事で笑われました。同じ思いをまた感じて、クラスで揉める事はもちろん、T君とKちゃんともちょっと、からかわれたくらいで、喧嘩してしまうようになってました。たぶん、今なら冗談でからかってるんだと、解るような事で怒っていたんだと思います。


幼い心に出る、発達障がいの症状

学校では、からかったくらいですぐに怒る、絶好なイジメの対象。男子はもちろん女子にも嫌われ、イジメられていました。そんな中でも、決して私を下に見ない親友と呼べる友達が数人、高学年になった時には出来ていたので、イジメは気にならなくなりました。

イジメの対象にならない、イジメを頑張って止めない、ニュートラルな友達とシッカリと友達になる事で、イジメの被害は軽減する事が出来ると思います。


小学校での天才は、後の劣等生?

あと、勉強は入学前から色々していたせいで、小学校での勉強は問題なく、授業を受けるだけで、秀才連中と同じような成績でした。まるでクイズを解くように、楽しく簡単に正解できました。

が…この頃に、勉強の仕方を覚えておけば、後の苦労を失くせたかも知れないので、今思えば、そこが非常に残念です。


駄文、長文、失礼しました。m(._.)m

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