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ファッション発達障害について当事者が思うこと

皆さんは「ファッション発達障害」という存在を知っていますか?

簡単に言うと発達障害という皮を被った健常者のことです。

僕が中学生の時も「明らかに発達じゃないだろ!」と見える人が「俺ADHDかもしれない」「俺アスペかもしれない」と言い分をコロコロ変えて発達アピールをしていました。

今回はこのことについて考えてみます。

ちなみに以後、ファッション発達障害は「ファッ達」と略します。


ファッ達はなぜ増えるのか?

僕は発達障害の特性が健常者にも有り得る普遍的な弊害のため、
逃げる口実にしやすく、増えてしまうのだと思います。

単に自分の能力が低い健常者だとしても発達障害であるとすれば、
社会的に守ってもらえるご時世なので、そこに依存する癖が
付いてしまうのでしょう。

ファッ達の問題点

問題点は自分で精神的に成長しなくなることだと思います。

発達障害を盾にして人生をやり過ごすのは良いですが、
障害のせいにしたところで自分の能力というのは全く変わりません。

キツく言えば自分の嫌なことから目を背けてただ
逃げているだけの人だということです。

ファッ達が成長するには

ずばり、自分の能力の無さというのを一度しっかり見つめ直して、
改善させるにはどうすれば良いか考え、行動に移すということです。

行動さえすれば結果が良くても悪くても、
必ず「経験」という報酬が得られます。

その経験をもとに、また次にどんな行動をすれば成長出来るかを考え
実践するという作業を繰り返せば良いんです。

(偉そうに言っていますが精神科医・樺沢紫苑さんの本で読んだ内容を自分の言葉に変えて言ってるだけです)


当事者の意見

僕はファッ達自体を悪い存在とは捉えていません。
理由は2つ。

1つ目は昨今の社会は普通の基準が上がりすぎているからです。

周りに合わせるだけでも大変なのに、そこで自分の欠点を
批判されたりしたらそりゃ嫌な気持ちになりますよね。

だから何かのせいにして「自分は悪くない!」と嘘でも思い込みたいのだと思います。

2つ目は発達障害者でも障害を盾に生きている人もいるということです。
当事者もファッ達のような状態になる危険があります。

僕も追い詰められている時は、発達障害の特性を前面に出して毒を吐く
こともありますし、人間辛くなったら逃走本能に狩られるのでしょうね。

普段から障害を盾に努力を怠る堕落した人間になるのには反対です。

総括

今回はファッション発達障害について自分の意見などを考えてみました。

自分と少し違う立場の人間について、気持ちを想像するという機会があまり無かったので新鮮な気持ちで楽しかったです。




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