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龍神様が姿を現すその時まで

今日だけは、スピリチュアルオンリーで行かせていただきます。
超ファンタジーです。エンターテイメントとしてご覧ください。
どうも、発達おじさんです。

最初に申しておきます。
この投稿は、何ら現在進行形で起こっている
自然現象を逆手に取って皆様を煽るものではございません。
個人的に感じた事を感じたままに書いたものです。

私は高校の社会科で地理を選択しました。
元々小学生の頃から地図帳見るのが大好きだったからです。
そして、小学生の頃から日本の形が龍の形に見えていました。
先生に「日本の形って龍に見える〜‼️」と言うと
相手にされなかった記憶もあります。

今でもそう思ってますし、地震は龍神様からのメッセージだと
割と本気で思ってます。
龍神様と人間が、遠い昔に約束をしたのに
人間がそれを忘れているから、
龍神様が色んな災いを通じて伝えているんじゃ無いかな、と。

人間がこの約束を思い出したら、
龍神様が過去にない天災と共に
出現するんじゃなかろうかなと
思っています。

今の世は、白黒はっきりつけて、
自分が正しいだの、これは自分のものだ、
持っているものが多いからどうの、
何も持っていないからどうの、
両極端に偏ってきております。

本来の日本ってもの凄く柔軟で、
様々な民族や文化と融合し、
曖昧さを受け入れてきたと言われています。
そもそも神様が八百万も居て、
仏様もいらっしゃればキリスト様も何もかも
受け入れてきた訳ですよね。
お互いの良いところをも違いも認めながら、
上手に受け入れてきた筈です。

所有物の概念もなく、集落の子どもは全員で育てる。
力のあるものは狩りをして食糧を得、
手先に覚えがあるものは石器を磨き、土器を作り、
皆が生きていけるように出来ることをシェアしあって
皆んなで生きてきた。

だから自然と自分が何が出来るか、
まず自分からやってみる環境があり、
どんなものでも何らかで力になれる余白が集団にあって、
それが普通だったからこそ、縄文時代の1万年は
争いがなかったと言われているんだろうなと思います。
所有の概念では無く、共有の概念。
自我の概念では無く、共存の概念。
分断の社会じゃなく、継承の社会。
それを取り戻しなさいよ、と言われているような気がしてなりません。

で、今大災害が起こって龍神様が現れても
この概念が無さすぎるので、
まだ抑えていらっしゃるのだろうな、と
先日室生龍穴神社をお詣りした後にふと気付きました。

龍神様が姿を現すまで、
自分に出来る事はやっていたいな。
共有・共存・継承の概念を噛み砕いて伝え、
形にして言葉に出来るなら伝え、
それを小さな場所からで良いから
始めたいなと既にnoteでも
発信を始めています。

今日の朝に投稿した障がい受容を皆んなで考えようも
実はこのコンセプトなんです。
自分のものとして自分だけが得をするのでは無く、
皆んなで共有して、皆んなで語り継いでいく。
その語り部が私なら、私が全国行脚しますし、
取りまとめ役が私なら自分でまとめていきます。

その発信点だったり、中継地点でありたいな。
そうしたら、同じ考えをお持ちの方が
きっと集まってきて本来の姿になるのかな。

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