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能力とか客観とか

 先を越されてしまったな、と思った。
 きのうの記事で、来年は1年かけて「幸福」についてリサーチして、「幸福」をテーマに何らかのかたちでのマネタイズをしたい、と述べたが、その方向性はきっとこんな感じになると思う。

 似たような方向で物事を考えている人がいて、びっくりした。
 わたしの場合は、かなり極端な努力至上主義で、「できなかったことを、できるようにする」、「わからなかったことを、わかるようにする」、そうやって「自分の手の届く範囲にある小さな世界を、自分の手応えの内側に置く」ことを、人生において最も重要なこと、と位置付けているのだけれど、世の中の大多数の人間はそうは考えていないということに、30過ぎてはじめて気づいた。

 自分なら、自分の身の回りのことや自分のことを他人に決められたり他人の好きにされるような状況には、つよい絶望を感じるのだけれど、でも多くの人はさほど絶望を感じていないよう。
 これは、これまでの自分の人生で最大の驚きだった。

 では、彼らは世界をどのように見ているのか、そこにはどういうロジックが存在するのだろうか、ということをいろいろ数年間考えて導きだした結論を「幸福」というフィルターを通してアウトプットすれば、ものすごくリーチのあるアウトプットになるはずだ、とわたしは現在考えている。

 わたしは努力至上主義ではあるが、能力至上主義ではないので、自然とバランスはとれるはずだという確信はあるが、きっと理不尽なことを書くことにはなるだろうと思う。
 でも、今年あたりから世の中の論調って「本人の努力」よりも、「運や環境」に重きを置く方向に傾きつつあるので、来年の末あたりには、ちょうど「誰も口に出しては言わないけれど、そうだよね」という空気にうまくジョイントできるのではないか、という読みがある。

 「世の中って理不尽だし、与えられた運命のようなものって跳ね返しがたいけれども…」みたいな、方向性。

 なにを言っているのか、だんだんわからなくなってきたので、いじょう。

 今回、記事を引用した「パンダのポッさん」の注目記事。

 考え方や食の好みが、わたしと近い印象をうけた。たぶん年齢も近いはず。

わたしの活動が、あなたの生活の一助になっているのなら、さいわいです。