#BlackOutTuesday in ニューヨーク 命と差別について考える
きのう6月1日の朝、と言ってもまだ夜中を回って間もない時間にパトカーのサイレンの音で目が覚めた。闇を少しづつ斬り込むかのように断続的に近づいて来る不吉な響きは私の住むアパートの真下で止んだ。窓を開け、まだ冷たい空気の中に首を突き出して下を見ると覆面を含む8台ほどのNYPD(ニューヨーク市警察)の車が交差点の全ての角に止まってその一帯を紫色に浮かび上がらせていた。間もなく護送車がやって来て何人かが逮捕されていると知る。正当で平和的な抗議デモのはずが、政治的な思想を持つ団体が人員を送り込むなどして過激になり警察との衝突が発生、それに乗じて略奪を企てる人たちも加わって不本意に暴徒化している。この日ソーホー地区では高級ブランド店などが被害に遭い、クオモNY州知事はニューヨーク市に対して午後11時から翌朝5時まで外出を禁止する外出禁止令を出すという不穏な事態になった。
そして一夜明けた今朝6月2日、外出禁止令が布かれていたにも関わらず、日中は平和的だったデモが夜になって再び暴力的に変わりミッドタウンにある老舗デパートと周辺の店舗を襲っていたことがニュースで報じられ、愕然とする。ただ、ここではっきりさせておきたいのは、デモには複数の異なる目的の人たちが存在していること。正当な抗議を行っている人、過激化させようとする外からの参入者、そして火事場泥棒。正当に抗議デモをしている人たちに罪はなく、新型コロナウィルスの最中にも関わらず抗議活動をせざるを得ない状況になっているのだ。
その発端は日本でも報道されているように、先月アメリカのミネソタ州で起きた、黒人男性のジョージ・フロイドさんが白人の警察官(注:当時。すでに免職)、デレク・シャウビンさんに首を圧迫されて死亡するという事件だ。それに対する抗議デモが全米の各地に広がっている。きょう火曜日はSNS上にもその影響が現れた。真っ黒い画面と共に#BlackOutTuesdayの投稿で埋め尽くされた理由は、アメリカの音楽業界から発信された、仕事やSNSなどへの発信をきょう1日止めて、その時間をコミュニティーと差別について考えたり学んだりするために費やそうという呼びかけが広がったからだ。
警察官の手によって命を絶たれた人の統計をまとめている「マッピング・ポリス バイオレンス(警察による暴力をまとめる)」という団体がある。
https://mappingpoliceviolence.org/
去年は全米でおよそ1,100人が警察官によって殺されていて、その24%が黒人という数字が出ている。アメリカの総人口においての黒人の割合はおよそ13%だ。この1,100人という数自体が他の国の都市と比べるとダントツの多さなのだけれど、それに加えてアメリカでは生まれ持った肌の色で警察官に殺される確率が高くなるという悲しい現実が2020年の今でも残っている。
この現実の不条理さを、今回ニューヨークタイムズは映像で可視化した。フロイドさんの事件が起きた店の近くに設置された複数の監視カメラと通行人が撮影した映像を元に元警察官のシャウビンさん含む4人の警察官がどのようにフロイドさんを扱ったのかを詳細にリポートしたのだ。それは目を覆いたくなるような辛い映像で、怒りに燃える人々がミネアポリスの警察署に火を放つに至った心理が理解できるほどだった。
私は思う。人は自分の能力で処理できる以上の権力を与えられた、もしくは与えられたと思い込んだときに誰かを差別する。能力がついてこないから勝手な理屈をこねくり回しているうちに非常にシンプルな事実が見えなくなる。私たちの命は誰か以上でもなく以下でもない。生まれてきた命には同等の価値と権利がある。
ニューヨークタイムズのビデオリポートを見ると明らかにシャウビンさんがフロイドさんの首の上に膝を押し付けながら高揚している様子がうかがえる。通行人など周囲から指摘されても彼はまったく聞く耳を持たなかった。シャウビンさんは19年間のキャリアで17回、クレームを寄せられている。そのうちの1件では死亡者が出ている。しかしクレームの詳細は公開されない。警察官は危険を伴う業務であることもあり彼らの権利を守る法律が確立されているのだ。私だって市民の安全を守ってくれる警察官には敬意を払う。NYPDには親しい友人もいる。それでも2013年から2019年にかけての7年間で警察官が多くの人を死に至らせたにも関わらず99%が罪に問われていないという事実には疑問を隠せない。
日本はアメリカとは異なるけれど、同じように重くて悲しい偏見や差別は存在する。同和、アイヌ民族、在日外国人、そのほか多くの個人への執拗ないじめと差別。驚くのはいま日本の弁護士への相談で、自分がSNSで責めた人が自殺などで亡くなり、自分の投稿が見つかると訴えられる原因になるのでは、と心配する人たちが増えているという。反論や意見をすることと誹謗中傷することの区別ができない人が誰かの命を失わせるほどたくさんいるのだ。
そこで思う。今日アメリカで行われた1日だけの#BlackOutTuesdayのように誰もがこの1日、それまでの思考から離れて差別のない世界を想像することができたらどうだろう?自分の差別意識や命への価値観ががどこからくるのか探ることができるだろうか。もし誰かに対して偏見や差別意識があるとしたらそれを可能にしているあなたの自信はどこからきているのだろうか。
夜9時。上空ではヘリコプターのホバリングの音が途切れることなく続いている。鳥の声は消え、代わりにパトカーのサイレンが昨晩とは打って変わって自信を持ったようにその音を高らかに鳴り響いている。昼間のデモ行進から聞こえた声が私の耳に残っている。黒人の命を尊重しようというスローガン「Black Lives Matter」と「Justice! Now!(今こそ正義を!)」。
ニューヨーカーはいま、パンデミックの中を生き残るためのサバイブモードと人種差別へ抗議をするプロテストモードの間でディレンマに陥っている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?