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JFL昇格記念:FC刈谷・門田幸二監督インタビュー

 2020年11月23日、千葉県ゼットエーオリプリスタジアム。試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、歓喜の渦が巻き起こった。苦節11年。地域リーグの舞台でもがき続けたFC刈谷はJFLの舞台に再挑戦する切符をつかみ取ったのである。
 FC刈谷といえば地域リーグの強豪チームの1つであり、地域CLの常連チームとして名前を知っているアマチュアサッカーファンも多いだろう。2006年、当時JFLを戦っていたデンソーサッカー部の休止に伴い、クラブチームとして新たな産声を上げたのがFC刈谷である。2009年の入れ替え戦でツエーゲン金沢(現・J2)に敗れ東海1部リーグに降格。以降、11年間に渡って地域リーグで戦い続けていた。
 刈谷は幾度となく地決・地域CLの壁に阻まれ続けた。その高い壁を突破に導いたのは、就任1年目となる門田幸二監督だった。本記事は赤襷軍団に悲願をもたらした門田監督に2020年シーズンを振り返っていただいた、FC刈谷昇格記念記事である。

チームを変えた意識改革

 門田監督は高知県出身の44歳。長年サンフレッチェ広島やカマタマーレ讃岐で育成年代を中心に指導者を務めていた経歴がある。昨年まで香川県・藤井学園寒川高校サッカー部コーチを務めていた門田氏をFC刈谷に招聘したのは、飯塚亮強化部長との繋がりだった。
 飯塚強化部長は現役時代、カマタマーレ讃岐でプレーしていたことがある。そのとき、トップチームのコーチを務めていたのが門田氏だった。2012年の1年間のみの共闘であったが、飯塚強化部長の推薦により門田氏にオファーが舞い込んだ。
「もう一度飯塚と一緒にサッカーをやりたかった。歴史あるFC刈谷の監督というのは中々なりたくてもなれないものなので、やっぱりチャンスだと思いました」
 そう強く決意した門田氏は長年慣れ親しんだ瀬戸内地域を離れ、刈谷にやってきた。
 社会人チームを率いるのは初めての経験となる門田監督。昨シーズンまでヴェイガ監督が築いたサッカーをベースにしながら、まず手始めに着手したのが選手たちの意識改革だった。
「何度も地域CLに出てて勝ち抜けない理由は何なのか考えて、意識の問題だと思いました。選手1人1人が本当に本気で(昇格を)取りに行こうとしているのか。そこの意識付けを行いました。例えばボールを奪うシーンでも最後にもう一歩相手に寄せられないか、最後に足や体を投げ出してでもできなかったか。1個1個のプレーに対して地域CLでそれで戦えるのか。そう言い続けて考えさせました。常に昇格のために逆算する、昇格のためにプレーする、昇格のために生活する。ずっと昇格する昇格すると耳にたこができるほど言って意識を変えさせました」
 マクロ的にはボールを持ちながら攻撃するチーム戦術を深めながら、ミクロ的には選手個々の意識付けと意識改革を両輪で進めていく。昇格だけを見据えながら進みだしたチームだったが、予期せぬ事態に襲われた。新型コロナウイルスの感染拡大である。

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