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大人になってから食べる母のお弁当

数年ぶりに家族4人で旅行をすることになった日の朝、離陸前の羽田空港で、母は「はい、あやの分。飛行機の中で食べたら?」とお弁当を渡してくれた。私にとっては突然の嬉しいサプライズ。もう最後に母の弁当を食べたのは、10年以上前だもの。

旅先で捨てられるようにプラスチックでできた弁当箱を見てみると、つやつやに炊かれた筍の炊き込みご飯の上に、分厚くふっくらと煮た甘い椎茸が並んでいる。黄色い卵焼きにほうれん草の胡麻和え。シンプルだけど好物ばかり。空腹の私はたまらず、ひとりで飛行機に乗り込む前のターミナルでお弁当をかきこんだ。

いやぁ。なんでこういう時のお弁当って、やたらと美味しいんでしょうね?


小さいときは特に何も思わなかったけれど、大人になった今ならわかる。旅行前は旅程の確認や予約、チケットの準備や荷造り、荷運びと、とにかく忙しい。そんな中で母は、いつ4人分のお弁当をこさえたというのだろうか。自分がやれと言われたら少しゾッとするし、なかなか真似できないなとは思いつつも、ありがたくいただいた。

家事は、自分がやらなければならない状況になって初めて「当たり前ではない」と気づくことができるものの代表格だと思う。親元を離れてひとりで暮らせば、部屋は勝手に綺麗にならないし、ご飯は黙っていても出てこない。炊飯器の米は外に出して冷凍しておかなければ平気で腐るし、綺麗なパンツもバスタオルも勝手に補充されことはない。頭ではわかっていても、実感するのは家を出てからだった。

たまに実家に帰ると、家事に対して当事者性を帯びた人間として、いろいろと視点が変わっていることにも気づく。

ああ、お母さん。そんなにたくさんお皿出さなくていいよ、あとで洗うのが大変じゃん。こんなに品数作ってもらっちゃって、手間がかかったでしょ。え?お米もらって帰っていいの?結構高いのに、ありがとうね。わぁ、季節の果物なんてなかなか自分じゃ買わないから、食べられて嬉しいよ。あ〜、海老が冷凍の小さいやつじゃなくて、ブラックタイガーじゃないのこれ。

どれも、実家にいた頃には思いつきもしなかったことだと思う。当たり前に目の前に出された食事をただむさぼり、勉強や部活に時間をなるべく使えるようにたくさん世話を焼いてもらったことにやっと気づく私であった。

女性の役割として当然視されてきた無賃労働の家事は、資本主義社会においてその価値を軽視されてきたというのもある。そんな否定するべき構造に、まんまと自分も飲み込まれていたのかもしれない。そういえば叔母の長男もひとりで暮らすようになってから、実家では母の台所に立つ姿を見ると横に立つようになったと聞いた。彼にも、私と同じような気づきがあったのだろう。

それにしても、あの空港で食べた母のお弁当は美味しかったといまだに思い出すことがある。中高生のときは毎日のように作ってもらっていたお弁当だけど、この歳になって作ってもらえると本当に嬉しい。エッセイに書いてしまうくらいには嬉しい。

でもそんな嬉しさを感じられるのは、これまで親元を離れてから毎日自分の生きる糧をつくっては食べ、身と心の肥やしにしてきたからなのかもしれない。そう思うと少しだけ自分のことも褒めてあげたくなった。

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