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映画「ふたつの部屋、ふたりの暮らし」感想

2019年、フランス。
監督/フィリッポ・メネゲッティ
出演/バルバラ・スコヴァ マルティーヌ・シュバリエほか

フランス郊外の古いアパート。その最上階の向かい合う二つの部屋。住人である70代の女性、マドレーヌとニナは20年来の恋人どうし。
夫と死に別れ、娘と息子とつかず離れずの距離を保ちながら暮らすマドレーヌ。ずっと独身のニナ。二人はアパートでの静かな暮らしを楽しみながらも、部屋を売り払ってローマで共に暮らすことを計画している。そのことを子どもたちに話すようにマドレーヌに迫るニナ。どうしても言えないマドレーヌ。ニナは怒り、そのことにショックを受けたのか、マドレーヌは脳卒中で倒れてしまう。
しばらく入院したもののアパートに戻れたのは良かったが、住み込みの介護士つきで、車椅子に乗りぼんやりと空を見つめるマドレーヌの意識ははっきりしない。色々と言い繕ってはマドレーヌのそばにいようとするニナに、介護士や娘が立ちはだかるのだった・・・。

老齢のビアンカップルという設定がなかなか斬新なこの作品。
そばにいたいがために、今まで使っていた合鍵でこっそりとマドレーヌの部屋に忍び込んだり、話を聞いてくれない娘の家に押しかけたり、挙げ句には投石して窓ガラスを割ったりと、ニナがどんどん常軌を逸していく様子はまさにサスペンスなのですが、それが日常生活の延長線上にある自然さでもってリアルに描かれます。
70代という年齢にして、あそこまで情熱的に相手に執着できることも、二人が睦まじく暮らしてきた年月の重みと、誰も知る人のいない町で二人で自由に暮らしたいというレズビアンカップルの切ない願いに思いを馳せれば、納得できます。おそらくマドレーヌと違ってずっとビアンとして暮らしてきたニナにとって、マドレーヌは失いたくない最後の人。だからこその執着なのです。
 
作品冒頭の、公園でかくれんぼする二人の少女のシーンも、ニナの寂しさを感じさせます。
黒ワンピースの女の子が、カラスの鳴き声をたてながら(モノマネではなく、本当のカラスの声が女の子の喉から飛び出してきます)白ワンピースの女の子を探し回ります。見つかりそうで見つからない白ワンピースの子。そのまま映像は老齢女性に移り、話が始まるのですが、途中で、ニナが見る夢の中で、池から死んだ白ワンピースの女の子を引き上げるシーンがあります。女の子が出てくるシーンはそれきりなのですが、これは、ニナの子どもの頃から抱いている心象風景を表しているのでしょう。いつもいつもニナは、愛する人を探し回っていたのです。
ただ、あのカラスの声は何を表しているのかしら。自分を異形の者と捉えている? もしくは、自分の声は誰にも届かないという諦念? どっちにしろ、ニナの孤独の表象には違いないでしょう。

健康で自由に暮らせるうちはともかく、病気などで独立生活が営めなくなったときに支障をきたすのは、何も同性カップルのケースばかりではないでしょうが、それにしても同性カップルには障壁が多すぎますね(LGBTQという言葉がもてはやされる昨今ではありますが)。そういう意味でも、少しずつ意識を取り戻したマドレーヌがニナを頼り、またニナは断固としてマドレーヌ奪還に動き、ようやくまた睦まじく抱き合うことができたラストシーンは、本当に素敵でした。

恋人どうしを傍から眺める側としては、高齢の二人はやはり肌も髪も決して美しくはなく、最初は抵抗があったのですが、次第に、人生の酸いも甘いも知っている二人が穏やかに抱き合うシーンの味わい深さに引き込まれていきました。

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