甘醤油派の思い出
私の両親は共に鹿児島出身で、私は今も父の住む鹿児島に定期的に帰省している。
ちなみに母も健在だ。
離婚をしたので母だけ埼玉に残り、私の家からさほど遠くない距離に住んでいるだけの話。
話が逸れたが、今は亡き母方の祖父は漁師だった。
自分で船を持っていたわけではなく、乗組員として海に繰り出すタイプの方。
確か小学生くらいのときだったと思うが、「おすそ分け」と言って普通に魚をもらった祖母を見て驚いた記憶がある。
普通に生魚丸々玄関で受け取る光景は、なかなか衝撃だった。
当時祖父はもう海に出ていなかったけれど、当時の人脈がきっとまだ生きていたのだ。
そうでなければ「おすそ分け」だと言って魚を丸々むき出しで持って来る方も、受け取る方も全く動揺していないのはおかしい。
今思い出しても私は未だに動揺するのだから。
そんな恵まれた地に帰省しながらも、幼少期の私はアンパンマンのパンとか、トゥインクルチョコレートとか、「別にそこじゃなくても食べられるでしょ」ってものを好んで食べていた。
あとは芋煮。
芋の種類は問わない。
祖母という生き物はどうしてあんなに芋を煮るのか。
そしてそれを「お腹いっぱい」だと言っている孫の腹に無理矢理詰め込もうとするのか。
帰省したとき私はいつもお腹いっぱいだった。
だから、お刺身を食べるのが遅かった。
小さいころからずっと行っているのに、なんなら弟は里帰り出産で生まれたので居住していた時期もあるのに、「お刺身は大人の食べ物」という認識だった。
小学四年生くらいのとき、ようやくお刺身を食べた。
それが感動するくらい美味しかった。
「感動するくらい美味しかった」という思い出が残るくらい美味しかったのだ。
そりゃそうだ。
鮮度抜群だからね。
身がぷりぷりしてて本当に美味しかったのよ。
で、そのとき私が使った醤油、甘醤油なんですよ。
鹿児島なんで。
九州の醤油は甘い。らしい。
私は鹿児島しか知らないので偉そうなことは言えないけれど、噂によるとそうらしい。
こっちの醤油はしょっぱい。
全然味が違う。
だから大人になった今も、お刺身は田舎から送って貰った甘醤油で食べている。
あの醤油で食べると美味しく感じるんだよね。
美味しい記憶と結びついているから。
こっちで普通に手に入るといいのになあ、といつも思う。
鹿児島から埼玉の送料って結構かかるし、液体だから重量増えて余計高いんだよね。
でも、どうしてもそれじゃなきゃダメなのだ。
出来れば寿司店にも常設して欲しいくらい。
はま寿司さんは置いてくれているので、毎度感謝しているんだけれども。
これだけはどうしても譲れない。
刷り込まれてしまった覆しがたい食への執着。
きっとみんなそういうのあるよね?
と思いながら今日も私は甘醤油でお刺身を食べる。
安定の美味しさに満足している次第です。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
次回以降もお付き合いいただけると嬉しいです。
それではー。
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