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ロスジェネ世代とマツメイラス

11月に松本山雅FCに行った時のコンテンツが概ね出揃ったので、一度まとめます。今回は自主運営している『必死なウェッブラジオ ハトトカ』の収録をしつつの旅でした。

ただ、一緒にいった相棒のマツメイラス松田(@ボンビー)が本当にポンコツで……。本当に……。本当に……。

ぼくが運転するので番組の進行はすべて任せるという大主役に任命したのに、それを完全に忘れていつもどおりに何の準備もなく、ノープランで現れました。

まじか。こいつまじか。

その結果――。

バラエティにしたいという気持ちが強かったのですが、運転、アポイント、旅の組み立て、番組の進行をすべて請け負う羽目になった鳩の疲労を観察するドキュメンタリーになりました。あ、鳩というのはぼくのことです。もともとはmixiネーム、からのバスケットボールのコートネーム、そして今ではラジオネームです。

マツメイラスは常に人生崖っぷちですが、今まさに転がり落ちている最中なので、もうそれはしょうがない。アリとキリギリスでいうとキリギリスです。この先飛翔するとは思えませんが、低空の断続飛行くらいはするかもしれないので、生暖かく見守っていこうと思う所存です。

とまぁこう書いてきましたが、話のネタにはなる男ではあります。あんなダメ男、あんなクズはどうしようもないという主題ではありますが、話題性がある男であることも間違いありません。天然でそういうキャラクターなので、努力もせずにキリギリスをしてきたので、今は崖から転落しているところですが、手は差し伸べません。というか、金もなく、未来があるとも思えず、努力もしてこなかったアラフォー男性には手を出す人はあまりいません。

先日、ウェッブディレクターなどを務める澤山大輔さんと、我々ロスジェネ世代の悲哀について話しました。内容については、澤山さんが友達限定公開したものに基づいているのでここには書きませんが、結論だけは明瞭です。

我々ロスジェネ世代は、他の世代よりも努力して努力して努力して、それを継続し続けて、本物の強い存在へと自らを高めるしかないのだと。

就活で箸にも棒にも引っかからなかった大学生の時のぼく。東大でも100社以上面接で落とされる友人がたくさんいました。

今はみんな気軽に入って気軽にやめていくイメージがつきつつあるリクルートという企業がありますが、ぼくの友人は若い女性の面接官にボロクソに言われて落ちたそうです。

もちろん、その男にも問題があったかもしれません。しかし、彼はいま、某大手省庁の出世コースに残っているそうです。事務次官まで行ったら嫌だなと思うものの、それもありえるんじゃないかという雰囲気なのだそうです。日本を取り回す能力を持つ人が、リクルートの面接でボロカスに言われる時代だったわけです。

当時は無自覚でしたが成年性の発達障害があったぼくが就職できる状況ではありませんでした。当時流行っていたIT系にも、新聞社にも、編集者にも落ちました。面接では必ず不勉強を怒られました。自衛隊の面接にすら行きましたが、こちらも最終面接で落ちました(ペーパーテストは通りましたが)。

おかげで自分なんか生きている価値はない、社会にはまったく必要とされていないといういじけた気持ちをもって生きてきました。しかし、大学院に入り、猛烈に努力したことで結果を出しました。それでも、大学院には最終的に適応できなくなります。

「おまえの文章など読みたい人がいるわけがない」という言葉を送られながら世に出て、記事を書いたり、話をしたりという毎日を送っています。

ぼくのような暮らしをしている人間を見て羨ましいと思う人もいるかもしれませんが、ぼくに言わせればちゃんとした企業に就職して、週末にゴルフをしている人が羨ましいです。ただ、その生活では満足できなかったかもしれません。

ぼくは、表現をするのが好きです。

表現とは、自分の感情や人間性を、何かの形へと変換させていくことです。

それは文章だったり、歌だったり、絵画だったり、彫刻だったりします。ぼくの場合は、「お話」です。エッセイやラジオ、あるいは創作がぼくの領域です。

ただ、表現という行為は、あくまでも自己満足であり、社会活動には結びつきづらいです。つまり生きていく糧であるお金を稼ぎづらいです。

お金を稼ぐためには、自己満足ではなく、他者満足が必要で、そのために汗を掻き、代価としてお金をいただきます。

それを達成するためには、自分の活動がどうやったら他人の満足につながるのかを必死に考えて、それを達成できるために、努力をし続ける必要があります。努力、努力、努力です。

我々ロスジェネ世代にはうまい話は転がっていませんでした。しかし、おかげでぼくは自分らしい主体的な生を得ました。

書くと話す。この2つを仕事にしていけることを誇りに思っているし、これからも続けていきたいと思います。命が失われるその日まで。

進み続けます。




というわけでどこにいるのか知らないけど、頑張れマツメイラス。自分で努力しないことには何も打開できない。誰も助けてくれない。信じられるのは自分の努力のみ。

ぼくも努力を続けよう。

さあ踊ろう。踊り踊りて墓場まで。

これは、90歳を超えた踊り手のおばあさんが、言った言葉なんだそうです。表現に終着地点はありません。行けるところまで行きます。可能な限りコンテンツを残します。そして、なるだけ多くの人に見てもらえるようにします。

ぼくの表現は、放って置くと消えてしまうほど弱々しいものかもしれません。実際に多くのものは特に反響も得ず、時間の流れの中にかき消えていきます。それでもやっていこうと思っています。

ぼくがいること、ぼくが話すこと、ぼくが書くことで、ほんの少しでも励まされる人がいればいいと思っています。ほんの少しでも救われる人がいたらいいのです。

次の瞬間には忘れてしまうかもしれないし、多くの場合ぼくには一銭も入りませんが、それでもいいのです。稼ぐという行為は、生きていくために必要ですが、それはあくまでも生存するために必要なことであって、表現をするために必要なことではありません。

さあ生きよう。

ぼくにとっての生は、書くこと、話すことなのだ。


この話を今まで自分が書いたものにつなげるとしたらこのあたり。


そして成果物としての一冊の本。


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