後編・FC東京サポーターを6年で卒業することにした 【続・サポーターをめぐる冒険】
前編はこちらから。
さて、強面の長谷川健太監督が現れたことでFC東京は以下のようなことを徹底し始めた。
[1]ガムを噛まない
[2]ソックスを上げるなど試合中と同じ服装とする
[3]必ず返事をする
[4]早目に練習場へ来る
これを見て思った素直な感想。
えっ?どこの幼稚園ですか?
我々が応援していたのは大人のチームでもなく、ユースでもなく、幼稚園だったのだ。
ガムは噛んではいけない。練習時にちゃんとソックスを上げる。そして、先生が何かを言ったら「はい!」と元気よく返事をする。遅刻ギリギリで練習に来ない。
これを徹底することで、FC東京は優勝争いをする強豪クラブへと生まれ変わった。
嘘のような本当の話。
FC東京というチームを応援していると、少し歯がゆく思えるところがあった。最後の最後で根性が足りない。ボールへの執着心が十分ではない。リードすると少し油断する。良い形を作ろうとするあまり我武者羅にプレーすることが出来ない。
もちろん全選手ではないのだが、全体的な傾向として一生懸命さに欠けていた。それは、どの試合も鬼のような形相で襲いかかってくる鹿島アントラーズや、J1としてはタレント力が低いものの、力強く駆け回ることで戦績をあげていた湘南ベルマーレなどと比較すると、その差は瞭然であった。
もしかしたら、昔は違うチームカラーだったのかもしれないが、ぼくが見始めた2013年からは軟弱な部分があると批評されていたように思う。そういう状況の中で全力で走り続ける米本拓司選手や石川直宏選手が人気があったのは、ある種の歯がゆさを吸収してくれたからだろう。
FC東京は選手にとっては快適なクラブだ。東京の近くにあるので(東京の外れにあるのでこの表現)、友達も多いし、合コンやら彼女捜しにも苦労しない。また、サポーターに発見されないで済む飲み屋などのデートスポットも多数ある。キャバクラにいっても選手だとバレることもあまりないだろう。
そんなこと関係あるかと思う方も居るかもしれないが、20〜30代の若い男性にとっては大問題なのである。
地方だとなかなか大変らしく、松本のキャバクラにいくとすぐにバレるという噂を聞いたし、長野でもナンパスポットが長野駅前なので悲劇も生まれたと聞いている。鳥取では、チャラついた格好をしてイオンなどをうろつくと、岡野GMに締め上げられるらしい。すべてはサポーターの噂なので話半分で聞いて欲しい。
これは半分冗談なのだが、半分は本気で言っている。選手によって、「めぐまれた環境に対する適正」は異なり、ぬるま湯につかってしまう選手もいれば、自分で目標を決めて努力を続けられる選手もいる。
FC東京は、給料もある程度いいし、代表監督がしょっちゅう来るため日本代表にも選ばれやすい。その上、幸か不幸か、優勝争いなどのプレッシャーかかる場面も少なかった。海外進出を狙う野心のある選手を除いては、国内でこれ以上キャリアアップする必要もない。やはりぬるま湯なのだろうと思う。
その結果がこれだ。
[1]ガムを噛まない
[2]ソックスを上げるなど試合中と同じ服装とする
[3]必ず返事をする
[4]早目に練習場へ来る
体育会系の怖い先輩である長谷川健太監督は、風紀を引き締めた。そして、次第に戦術を浸透させていった。
長谷川健太監督の戦術を詳細に語るほどは理解していないのだが、しっかりと守りを固めて、ボールを奪取してから勢いを付けて襲いかかっていく戦術であった。一度相手の技を受けて、大技で返すというストロングスタイルであった。
そして、FC東京は優勝争いをするチームへと生まれ変わっていった。
ところで、東慶悟選手。
長谷川健太体制の2年目である2019年に、キャプテンに選ばれることになるのだが……。私見ではあるが、ザ・ぬるま湯入浴中の選手であった。
才能に恵まれた大好きな選手なのだが、東京のぬるま湯を象徴していたように思う。そのぬるさにはサポーターは薄々気づいたのだが、下記のインタビューで疑いが確信に変わった。
東「どこかで向上心が薄れていたのかもしれない。口では満足していないと言っていたけれど、どこかで満足していた。(ロンドン)オリンピックにも出て、今思えばそれに満足してしまっていた」
緊迫した試合中は、負けず嫌いの顔が現れた。だが、普段の練習になると、どこか気乗りしない日もあった。練習開始の1時間前にクラブハウスに顔を出し、日々のために万全の準備を施す仲間の存在も知っていた。
「このままじゃダメだと…」 FC東京MF東慶悟、紆余曲折の7年を経て描く“10番像”
このインタビューをみて感じたのは「やっぱりそうだったよね、東さんはちょっとやる気なかったよね」であった。
ともあれ、我がFC東京はガムを食べなくなった。
長谷川先生が話しているときに、ちゃんと聞くようになった。
返事をしなければいけないからだ。練習にもちゃんと気合いを入れてこないといけなくなった。
書いていて情けなくなるのだが、これがFC東京であった。
ぼくがスタジアムを離れていた2016−2017年には、身の回りのサポーターも少しずつスタジアムから離れていった。フォローしている東京サポも次第にサッカーのことを呟かなくなっていった。
しかし、長谷川健太監督が変えてくれた。悪癖を修正した!!東京からガムを取り去ってくれたのだ!!
東慶悟は、持ち前のテクニックと視野の広さを、より高いプレッシャーの中で発揮できるようになった。
ハードワークを続けられる永井謙佑やディエゴオリヴェイラも加入し、橋本拳人は日本代表クラスへと成長していった。
2018年からFC東京は再び熱を取り戻していった。
しかし、ぼくはまだスタジアムには戻れなかった。
当時は子供が5才と1才で、二人とも保育園に預けていたため、月15万円という保育費がかかった。
この世の地獄である。
保育費だけで済むのならいいのだが、二人もいると時間が削られていく。
何度か東京の試合を観に家族で味スタに行ったのだが、寄り道やら道ばたに座り込んでのイヤイヤやら歩みの遅さやらで、片道2時間半もかかった。
優勝争いするFC東京を尻目に、スタジアムに戻ることはなく、便利すぎるツールDAZNで試合を観ていた。といっても、かつてのように熱狂してみることはなく、何か作業をしながら流しているというような見方をしていた。
熱というのは、一度冷めるとなかなか戻らないものらしい。
ましてや「熱狂」という状態は、自分ではコントロール出来ない。わけもわからずに巻き込まれて、夢中になり、取り憑かれたようになってしまう状態が「熱狂」なのだ。
今年はもう少しちゃんと観ようかなと思う程度では、熱狂的なサポーターにはなれない。
2018年のぼくは、FC東京に戻りたいけど、仕事が忙しいし、一度離れてしまったから何だかなぁと躊躇している状態だった。
そんな中、突然日本代表監督をしていたハリルホジッチ氏が解任された。この件には怒った。烈火のごとく怒った。FC東京をそっちのけで、とにかく怒った。メロスは激怒した。
その時に怒りを何とか抑えながら書いた記事がこちら。
この騒ぎについてはここでは詳しく語らない。サッカーについて深く考える機会となったことや、五百蔵容さんに代表される戦術分析家と話す機会が増えたこと、そしてニコ生公式で裏実況番組のMC役に抜擢して頂いたこともあって、サッカー熱が急速に高まった。
そして、ワールドカップとは4年に1回だけ訪れる幻のような大会である。終わってしまえば、次は4年後。もちろん2次予選、最終予選はあるのだが、日本代表が強くなったことにより大きな盛り上がりとはならなくなっている。
そのため、ワールドカップで高まった熱は、毎週末に開催されているJリーグへと向かうことになる。もちろん海外リーグへと興味を向ける人がいるのだが、睡眠不順になりやすい自分としては海外リーグは視聴するのがつらいのだ。
というわけで時代は再びFC東京へ。
ワールドカップ関係で知り合った人を集って味スタツアーをするなど、それなりにFC東京を満喫していた。しかし、どこか一歩引いたところから応援していた感は否めない。
前述した通り、一度冷めた熱はなかなか戻らないのだ。長らく2〜3位を維持するなど、優勝争いの一角でもあったのだが、突然頭を切り替えて、熱心なサポーターへは戻れなかった。
もちろん2016−17年の暗黒時代であっても、自分のことを「FC東京サポーター」だと名乗ってはいた。しかし、「ゆるサポです」とか「一応応援してます」というような逃げ道のある表現をしていた。
それはチームの動向を細かく追えておらず、また、スタジアムからも遠ざかっていた引け目のようなものがあったからだ。
とはいえ——。
サポーターかどうかは他人が決めることではない。自分が決めること。ただし、クラブや他のファン・サポーターに大きな迷惑をかける人は、フーリガンでありサポーターとは言えない。
これがぼくの考えだ。
だからサポーターではあり続けたのだが、武藤嘉紀や石川直宏がピッチを駆け回っていた頃のように、情熱的なサポーターには戻れないように思っていた。
だから、ちょっと後悔もしていた。
FJまりこのように、特定のクラブのサポーターにならず、色んなスタジアムへと赴く方が自分には向いていたんじゃないかとも思えたからだ。一度サポーターを名乗ると、「やーめた!」と言うのも言いづらいし、また気まぐれで戻ってくると言うのもどうも仁義に欠ける気がする。
何より、一度は青赤に脳内がすべて埋め尽くされた経験があるので、愛着は強く残っていて、離れたいとは思わない。
だから、スタジアムには戻りたいのだが、保育代は高いし、子供を連れて行くとしんどいし、子供を置いていくと妻に負担がかかるし……。思考はグルグルと回り、東京の試合よりも子供達をスシローに連れて行くことを優先した日もあった。
2018年は、ここで優勝されても、ぼくは素直に喜べないなと正直言って思った。こんなことを言うと怒られてしまうので言わなかったが、「今年は優勝しないで!ぼくがスタジアムに戻るときまで初優勝はとっておいて!」と思っていた。
そんなぼくが2019年はこっそりとスタジアムに戻っていた。前半戦については、全部とは言わないがホームの試合は積極的に見に行っていた。
何故か。
長男が保育園を卒園し、義務教育となったことで保育代が浮いて家計が少し楽になったのもある。でも、一番の理由はこれだ。
FC東京にスターが戻ってきた——。
久保建英
2018年の開幕戦で途中出場した時には、まだ頼りなかった。日本代表の屈強なCB、うにょんと手を伸ばすことで有名な槙野選手のチェックに、吹き飛ばされてフラフラしていた。
明らかにフィジカル不足だった。一方で、槙野選手が手を出さざるを得ないくらいなので、超一級の鋭さを備えていたのも間違いない。
ただ、「まだJ1は早いよな」という印象だった。
その後横浜F・マリノスにレンタルに出された。その時の試合は追っていなかったのでコメント出来ないのだが2019年にはFC東京に戻ってきた。
リーグMVP級の大黒柱として。
2019年の久保建英は凄かった。本当に凄かった。目を見張るほど力強く、どれだけプレッシャーが来ていても縦横無尽に動き回った。そして、ゴール前へと進むと必ずチャンスとなった。
久保建英がバルサへと入団が出来たのは、テクニックでもキック技術でもなく、独特の得点センスを持っているからだと何かで読んだ。そして、それは紛れもない事実であった。スタジアムで見る久保建英は、動く得点チャンスであった。
FC東京は、久保建英の活躍もあり、12節まで無敗であった。その後いくつか取りこぼすものの、横浜F・マリノスには4−2で勝利した。
そして、その試合を最後に久保建英はスペインへと旅立った。
味スタのバックスタンドの前列へと一人潜り込み、久保建英のボールタッチに舌鼓を打つ生活が終わってしまった。久保建英のプレーは本当に面白かった。
力強く、華麗で、常にゴールをイメージしていた。まぁこういうパスを出すだろうという予測を良い意味でいつも裏切ってくれた。本当に本当に本当に本当にスペシャルな選手だった。
しかし、久保建英は去った。
あと半年いてくれたら……。
武藤嘉紀の時も思ったことだが、欧州リーグへと移籍するとしたら夏がベストなのだ(夏がシーズンオフのため、冬に移籍すると既に完成したチームに途中合流することになるので苦労する)。
1位をキープしていたFC東京は大黒柱を失ったことで一気に崩壊しはじめた。
というのは大嘘だ!!
明らかに攻撃のオプションは減り、苦しい展開にはなった。しかし、FC東京は若干失速はしたもののしぶとく勝ち点を積み重ね続けた。
時にはディフェンスラインからのロングボールで、時にはアルトゥールの奇跡のゴールで、あるいは、新星・渡辺剛のヘディングで、さらには試合終了間際の森重のシュートで!!
特に感動したのが、アウェー8連戦の最後となったヤマハスタジアムでもジュビロ磐田戦であった。ジュビロは今年は成績が残せなかったものの、シーズン途中から就任したフベロ監督のもとで、次第に調子を上げていた。
FC東京は室屋が獲得したPKをディエゴオリヴェイラが蝶のように舞って決めて1−0とした。その後、追加得点の気配はなく、次第に磐田が圧力を強めていく。
そんな中、最後の最後まで永井謙佑とディエゴオリヴェイラが、必死のプレッシングを続けた。もう疲れているはずなのに。チームのために走りに走った。ディエゴは途中で交代したが、永井は最後の最後まで、バカみたいに、愚直に走り続けた。
DAZNを通じて、走る永井の背中を見ながら、自分の中に青赤への熱が戻ってきていることに気づいた。
永井GOGO 永井GOGO 永井GOGOGO!!
いつからだっただろうか。アウェー8連戦は一度もスタジアムで観戦していなかった。だけど、「ながら」でぼんやり見ていた時代はすっかり忘れたように、大声を出して応援しながら観戦するようになっていた。FC東京を知った頃の、あの熱が、再びぼくの脳内を青赤に染め上げていた。
「パパは、サッカーの応援をするから遊べないよ。終わったら一緒にマイクラやってあげる。だから2時間はパパに話しかけないで!!」
相も変わらず子供はサッカーに興味がないのだが、鬼気迫る様子に何か感じることがあったのか、観戦中は大人しくしてくれた。というか前を横切ると「前に立つな!!どいて!!」と大声で怒られるからなのかもしれないが。
試合は勝ったり負けたりで、絶対に勝つぞと意気込んだ鹿島戦は開始早々に失点した上に、ボコボコにされて2−0で負け、口をあんぐり開けて空を見上げた。
降格圏にいた松本戦はまさかの0−0で引き分け。
鳥栖戦はひほじゃlじゃlksjとあj;せj;lktじゃ;けj;おktじゃ;おdじょぴあjぽいjrtじゃおじょj(うまく言葉にならないのだが、怒りの表現である)。
内部問題で調子を崩していた湘南にも何とか引き分けた。ゴール裏2Fで一人観戦をしていたぼくは、アディショナルタイムの最後の最後で森重が決めたゴールに絶叫した。そして、咳ぜんそくの発作で死にかけた(人にはうつりません、念のため。花粉症みたいなもの)。
肺がひっくり返るようなショックとともに、FC東京が勝ち点を何とか1つ取れたことに喜んだ。隣の席に座っていた人はハイタッチしようと立ち上がったのに、ぼくがしゃがみ込んでえづいているので不思議そうな顔をしていた。だが、ぼくは満足だった。もちろん、本当を言えば勝って欲しかった。しかし、あのシュートは最高だった。ありがとう、おでんくん!!
そして鼻歌を口ずさみながら帰途についた。
東京こそすべて
俺らを熱くする
情熱をぶつけろ
優勝つかみ取れ
次は大一番の浦和戦だ。
浦和戦は呪われているかのように勝てない。最後に勝ったのは2013年の9月だそうで、10月から観戦し始めたぼくはリーグ戦で浦和に勝ったところを一度も見たことがないことになる。
「ということは、おまえのせいで勝てないのか!」
といわれてしまうかもしれないので、そのジンクスは早く何とかしたい。
試合前に浦和サポのくじらさんが「実力vs相性のどちらが勝つか見物ですね」と言っていたのだが、そのくらい浦和は弱っていた。何せ最後の最後まで降格の危機があったのだ。
その浦和が、縦横無尽にパスを回してFC東京をかき回してくれた。あれだけ自由にパスを回されたら、どうやっても勝ちようがない。ACL決勝で浦和と対戦したアル・ヒラルは浦和のパスワークを封殺していたのに。
FC東京には浦和のパスワークを止めることがまったく出来なかった。それもそのはず、FC東京はあまり強いチームとは言えないのだ。
シーズン後に発売されたエルゴラッソ総集編によると、リーグでトップクラスの数字を残しているのは、橋本拳人のタックルと、森重真人の空中戦、そしてディエゴオリヴェイラの得点だけだった。ドリブルでの突破や、パスワークという点では平均以下のチームだった。
もちろん久保建英がいたら話は違っただろうが、彼が旅立ってからは凡庸なチームになったのだ。にも関わらず、初めての優勝に向かって、FC東京は戦い続けた。
そんな姿を見せられたら……。
応援するしかないじゃないか!!!
青赤軍団、かっこいいぞ!!!
「ガムなんかで注意されて大丈夫かよー」などと、1歩引きながら言っていたのは今は昔。
頭の中は東京。
東京、東京。
東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京。
東京で埋まりつつあった。
そして、横浜F・マリノスとの運命の最終戦へ。
FC東京は4点差以上をつけて勝たなければ優勝できなかった。松本に勝っていれば……、鳥栖戦のあれがなければ……、浦和と鹿島に押し勝てていれば……。後悔は押し寄せるが、情状を酌量されることはない。
4点差で勝つ。それだけが優勝への道だった。
あの時、ぼくはFC東京のことしか考えられなくなっていた。
どうやって優勝するのか。
どうやって横浜F・マリノスを倒すのか。
誰が決めるのか。
どうやって守るのか。
優勝した時どうやって喜ぼうか。
ああ、頭の中が、東京東京東京東京。
優勝する。
ドロンパと喜ぶ。ハイタッチする!
何だか引け目もあって、みんなと手を叩いて喜べるかはわからないけど、一人でも密やかに大喜びするんだ。
東京東京東京東京東京東京……。
あまり優勢とは言えない状況の中でも、タイムラインにいるFC東京サポーターはポジティブで、4−0で勝ったらどれだけ幸福だろうかと語り合っていた。ネガティブなツイートなどはほとんどなく、夢と希望に溢れていた。そして、みんなが優勝争いを楽しんでいた。
最後の一秒までというスローガンが掲げられていたのだが、その言葉を敏感に察知したFC東京サポーターは、最後の一秒まで楽しもうと決意していた。
運命の日、ぼくの朝は早かった。
というわけで朝の6時に家を出て、キックオフ6時間前の8時には新横浜についてしまった。正直言って暇だったが、その暇な時間すら愛おしかった。
寒さ対策で水筒に入れていった泡盛のお湯割りのおかげで寒さはまったく感じなかった。
運命の試合は……。
4点差で勝つつもりが、3点差で負けてしまった。
とはいえ、選手を責める気持ちなどまったくない。
よくぞ、ここまで連れてきてくれた。
久保建英の離脱以降も、よくぞここまで戦ってくれた。
そして、ありがとう。
本当にありがとう。
ぼくの心を、再び青赤に染めてくれて。
何年かぶりに、完全に脳内が青と赤になった。青と赤よりも美しい色合いは存在せず、青と赤を身に付けるすべての人が愛おしく思えた。
いやまぁ、6年もやってると大嫌いなやつもいる。正直言って。誰だって同じ学校には嫌いな奴の一人や二人くらいいただろう。でも、その存在すら愛おしく思えるほど、青と赤が美しく感じられるようになった。
あの時の状態に戻った!!
東京
東京
眠らない街
青と赤の俺らの誇り
東京への愛情が強まると同時に、副作用も生じた。
これはやってしまった案件なのだが、東京の2位を快く思わない某クラブのサポーターが「FC東京ラフプレー集」を作って公開していた。
そこには案の定森重真人選手の動画も含まれていて、これにカッチーンと来てしまった。そっちが煽ってくるならこっちも煽ってやろうじゃないかということで、冷笑しながら攻撃を開始した。
うーん……。Twitterではバカは放置が鉄則だし、そんなもの負け犬の遠吠えなのだから相手にしなければいいのだが……。
青赤の戦士達が愛おしくなりすぎて、ついついカッとなってしまった。個人としては反省だけど、まぁ森重はそりゃ言われるよね。ファールを取られないタイミングと強さを心得てきたことから、イエローカードをもらう病は治ったものの、対戦チームのサポーターからすると嫌な存在に違いない。
FC東京の優勝争いは終わったが、ぼくの心は加速したままだった。
青と赤、東京、東京、東京。
FC東京の情報だけを飢えた獣のように求め続けていた。だからこそ、アンチ東京のろくでもない動画を目にしてしまったのだ。
やはりのめり込みすぎるのはいいことばかりではない。
残念だけどここらが潮時だ。
一回、区切りを付けたほうがいい。
サポーター活動6年説というものがある。6年くらい見ていると、サポーターとして体験できることは一通り味わえる。もちろんリーグやカップでの優勝はそうそう体験できないが、自分のチームが優勝からほど遠いという現実を思い知らされる期間でもある。
FC東京は善戦した。本当に頑張った。しかし、毎年優勝を狙えるようなクラブにはまだなっていない。それはよくわかる。
ぼくには仕事があるし、育児もある。
……。
これでおしまい……。
楽しかった 天皇杯。
みんなで行った、信州松本。
ほんとに勝てない、浦和レッドダイヤモンズ。
大好きだった、石川直宏。
日本一のスーパースター、東京ドロンパ。
味スタのスタグルは、ケンタッキーフライドチキン。
本当にいい思い出ばっかり!!!
そして……。
今日
ぼくは
FC東京サポーターを卒業します!!
そして、来年からは……
6年間のFC東京サポーター小学校を終えて、
FC東京サポーター中学校に入学します!!!
中学生になったら、もう半分大人の仲間入り。クソリプや誹謗中傷なんかに負けることはない。先生達に頼らずに、自分の目標を持って、サポーターとしての人生を設計していきたいと思う。
育児は大変なのだけど、来年からはもっと努力をして家族も青と赤に染め上げたいと考えている。
そのために、文筆業だけで食っていくという人生プランを捨てる。本業を別に持って、複業として文筆業に取り組む。使える時間は減るが、その分好きなことが書ける。サッカーを観るための予算も増やせる。
もちろんそのことで、バカにしてくるやつもいるだろうさ。でもそんなことは気にしない。誰が何と言おうと、周りを気にするな。自分を信じていれば、勝利はついてくる。
2019年、FC東京は優勝できず2位に終わった。
そこで、来年は1つ順位を上げて優勝できるかというと、そういう甘い世界ではない。
でも、勝利を信じて進み続ければ、いつか大笑い出来る日がくるだろう。青と赤の仲間達と一緒に。
ちなみにサポーター教育制度は以下のようになっている。
サポーター小学校 6年
サポーター中学校 3年(サポ歴9年)
サポーター高校 3年(サポ歴12年)
サポーター大学 4年(サポ歴16年)
サポーター大学院 5年(サポ歴21年)
21年サポーターを続けてはじめて卒業できるというシステムである。卒業するとは言うけれど何を卒業するのだろうか。
それは自分の心が決めること。
サポーターは一生がかりのお楽しみ。
どうやって生きていくかは自分次第だ。
他者に対する非難じみた発言を繰り返すことでサポーター人生を終える人もいるだろう。
仲間達に囲まれて笑顔と共に年を取っていく人もいるだろう。
ぼくにとってサポーターとは何だろうか。
来年はどんなことがあるだろうか。
もっと色んな人と会って、FC東京の話をしたいな。
そして、FC東京サポーターとしてアウェー戦に訪れたり、あるいは、FC東京とは関係のない試合に、取材として訪れて旅の記事を書いたり……。
この冒険は終わることなく、ずっとずっと続いていく。
ありがとうJリーグ!!!
ありがとうFC東京!!!
おかげで楽しい人生になった!!!
もう迷いはしない。
今なら断言できる。
誰が何と言おうと……。
胸を張って……。
堂々と……。
ぼくはFC東京のサポーターだ!!!
サポーターをめぐる冒険は終わらない!!
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長い文章をお読み頂きありがとうございました。かなり短くまとめたつもりだったのですが、長大な内容になってしまいました。思えば、小学一年生として入学したばかりの頃は8000字の記事を書くのに10日間もかかりました。
でも今は20000字以上を2日で書けるようになりました。物書きとしての成長を感じつつも、まだまだ荒っぽいところがあるので、何とかしなければなと思っています。
ぼくがこれだけサッカーに浸り、サッカーのことを書き続ける事が出来たのは、サッカーを通じて知り合った皆さんがいるおかげです。ぼくにとって皆さんは終わることなきサポーターをめぐる冒険の登場人物です。今後、どこかのスタジアムや居酒屋、あるいはフットサルコートなどで出会ったら、是非話しかけて下さい!!
さてこの記事は、旅とサッカーを紡ぐウェッブ雑誌OWL magazineに寄稿しています。今回は、サポーター読み物として広く世の中に出したい記事だったので、本文は全文無料にしました。
OWL magazineは、旅をしながらサッカーを観て、観光したり、美味しい物を食べたりするという、実にFC東京サポーター好みのウェッブ雑誌だと思います。
月額700円ですが、毎月15本以上の記事を更新しているので、1記事あたり50円以下と大変お得な価格設定になっております。12月は更新が年末に偏っていますが、頑張って15記事まで届かせます!もちろんクオリティは下げずに!
現在バックナンバーを購入する機能がnoteのマガジンには存在していないので、12月の記事をご覧になりたい方は12月中に是非ご購読下さい。
というわけでこの記事でも短めですが、おまけとして有料部分を作ります。
ちなみに月あたり約10万字あり、そのうち半分程度が有料となっています。無料でもある程度読めますが、いいところで有料となることもあるので購読しないとモヤモヤしてしまうかもしれません。
この記事では「おまけ」として、味の素スタジアムでお勧めのスタジアムグルメは……、ケンタッキーフライドチキンです。なのであんまり書くことがありません。
東京は町中ご飯屋さんだらけなので、スタグルを充実させる必要性があまり高くないんですよね。
おまけは「来年のFC東京アウェーで訪れたい街」にします。
是非ご購読ください!!
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OWL magazine 旅とサッカーを紡ぐWeb雑誌
サポーターはあくまでも応援者であり、言ってしまえばサッカー界の脇役といえます。しかしながら、スポーツツーリズムという文脈においては、サポー…
文章や音声コンテンツが面白いと思った方は、是非サポートをお願いします!コンテンツづくりのための経費や投資に使わせて頂きます。用途については不定期でnoteに公開します。