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バイバイがらくた

娘はもうすぐ小学2年生になります。彼女は2歳頃から工作が大好きで、家でも幼稚園でも大量の作品を作っては並べていました。それは「おともだち」だったり「おうち」だったり「かざり」だったり様々でした。通っていた幼稚園では、工作に使うための空き箱やボトルキャップやラップの芯などを「がらくた」と呼び、またそれを使って作った作品も同じく「がらくた」と呼びました。幼稚園で毎日のように「がらくた」を作りそれを時々大きな袋に入れて持ち帰ってきます。それらをそのまま、帰り道の公園で遊びに使っていたことも思い出されます。せっかくの作品が砂まみれになっていたっけ。

朝に強い娘は目が覚めたらすぐに一人で何か作り始めていました。休日にぐずぐず寝ている両親を後目にどんどん自分の世界を作っていきました。既存のキャラクターの他、オリジナルの妖精や動物たちを作り、その子たちの家や遊び場を作ります。私たち大人がやっと起き上がると、その「がらくた」たちを丁寧に紹介してくれるのでした。

少し大きくなると、持っている小さなぬいぐるみたちのためのレジャー施設や町を作るようになりました。ホテルに泊まってあちこち観光しようと計画を立てて、でも結局情勢を見て自粛をしたことがありました。そのあと娘はぬいぐるみたちが遊べるホテルやレストランや博物館を作っていました。きっと彼女なりの気持ちの鎮め方だったのだと思います。家族で山小屋に泊まった後には山小屋を、水族館に行った後には水族館を作りました。そんな風に、娘の「がらくた」作りは空想の表現の形であるとともに、日記のような面も持っていました。

本当に、あきれるくらいいつもなにかを作っていました。娘の良いところのひとつに自己肯定感の高さがあると思っているのですが、彼女のそれには常々、完璧主義を打ち砕く風通しの良さを感じてしまいます。セロハンテープをべたべたに貼りまくってとりあえず固定できていればOK。空き箱の内側(灰色)に黒いペンで家具などを描いたら素敵なおへや。傾いていても取れかけでもカラフルでなくてもかまわない。もちろん気が向けば装飾するけれど、私がアドバイスしたところで「これでいいの」の一点張りです。毎日飽きもせずあんなにたくさん作れていたのは、「これでいい」と満足できる余裕のある心のおかげなのかなと思っています。私は努力しないくせに完璧主義なタイプで、子供の頃自分が作ったものに対して不満だらけであまり納得していなかった気がします。工作は好きでしたが「できないことばかりだった」というイメージが残っているのでその違いに驚かされます。

缶に箱を立てかけるだけですべりだい

娘はどちらかというと見栄えよりも工夫を楽しんでいたような気がします。折り紙の折り方を独自に考え出したり、扉の開け閉めをできるように仕掛けを作ったり、物の組み合わせで何ができるかアイディアを出しそれを具現化していく過程を楽しんでいたのかもしれません。

ぬいぐるみたちのキャンプファイヤー

作ることを制限したくない、と好きなだけ材料を与え、たくさん褒めてきました。私は娘の作る物が好きです。でもやっぱり、散らかり放題の部屋は嫌でした。幸い娘はあまり執着心が強い方ではなく、ある程度遊んだら「がらくた」を処分させてくれました。それでも、段ボールや空き箱で作ったお気に入りの「たからばこ」や「入れ物」を捨てることは許されませんでした。子供は、中身が見えなければ存在を忘れてしまいがちです。子供部屋のあちこちで埃をかぶりほとんど開けられることのないそれらがずっと気がかりでした。それらを処分していいとお許しが出たのが先週末のことです。それどころか、常にストックしていた材料の方の「がらくた」ももういらないと言うのです。私は夢中で掃除しました。丸一日かけて、もう使わないおもちゃなども一緒に処分し、小学校生活1年弱の経験を活かした使いやすい部屋に整えました。

ものすごく気持ちがすっきりした半面、一抹の寂しさも感じました。金輪際「がらくた」を作らないというわけではないのでしょうが、娘の感覚がひとつ切り替わったのだと思うのです。色々な理由はあるにせよ、今年1月に初めて「お年玉で好きなものを買う」という経験をしたのが大きいのではないかと踏んでいます。娘は元々「なんでも欲しがる」とか「物が欲しくて駄々をこねる」タイプではないのですが、それでも欲しいものが手に入らないと自分でそれらしいものを作って「これでいいの」とにっこりしていました。大きな不満はないにせよ、どこか、自分は好きに物を手に入れられないのだと諦めていたんでしょうね。それが「自分のもらったお金で・自分の選んだ物を買う」という経験で「がらくた」に対する最後の執着がなくなったのではないかと。

5歳頃、夫と一緒に作っていたおうち

消費社会に完全に組み込まれてしまったなと思わなくもないですが、これも娘の成長として受け入れるとしましょう。実はまだ大きな箱に入った大量の「がらくた」が眠っているのですが、それはまた時間があるときにでも処分していこうと思います。バイバイ、がらくた。私はきっと、寝起きそのままの姿で、テーブルいっぱいに材料を広げて、黙々と作業する小さな後ろ姿を忘れないでしょう。


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