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試し読み!12月17日発売「ブルームワゴン」第三話


第三話 コーネリアス、屈辱をあじわう


もちろんコーネリアスはそんなつもりはまったくなかった。でもその後のひと月ほどの彼の行動は、ほかの動物から見れば、ただ森を彷徨い、闇雲に雪に穴を開けてそれを掘り返しているだけの、まったく意味を成さない嘲笑の的となる行為の寄せ集めでしかなかった。
コーネリアスが引っ越した先の巣の中にあった食糧は、話に聞いていたような量でも質でもなかった。苦労知らずで、飢えた経験のないコーネリアスは、十日と経たないうちに巣にあった食糧はおろか、すべての緊急時用の小さな巣に保管されていた大切な食べ物を、皆食べてしまった。

その翌日から、ものを食べられない日々が続いた。コーネリアスは冬の森について甘く考えていた。コーネリアスが知っている冬の森というのは、コーネリアスたちの味方となって迎え入れてくれる、やさしい身内のような存在だった。しかし冬眠をしそびれたコーネリアスは、冬の森の別の顔について学ばざるを得なかった。冬を迎えたばかりの森は、まるで別人のようにコーネリアスに対して冷たく振舞い、一片の親切さも見せなかった。
コーネリアスは起きている時間のほとんどを、食糧を探すための時間に充てた。固くて何の味もしない、ばさばさした木の皮を齧ってみたり、凍りついた枝や小石をいつまでもしゃぶって空腹を誤魔化したりした。乾いて縮んだあと、雪の水分でやわらかく戻ったとかげの尻尾や蛇の抜け殻を食べたこともあった。コーネリアスは木の皮や枝や、身代わりとなって置いていかれた他の動物の器官や古い皮膚の干物なんて食べたくはなかった。体質的にもそのようなものを食べたらいけないことも――実際にそれらを食べたあと、コーネリアスは決まって腹を壊すか嘔吐するかした。コーネリアスたちは体が大きく、食べる量も多かった。それなのに食べられるものは限られていた――今では知っていた。でも仕方なかった。コーネリアスはまるで何か見えない力に操られてでもいるかのように、それらを見つけるとすかさず口に入れ、咀嚼することをやめられなかった。

冬は凄い勢いで進行した。日に日に雪は高く積もり、前日まで見えていたものも、朝がやってくるとまったく見えなくなっていることもしばしばだった。風が強く吹き荒れた日の翌日には、森の様子は一変した。前の日まで低かった場所が高くなり、高かった場所が低くなった。平らだった場所に突如奇妙な形をした雪だまりが出現したりもした。そのせいでコーネリアスはより苦しむことになった。吹雪の中、苦労して何とか集めた食べものを、一晩だけのつもりで保管しておいた場所に翌日たっぷり雪が積もり、その臨時の食糧保管庫の目印として置いておいたものがまったく見えなくなっていた。焦ったコーネリアスは目印を捜し出すことだけで沢山のエネルギーを使ってしまった。

また、大量の雪にコーネリアス自身が埋もれそうになることもあった。雪は時々とんでもない速さで森を覆い、コーネリアスの住居の入口を塞いでしまった。入口に積もった雪が多過ぎて、雪を掘って巣の外に出る(あるいは中へ入る)までの間に、コーネリアスが気を失ってしまうこともあった。栄養の足りない彼の体からは、コーネリアス自身にもはっきりと分かるほど日々力が失われ続けていて、そんな彼の脚が掻く雪は、掻いても掻いてもなくならない憎らしい敵となった。また雪は、彼が気を失って倒れているときも体の上に容赦なく降り積もり、彼の喉や鼻を塞ごうとする暗殺者のようなものにもなった。

コーネリアスの受難はまだ続いた。先祖は同じだが冬眠をしない、したがって雪によく慣れている灰色の毛皮を着た親戚たちに、大切な食糧を盗まれてしまうことだった。コーネリアスたちが彼らをずっと昔から好きでないように、彼らもまたコーネリアスたちのことが昔から気に入らなかった。ずんぐりした体とのほほんとした締まりのない顔、何を見ても「我関せず」とばかりにゆったりした態度を見せ、おまけに冬から春までぐっすり眠って過ごす気楽なやつら! そんなコーネリアスの一族を見ていると、彼らは凄くイライラしてきて、ちょっかいをかけるか喧嘩を吹っ掛けるかしないではいられなかった。
彼らはその冬、もちろんコーネリアスの存在にすぐに気づいた。足跡(彼らと同じかたちの、でもずっと大きな足跡)を追うことで、コーネリアスが住んでいる巣まで簡単に辿り着くことができた。そして彼らは、コーネリアスが外出している間に、そこに保管してあるわずかばかりの食糧を運び出してしまった。
数時間後、命懸けの食糧探しから戻ってきたふらふらのコーネリアスが巣に到着したときには、苦労の末に集めた貴重な食糧があらかた消えてしまっていた。その上コーネリアスを嘲笑うかのように、空き巣狙いたちが食べ残した木の実のへたや芯などが捨ててあった。コーネリアスはその光景を初めて見たとき、うまく事態を呑み込めず言葉を失った。それから猛烈に腹を立てた。あいつらめ! とコーネリアスはこれまでに口にしたことのない言葉を、憎しみを込めて叫んだ。いくら鈍感なコーネリアスでも、そこに残された証拠から、泥棒どもの正体はすぐに分かった。

同じことが、それから何日かあとにまた行われた。二度目の悲劇に見舞われ呆然としているコーネリアスが巣の外へふらふらと出て行くと、そこには散々齧られた跡のある、死んだ蛇の頭の一部が落ちていた。コーネリアスはしばらくの間それをじっと見つめていた。気がつくとよだれがこぼれて彼の顎を濡らしていた。コーネリアスはあたりを見回した。近くに泥棒たちがいる気配はなかった。彼は蛇の頭に近づくと、それを拾い上げた。
半分凍った蛇の頭を見ながら、コーネリアスは自分に問いを投げ掛けた。それは「これを食べたら、本当にいけないのだろうか」という問いだった。コーネリアスは考えた。食べてはいけないとされているものをこの冬は散々食べてきた。下痢や嘔吐に悩まされながらも、自分はそれでもこうしてまだ生きている。あいつらの汚らしい食べ残しを口に入れるなんて屈辱だ。でも彼らはもうここにはいないようだ。それならこれを食べたところで誰に笑われる心配もない。だとしたら……。

コーネリアスの心は激しく揺れていた。食べ物が欲しい、食べ物が欲しい。泥沼のようなこの空腹感から一刻も早く抜け出したい。コーネリアスの頭の中ではそんな願い事がずっと繰り返されていた。食べ物の出どころなんか気にしない。生きていくためなら何でもする。何も見なかったことにもできるし深く考えたりもしない。コーネリアスの頭はそんな考え方に支配されかけていた。
でもそのとき、コーネリアスは頭上で何かが動いたような音を聞いた。彼は顔を上げて、そばにあった木の上を見た。するとそこには、枝にぶら下がっている三匹の泥棒たちの姿が見えた。枝は彼らの動きに合わせてゆさゆさと揺れ、その度に枝に積もっていた雪がコーネリアスの上に落ちてきた。

泥棒たちは小さな赤い目を細めてにたにた笑っていた。彼らの体はとても軽く、コーネリアスの体重の十分の一ほどしかなかった。彼らはコーネリアスたちと違って何でも食べることができた。両者は木の上と下でにらみ合った。
「どうしたんだい」
三匹のうちの一匹が言った。
「それはあんたへの差し入れさ。頑張っている親戚を少しでも助けてやろうと思ってね。子供の蛇はうまいよ。特に頭はね」
三匹は同時に嗤った。チキチキチキチキという彼らの愉快そうな鳴き声が、どんな音も即座に吸い取る雪のお陰で、ほかの季節よりずっと静かな森に響いた。
「さあさあ、遠慮しないで食べなよ! 気にすることはないさ。困ったときは身内同士助け合うものさ。おや、ひょっとしてあんた、ちょん切られた蛇の頭なんて初めて見たかい? これは失礼! 高貴なかたにそんなものをお渡しして! え、お尻の大きな貴族のお兄さん!」
まだチキチキと鳴きながら一匹が言った。
そのとき雪玉が木の上から勢い良く飛んできて、コーネリアスの額にぶつかった。
「アマチュアめ!」
きつい声が聞こえた。
「おまえなんか冬の森にいる資格はないんだ。目障りなのろま! おれたちの食べ残しでもありがたく食べてな!」
木の上にいた彼らは、ますます楽しそうに鳴きながら、枝から枝へと渡って森の奥へ去って行った。
コーネリアスは悔しくて、しばらくの間は空腹も忘れて身悶えしていた。怒りで目の前の景色が歪んで見えるほどだった。コーネリアスは決して、どんなに腹が減っても彼らにだけは助けを求めるまいと心に誓った。彼らの食べ残しを口にするなんてもってのほかだ! コーネリアスは持っていた蛇の頭を、怒りに任せて力いっぱい放り投げた。それは弱々しい小さな円を宙に描いたのち音もなく雪の中に沈み、見えなくなった。

コーネリアスは巣に戻った。彼はその日なかなか眠りにつくことができなかった。コーネリアスは自分の腹を撫でた。彼らが持っている腹のかたちは、本来は幸せそうにふっくらと丸く盛り上がっているものだった。それは彼ら一族の、外見上の特徴のひとつだった。そのためコーネリアスたちに対して友好的な態度を取る森の動物たちからは、親しみを込めて「げっ歯類界の布袋さま」とも呼ばれていた。その腹のかたちは空腹時でも変化しなかった。冬眠明けの時期でさえ、いつもの半分くらいの膨らみはまだ残っていた。それは彼らの体を覆っている毛が黒いことや、たっぷりとボリュームのある太い尾や、せかせかしない性格と同じように、消して彼らから失われることのない、自分たちを自分たちたらしめる絶対的な条件なのだとコーネリアスはこれまで思ってきた。
でもそのとき彼の腹はすっかりへこんで張りを失い、腹を覆う毛をつまみ上げると、たるんだ腹の皮がそれと一緒に何の抵抗もなく伸びた。滑らかで密に生えていたはずの毛はすっかり艶を失い、夥しい量の抜け毛が巣に散らばっていた。

コーネリアスはみじめな気持ちになった。泥棒たちにされた仕打ちを思い出して、彼らを憎み、もう未来に少しの希望も持てないような気持ちになった。コーネリアスはどうやってもそこから抜け出すことができなかった。憎しみ、怒り、恨み、絶望、さみしさ……そういった感情が次々とコーネリアスめがけて吹きつけてきて、コーネリアスを苦しめた。
コーネリアスは鳴いた。コーネリアスの鳴き声は、冷たく湿った巣の中でキーキー、チキチキ、キーキーと反響した。その音を聞いて、自分の出す声はあの泥棒たちと同じだということに気づいて彼はいっそう打ちのめされた。コーネリアスはもう自分の声を聞いていたくはなかった。一刻も早く静かに眠ってしまいたかった。それなのに彼はどうしても鳴くことを止めることができなかった。
冬の森に取り残されたコーネリアスの、唯一の友であり味方であると言える眠りでさえ、その凍てつくような寒さの明け方、小さな巣の中でひとりぼっちで体を丸めているコーネリアスからずっと離れたところにいて、彼が求める助けに応じてくれようとはしなかった。

第四話につづく(毎週水曜日更新)

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