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試し読み!12月17日発売「ブルームワゴン」第七話

第七話 サッコ、3号が気にかかる

ぼくの名前はサッコ。ぼくはそのとき十六歳で、山の上にある産院で働いていた。産院で働く人たちから雑用を引き受けたり、看護師の見習いの見習いのそのまた見習いのような仕事をしていた。

ある日ぼくはいつものように「支度部屋」に赤ん坊を運んだ。その赤ん坊は「3号」と呼ばれてほかの赤ん坊と区別されていた。「3号」は特別元気な女の子だった。ほかの多くの赤ん坊と違って、あの陰気な「支度部屋」の硬いベッドに移されてもしばらくは手足をばたつかせていた。
産院で生まれた女の赤ん坊の運命は決められていた。「支度部屋」を出たあとは、院長先生のお部屋に行く決まりだった。ぼくはそれまでに何人もの赤ん坊を院長先生のお部屋まで運んだ。院長先生のお部屋へ行った赤ん坊たちがどうなるのかは、ぼくが「知らなくてもいいこと」だった。

赤ん坊につけられた番号は、その週に生まれた女の赤ん坊の数と同じだった。生まれた赤ん坊は、男か女かでその後移される場所も違っていた。「声を抜かれる」のは女の赤ん坊だけだった。生まれたのが男の赤ん坊なら、「支度部屋」を通らず、そのまま産院と同じ敷地にある孤児院に移された。
その嵐の日は、夜じゅう起きて働く約束の日だった。嵐はなかなか遠くへ行かず、ひどい雨が降り続いていた。強い風はとうとう電線を千切ってしまったらしく、電気がストップしてしまった。それはちょうど休憩室でひとりで夜食を食べていたときのことで、急に産院が暗くなったのでぼくは驚いた。それは、「3号」を支度部屋に運んだ日の夜遅くのことだった。ぼくは3号がどうしているのか気になって、見に行きたくなった。

ぼくは「支度部屋」のドアの前に立っていた。「支度部屋」は特別なボタンを押さなければ動かない仕組みになっていた。ぼくは産院で仕事をするときには必ず首から提げている紐を肌着の上から出し、そこについている木の板に書かれている四桁の数字を読んだ。それから壁のパネルの中にある、数字が書かれたボタンを慎重に押していった。このとき木の板に書かれている数字と同じボタンを選ばないと、絶対に「支度部屋」のドアは開かないようになっていた。
正しくボタンを押すと、錠が開く心地良い音がして、「支度部屋」のドアは開いた。ぼくは部屋の中に入って行った。それは本当はいけないことだった。その部屋にぼくが入ってもいいのは、女の赤ん坊を運ぶときだけだった。赤ん坊が生まれた部屋からその部屋へ運ぶときと、院長先生のお部屋に赤ん坊を運ぶときと。
停電の影響なのか、「支度部屋」の中はいつもよりも寒かった。ぼくが吐いた息は、空中で白い煙みたいになった。ぼくはひとしきり口から白い煙を出して遊んだあと、3号の様子を見にきたことを思い出して、3号がいる銀色の硬いベッドに近づいた。赤ん坊はもう体を動かすのをやめていた。見えない何かにパンチやキックしているみたいに威勢良く動いていた腕や足は、ふっくらした胴体の脇に投げ出されていた。3号の目は少しだけ開いていて、でもどこを見ているのか分からなかった。

その部屋で、銀色のベッドの上に寝かされた赤ん坊たちは特別なライトを当てられた。ぼくの目にはそれは、ただの白っぽいライトにしか見えなかったけれど、院長先生が考えて作らせたという、特別な力があるライトなのだそうだった。
ぼくは白い光の中にいる3号に話し掛けた。ねえ3号、もう少しで院長先生のお部屋に行けるからね。院長先生のお部屋はきっとこの部屋みたいに寒くないし、立派な掛布団も用意してもらえると思うよ。きみは生まれてから今まで服を着たこともないし、ものを食べたこともないよね。きみは何色の服を着るのが好きで、何を食べるのが好きになると思う? ぼくは、ブルー。ぼくはブルーの服を着るのが好き。食べ物は、ニンジンと、太いソーセージが好き。

そのとき3号が突然体を動かし始めた。3号はもう声を持っていないから、泣き声を上げることはできなかったけれど、まるで泣いている赤ん坊そっくりに、顔をくしゃくしゃにして、小さな拳を握りしめ、口をぱくぱく動かしていた。ぼくには3号が苦しがり、そのことをぼくに伝えようとして暴れているように見えた。「支度部屋」でこんなに動く赤ん坊を見たのはそれが初めてだった。
ぼくはお医者さまに3号をどうしたらいいのか訊こうと思って、急いで3号を抱き上げると廊下に飛び出した。廊下はまだ暗くて、ぼんやりした非常用の緑色の明かりがいくつかついているだけだったから、まだ停電が続いていることが分かった。

ぼくは3号を抱いて、看護師たちがいる病棟まで走って行った。そのとき廊下の向こう側に、看護師がひとりいるのを見つけた。ぼくは彼に向かっておーいおーいと言いながら手を振った。看護師はぼくに気づいてくれた。彼は叫んだ。
「サッコ! 大変なんだ。折れた木の枝が飛んできて、窓を突き破った。院長先生のお部屋が水浸しだ! おまえも早く行って窓の修理を手伝え!」
「それは緊急ですか!」
ぼくは彼に向かって叫んだ。
「そうだ緊急だ! 早く行け!」
看護師はそう言って階段を駆け上って行ってしまった。ぼくは3号を抱いたままとにかく院長先生の部屋まで行くしかなかった。いくつもやらなくてはいけない仕事が重なったときは、看護師たちに優先順位を尋ねること、と教えられていた。もしもその中に「緊急」の仕事があったら、何よりも先にそれをやらなければならなかった。

ぼくも階段を駆け上りながら、これはチャンスかもしれないと思った。院長先生に3号を見せよう。3号の様子がおかしい理由について、産院中で一番偉い院長先生ならきっと誰よりも詳しく知っているはずだ。もしも今が院長先生のお部屋に連れて行くべきタイミングだったなら、その場で院長先生に預けたらいい。3号は何て運の良い赤ん坊だろう。その考えにぼくは急に元気が出て、張り切って階段を上った。「もうちょっとだよ」ぼくは腕の中の3号に話し掛けた。

第八話につづく(毎週水曜日更新)

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