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彼女だったらどう思う?尊厳死と尊厳生

What would you think if you were her? (もしあなたが彼女だったら、どう思う?)

入院している祖母を相手にする看護師を見て思った。まるで子供をあやすように、言葉遣いまでももはや敬語ではなく、「〇〇しようね?」「〇〇できる?えらーい!」と話しかけていた。

85歳を超えた祖母に対しての言葉だった。祖母は認知症ではなく、ガンで入院していたため、こう語りかけられた時点でも、はっきりとした意識でいて、「悪いですね」「ありがとうございます」と丁寧に、でも、看護師の言い方を傷つけないようにか、祖母にしては似合わず「子供っぽく」振舞っていた。

健康だったお祖母ちゃんが突然変化?

私はお祖母ちゃんが好きだった。田舎で同居して育った。働く両親の代りに、風邪を引けば学校に迎えに来てくれるのは祖母だった。いわゆる優しいお祖母ちゃん、ではなく、破天荒で、田舎者だからか方言でしゃべる口調は時々きつく、豪快な人だった。でも、孫たちは皆そんなお祖母ちゃんの優しさに気付いていて、皆が彼女を好きだったと思う。

風邪もひいたことがなく、病院にかかったことがない人で、初めての入院は、ガンが発覚した時だった。よほど苦しかったのか、症状が和らいで、一時退院した際には、「病みぬいた」というのが口癖だった。

彼女がこうしてガンで入退院を繰り返すまで、家族の誰もが、「お祖母ちゃん」のことを、「立派」で、一人で矍鑠(かくしゃく)として生きていける人だと思っていたし、皆が無意識にも意識的にもそう接していた。祖母もそう接せられることを、自分の誇りにしていたと思う。

そんな祖母が、入退院を繰り返すようになってから、ショッキングなことが起きた。

今まで、10年早く既に亡くなっていた祖父について、家族を笑わせるように、祖母との間柄を冗談にしたことはあった。「お爺さんは、酔っ払ってばっかりで憎ったらしかったよぉ」とか、「私は爪を研がないよっ。お爺さんが酔っ払った時に戦うためにねぇ」とか、どれも家族が爆笑するようなトーンでネタを提供してくれていた。

退院した数日後のある日、祖母と二人きりの時に、祖母が珍しくぼーっとしながら、こちらを見ずに語り掛けてきた。

「昨日はお父ちゃんの夢を見た」

私は、また祖母がジョークを言って笑わされるのかと思った。すると、相変わらずぼーっとした様子で、夢の中で祖父に身体を抱かれていた、と言った。私は相変わらず、ジョークだと思って「それでお祖母ちゃんがまた戦ったの?」と笑いながら聞くと、祖母は、「肌の感覚まで分かるくらいだった。現実かと思った」と言った。

私が祖母を見ると、相変わらずぼーっとしながら、どうやら身体の交わりについて話しているようだった。私は正直驚いた。私の家族は、性的な話を家族内でも公に話す家庭ではないし、保守的な祖母は決してこうしたことをネタにする人ではなかった。私はその時初めて、「お祖母ちゃん」が、「お祖母ちゃん」ではない、誰か別の人に見えてとても驚いた。

そして、その時「お祖母ちゃん」は、私以上に長い年月を「お祖母ちゃん」ではない、一人の「女性」として、過ごしてきたことがあったのだ、ということに気付いた。

「お祖母ちゃん」はかつて赤ちゃんで、少女で、女性だった。そして今も・・

この体験は、私にとって恐怖だった。それは、祖母が性的な話をしたからでも、祖母が元気がなくぼーっと話したからでもなく、何より、私が、もし「お祖母ちゃん」としか呼ばれなくなり、「お祖母ちゃん」としての役割しかなくなったまま、「死」や「病」の恐怖と戦うことになったら、どう思うだろう、と認識したからだった。

私はその時点で、「孫」であり、「娘」であり、「兄弟」であり、沢山の誰かの「友達」であり、「彼女」であり、「社会人」であり、「○○会社の○○さん」であり、「日本人」であり、「東京の人」であり、「○○県出身者」であり、その他もろもろの役割の可能性が存在していた。孫でい続けることが出来るのは、私が、「お祖母ちゃん」が好きという以外に、他になり切れる役割があるからだ、と思った。ずっと、親も兄弟も友達も彼氏もいなくて、会社も努めておらず、外国経験もなく、東京に出たこともなく、「孫」という役割しかなかったら、どう思うだろう。おそらくもっと余裕を持って祖母を見ることができなかったかもしれない。お祖母ちゃんが好きだし、愛していることに代わりないが、お祖母ちゃんを余裕を持って、好きだ、愛している、と思えたのは、私には他にたくさん役割があったからだったと思う。

お祖母ちゃんは、どうだろうか?親も兄弟も皆死に、友人もどんどん亡くなっていった。長年連れ添った夫もいなくなった。一方相変わらず息子からは「お母さん」と呼ばれ、孫から「お祖母ちゃん」と呼ばれる。地元からは一歩も出たことがない。外国に行ったこともない。

お祖母ちゃんは「破天荒」で「豪快」な母とお祖母ちゃんとしてふるまい続けられたのは、誰かの「娘」で、誰かの「妻」で、誰かの「孫」で、誰かの「友達」で、誰かの「婦人会の仲間」で、誰かの「俳句仲間」だったからではないか。こうした、役割を担保する「周りの人」との交流という「休憩の場」があったから、彼女は、「破天荒」で「豪快」な「肝っ玉お母ちゃん・お祖母ちゃん」を演じてこれたのではないか。

祖母の祖父との夢の話を聞いた時、豪快な肝っ玉お祖母ちゃんではなく、祖母は(綺麗な)名前を持った、若く、愛された、女性だった自分を必死に再確認しようとしていたのかもしれない。

それは、決して「アンチエイジング」とか、「老けるのが嫌だ」と言った、表面的な(商品的な)意味ではなく、死を目の前にして、身体の痛みと恐怖に直面している中、単純に「豪快な肝っ玉お祖母ちゃん」でいることが出来なかっただけだと思った。風邪もひいたことなく、結婚してから、怖がることなんかなかった祖母。言語化できない「病と死」の恐怖の中で、夢を通して、そんな彼女が無意識に、無条件に「守られたい」と願って、若い時の男性(当時の若い祖父)に守られる、乙女だった時の感覚を思い出したのかもしれない。

尊厳を持って生きること・尊厳を持って死ぬこと

そんな折、祖母が再度入院して東京から病院に駆け付けた。そこで聞いたのが冒頭の看護師さんの言葉。

祖母は、強く、自律して、俳句を好む文化人で、地頭が良く、決して人の悪口を影で言う人ではなく、弱いモノ虐めを嫌った。私にとって、物心ついた頃から、祖母は「頼れるすごい大人」だった。

「豪快で肝っ玉お祖母ちゃん」になれたのは、祖母本人が「頼られるすごい大人」であろうとし、努力して来たからだと思う。

きっと、当時私と同い年くらいの看護師さんは、田舎のインフラが足りない大病院で、大勢の患者さんを前に、こう接さざるを得なかったのだろう、とも分かる。むしろ、私が彼女(看護師)だったら、きっとストレスをためないために、同じ振る舞いをしたと思う。

でも、私は、あの尊厳を持った祖母が「ガンである」、「病気である」という理由で、「子供のように」扱われている姿に、とても傷ついてしまった。「お祖母ちゃんをもっと尊重して」と思ってしまった。

そして、その裏に強烈に、「自分」を重ね合わせてしまった。

私が一人で独身で子供もいなくて、同じように高齢になってガンや病気を患い、入院したら。同じように、自分より何十歳も年下の方に、子供のようにあやされたいだろうか。いなされたいだろうか。絶対嫌だと思った。

老いることよりも、一人でいることよりも、子供がいないことよりも、「私」の役割が「身寄りのないおばあさん」だけになり、見ず知らずの看護師の方のストレス回避の接し方に晒されて、「あやされたり、いなされたり」することに恐怖を覚えた。

恐らく、祖母も私も、周りにどう思われようと全く問題ないのだと思う。「身寄りのないおばあさん」と思われるだけであれば、きっと恐怖ではない。自律した自分の世界が担保出来ている限り。換言すると、「ガン」や「病」となって、「自律した自分の世界」が担保出来なくなった時に、「身寄りのないおばあさん」は外部から思われているだけではなく、「私」にとっての揺るぎない「真実」になってしまうのだと思う。

どんなに他人が「そんなことないよ、あなたは生きているだけでいいの」と言ったとしても、人間はペルソナ(仮面)によって、コギト(認知)をする生き物だと思う。「私」のペルソナが「身寄りのないおばあさん」の一枚になって、自律した自分の世界がなくなった時、私の自己認知は「身寄りのないおばあさん」になる、とはっきりとその時想像できた。

私は、尊厳を持って生きたい。それは、自分で自律した自分の世界の上に、「私」というペルソナを付けていられる世界でのみ、可能だと思う。私が、病や死に近づいた時に、私は、この尊厳を持って生きることが出来なくなると考えている。この時に、私が尊厳を持って生きるためには、私は尊厳を持って死ぬ、というオプションを持っていたい。

マハトマガンジーの言葉:

Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.(明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学べ)

お祖母ちゃんが大好きだった言葉。

貧しくて、尋常小学校しか出ておらず、青春時代は「可能性」を求めて軍国少女にときめきを昇華した。ほんの数年で、心から信じていた「日本帝国の強さ」や「戦争に勝つ」という信念は、大人の事情で砕かれた。それでも一生けん命、家族と向き合ってぶつかって、生き抜いてくれたお祖母ちゃん。

私は、今、このガンジーの言葉を、身を以て生きられるように、一歩一歩、歩んでいくからね。それが、尊厳を持って生きるって言うことで、尊厳を持って死ぬっていうことだと信じているから。

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