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いのちの電話にはきっと電話しない

「皆さんも一人で悩まないで、命の電話に一本相談してください。どうか誰かに話して下さい」

ニュースを見るとこうした言葉が溢れている。事実こうした電話で救われる方々もいると思う。そしてこれ自体は、素晴らしい取り組みだと思う。

私は、20代の時死にたいと思ったことがある。命の電話の事は勿論知っていた。だが、電話したいとか、しようとは微塵も思わなかった。

それは、あの心持ちの時に「行政的なやり取り」も、「事務的な会話」もしたくなかった。何より、「私を知らない誰か」からの的外れな憐みを、その人の善意を傷つけないように「かわす」ことも、あの時の精神力では出来なかったからだ。

あの時、私が欲しかった「感情」は、私しか知らないものだった。その事実が、私を果てしなく孤独にさせたし、「死にたい」と思わせたのだと思う。

紛らわせながら生きるのか・統合しながら生きるのか

“Man is born broken. He lives by mending. The grace of God is glue.” (人は生まれながらにバラバラである。人は生きることでそれを繋ぎ合わせる。神の恵みは、そのバラバラを繋ぎ合わせてくれる糊である)*訳 by Hatoka Nezumi

稀代の喜劇王、チャップリンの妻、オーナ・オニールの父である、Eugene O'Neilの言葉である。

ユージンさんにとっては、バラバラの自分を、繋ぎ合わせるための糊は、「神の恵み」だった。キリスト教ではない私にとって、それを繋ぎ合わせるための糊は、「私の言葉」だった。

今振り返ると、「死にたい」と思った原因は一つではなく、複合的に積み重なっていたのだと思う。「死にたい」とまで真剣に思つめたのは、この小さな感情が萌芽した際に、私は「紛らわせようとした」からだと思う。

「給料の高い、すごい会社に入ればきっとすごい自分になれるのではないか」、「結婚したいと思う人を見つけて早く結婚すれば、こんな辛い思いから解放されるのではないか」、「成功すれば、勝ち組になれば、一生安泰なのではないか」

ガムシャラになって行動し、「すごい会社に入れた時」、「結婚できそうな人と良い感じになった時」、私は達成感を感じた。そして、「これで全部解決する」と思った。

しかし、この「全部解決した」感は長く続かない。暫くすると、会社では私よりパフォーマンスを出せない年配の男性たちと自分を比べてモヤモヤする。いい感じの人とデートを繰り返しても、つまらない。私が言って欲しいことを、私が問題意識を持っていることを、話題にしてくれる人がいない。自分は孤独だ、一人だ、誰も分かってくれない。そう思ってしまう。

仕事や会社に幻滅が始まった。気を使いすぎたり、被害妄想に苦しんだりした。デートしていた人達とも連絡を自分から絶って、新しい人を探した。

以下の記事にも書いたが、私は信じたいものを探していた。

キリスト教の信仰には戻りたい、とは思えなかった。新しい、信じられる何かを探して、あの心の痛み、苦しみから解放されたかった。

私は、この時、信じられる何かを探すことで、あの心の痛みや苦しみを「紛らわせていた」。紛らわせることができれば、解放された気分をほんの一瞬でも味わえたからだ。やったことは一度もないが、きっとドラッグをしてしまう人も、こんな心持ちを「紛らわせる」ように、ドラッグをやっているのかな、と思料する。

ある時、何気なくYahoo知恵袋を見ていた。すると、以下の回答を見つけた。

このベストアンサーに選ばれた方の回答は、まさに目から鱗だった。「気を使いすぎたり」、「被害妄想」に苦しんでいる私が、「バラバラ」で統合されていない状態だったことを、とても簡単な言葉で示してくれたからだ。

なので、かまってもらえないと不満を持っている、
もう一人の自分を意識して、今の世間に通用する
自分が、存在して居られているのは、そのもう一人の
犠牲になっている、自分のお陰でもあるので、
辛抱して犠牲になってくれていたことに、
気づけなかったことを、謝ってあげて、
悪魔化しそうになっている、
別人格の自分の頑張りを褒めてあげることを、
し続けてあげることで、あなたの応援を、
もう一人の自分がしてくれるようになるので、
本心での感謝の念が、出せるようになり、
してもらえたことに、ありがとうと、素直に、
喜びを持続できることに繋がるように思います。

「死にたい」と思っていた本当の理由

私がずっと逃げたかった、紛らわせてきた、「辛い思いをしている自分」、「苦しんでいる自分」。この裏にいる自分が、表に出ている、「世間に通用する私」の「犠牲になっていた」というのは、新しい視点だった。

この裏の自分が、犠牲になって辛抱してくれて来たお陰で、私は「きちんとした社会人」や、「大人のカッコいい女性」、「聞き分けの良い真面目な新入社員」、「可愛くて優しい彼女」、「良き市民」を演じてこれたのだ。

それにも関わらず、私は、「辛い思いをしている自分」を、「苦しんでいる自分」をずっと、亡き者にしようとしていた。

キラキラとしていて、悩みがなくて、「リア充」な、女性になりたかった。そうなるためには、「辛い思いをしている自分」、「苦しんでいる自分」は、本当に邪魔だったし、直したかった。

でも、この「苦しんでいる自分」、「辛い思いをしている自分」こそが、私の魅力の源泉であることに気付いた。ずっと探していた「私らしさ」の源で、私が心から信じてあげたいものだったのだと気づいた。

「死にたい」と思ったのは、「結婚が出来ないから」でも、「漠然とした不安があったから」でも、「仕事で上手くいかないから」でも、「失恋したから」でも、「ただ年を取っていくことに絶望したから」でもなかった。

私は、私の魅力的な「悪魔」を、「汚さ」を、恥ずかしがった。そして、私の一部に統合することを嫌がった。自分で無意識に、自分を否定したから、「死にたい」と思ったのだと思う。

こうした現象を、私の言葉にしなかったが故に、私は孤独に陥ったし、誰からもこの「死にたい」という思いが理解されない、と思った。私は特別な悲劇の人なのだ、と思った。

今振り返ると、当時の私は「大人」にも関わらず、とても厨二病チックだったのだなぁ、と思う。だが当時は、「厨二病」だ、などとは微塵も思えなかった。本気で、悩んでいたのだ。20代という大人であっても。

「死にたい」と真剣に悩んでいるのであれば、「厨二病」という簡単なターミノロジーで片付けるべきではないと思う。一方で、厨二病という言葉で笑える・救われるのであれば、それも素晴らしいことだと思う。

死にたい=生の煌めきと魂の喜びを知っているから

私はアニメが好きだ。漫画が大好きだ。

「君に届け」などのキラキラした少女漫画もとても好きで、感動しながらアニメや漫画を見ていたと思う。

最近思うのは、私は大学を卒業して、「社会人」になる時、物凄い不安を覚えた。私が20代、とても辛い心持ちで死にたい、とまで思ったのは、キラキラした10代~20代前半の青春がすごく好きだったからだとも思う。

当時は、将来の不安と言っても、勉強や大学くらいで、金銭的な不安もない。家族が養ってくれる。体も成長段階で、「老い」や「病気」も微塵も感じられない。親も祖父母も元気だ。何を食べても美味しいし、どんな知識も新しく吸収できる。どんな少額でも、期限付きで、バイトで人と触れ合えるのも楽しかった。

彼氏とは心が通い合っていて、どんな問題意識も壮大に語り合えた。お互い現実の「社会」も「政治」も知らない中だったから、議論は夢だけに溢れていた。怖いモノなどはなく、二人が、二人の愛が世界の中心だと思えた。

あの若い時に感じた「愛してる」とか「好き」とか「家族」や「友達」との「永遠」は、本当に心から信じられる永遠だった。20代後半に「社会人」として感じた不安。ほら、これからは「大人の女性」として、「レールを歩んでいってね」という不安とは、正反対の、時間に邪魔されない「永遠の幸せ」がそこにあったと思う。

だからこそ、私にとっては、青春は掛値なしに美しいものだと言える。

そして、だからこそ、私は怖かったのだと思う。あの生の煌めきと魂の喜びを、何の悩みもなく、純粋に知っていたからこそ、「テンプレ」や「レール」に乗せられて、「結婚」や、「出産」や、「母親」や、「家族」を目指して、勝手に進んでいく私の人生が、本当に望んでいるものなのか分からなくなった。

「死にたい」は「生きたい」の裏返し

死にたいは、「生きたい」の裏返しだと思う。

そして、「生きたい」の定義が人それぞれ異なるように、「死にたい」の定義も人それぞれ異なると思う。

私は、Yahoo知恵袋の言葉に出会って、私の「死にたい」という思いを、私だけの意味ある言葉に再構築できた。そして、バラバラになっている自分を発見できた。バラバラの自分を私の言葉でつなぎ合わせる、ということも少しずつ出来るようになった。

紛らわせる代りに、自分を統合していくことは、あの青春とは異なるが、新しい「生」を、「生きたい」という思いを私にもたらしてくれた。そして、この新しい生は、あの青春と異なるが故に、とても素敵で、複雑な言葉に溢れている。

私は命の電話に電話は出来なかった。そして、きっとしないと思う。何故なら、人に気を使って、被害妄想に苦しんで、他人よりも、まず自分を真っ先に消しゴムで消そうとする私だから。

私の孤独が誰からも理解され得なかったように、「死にたい」と今思っている「あなた」の孤独もきっと誰にも理解されないかもしれない。

でも、他でもない、「死にたい」と思っている「あなた」が、その孤独を誰よりも理解してあげられるのではないか、とも思う。

他でもない「あなた」こそが、「あなた」という自分に、手を差し伸べられるのではないか。その孤独と戦いながら、一人で膝を抱えて泣いている、心の片隅で頑張っている、裏の「あなた」。その「あなた」は、他の誰でもない、「あなた」に手を差し伸べることを待っているのではないか。「私・俺・僕」という「あなた」にこそ、「あなた」を救うことが、できるのではないか。

Vivere-Andrea Bocelli (*訳 by Hatoka Nezumi)

Vivere, nessuno mai ce l'ha insegnato (生きること。まるで誰からも教わったことがないように)
Vivere fotocopiandoci il passato (生きること。過去を写しだすように)
Vivere, anche se non l'ho chiesto io di vivere (生きること。例え誰からも頼まれていなくても)
Come una canzone che nessuno canterà (まるで一度も歌われたことのない歌のように。生きること)


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