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プシューケーとエロースと喜びと

絶世の美女プシューケーは、美の神ウェヌスの嫉妬を買った。ウェヌスは息子、エロース(ラテン語のクピド・英語のキューピッド)が、プシューケーに矢を討って卑しい男と結婚させるよう仕向ける。間違って、エロースはその矢を自分に当ててしまい、プシューケーの虜になる。紆余曲折(二人の試練)を経て、最後は神々の前に祝福を受け、プシューケーとエロースは「結婚」し、ヲルプタスを生んだ。

「恋愛」の概念のもとになったこのギリシャ神話。

私はむしろ、この物語を読んで、恋愛という概念が生まれる前の肉体と精神を繋ぐ「人間」の物語のように感じられた。

「若さを失うのが怖い」から安楽死した女性

2014年このニュースを読んで初めて安楽死を知った。

この85歳の女性は、老化に苦しみ(weighted down by aging)、彼女が誇りに思っていた外見を不可避に失っていくこと(inevitable loss of the looks of which she was proud)を理由に、人生を終わらせることを選んだ(chose to end her life)という。そして、この頃は、大好きだった祖母の容態が、病気で変化し始めた頃と重なる。

最初私はこの記事の見出しだけを読んで、あまり彼女の決断に共感することが出来なかった。むしろ「孫」の立場で、もし私のお祖母ちゃんがこういう決断を取ったら、「お祖母ちゃんらしく」なく、「自分勝手だな」と思ってしまった

記事を読むと、この85歳の女性は心身共に健康( in good mental and physical health)であり、裕福(well-to-do pensioner)だった模様だ。直前に家族にはどこにいくかも伝えずにスイスに向かったと言う。この記事は2014年2月に出されており、記事の中には2014年1月末から連絡が取れなかったが、彼女は独立した人(independent person)であり、良く一人で週末にスパに行くこともあったので、彼女の兄弟も家族もあまり気にしていなかったという。そして、彼女は同様に孤独に苦しんでいた(suffering from lonliness)ともあった。

心身共に健康な人が、なぜ安楽死を「孤独」や「外見の衰え」だけで選ぶのか?「我儘」なのか?その人は「イタリア人」だからか?「日本人」だったらそんなことはしないのか?そして何より、記事を読むと少なくとも、彼女を心配して届け出てくれる「家族」がいるのに、なぜ、「孤独」なのか?

本当にそれは、あなたのことを思っているから「死なないで」なのか

私は、祖母との一件があってから、初めて、死に向き合うのは「私」ではなく、「年老いて病気に苦しむ祖母」なのだ、ということを知った。

単純に、私がこのイタリアのこの女性のことを判断するときに、私の目線は、「孫」としてみたら「お祖母ちゃん」らしくなく、「自分勝手」だな、という点にあった。それは、即ち「彼女の視点」ではなく、あくまで当時20代後半だった「私から見た」視点で、「お祖母ちゃんならこうあるべき」という「私にとっての良きお祖母ちゃん像」の視点だ。だから、病気に苦しんでも、お祖母ちゃんは、「家族のことが一番」だから、私たちを残して死ぬのはダメという考えだった。そして、当然のことながら、お祖母ちゃんも「家族のことを残して死ねない」と思ってるに違いない、と「私」は思っていた。そして、それは真実でもあると思うし否定はしない。

祖母は、死ぬ二か月前ほぼ寝たきりの状態になった時に、珍しく認知症のような症状を呈したことが何回かあった。すぐにシャキッとしたりするのだが、私と二人きりの時に、「今すぐ死にたいなぁ。こんな辛いのは嫌だなぁ」と言った。

私はあわてて、「そんなこと言わないでお祖母ちゃん!家族が傍にいるよ、大丈夫だよ、一緒に生きよう!」と言った。祖母は暫くぼーっと虚空を見つめてから、振り絞るように、「そうだな」と目線を併せずに呟いた。いつもの祖母なら、「そうだそうだ、病に負けるか」とか、調子を合わせてくれるのに、その時は全くそんな様子もなかった。

その時、私の脳裏にこの記事の「女性は孤独に悩まされていた(suffering from lonliness)」という言葉が過った。

目の前の祖母は、物理的に私といるのに、孫の、家族の、私といるのに、彼女の虚空を見つめる瞳と、力なく「そうだな」と「孫」を懸命に悲しませまいと努力をしているのに、そうしきれない、辛さを呈した祖母は、「孤独」であるように感じた。

これも私の勘違いかもしれない。

でもその晩、私はシミュレーションしてみた。自分が、年老いて、お祖母ちゃんの役割しかなくなって、無邪気に心おきなく甘えたり、悲しんだり、できるような間柄の人がいなくなって、「立派な大人」になった時。「社会人」として税金を然り治めて、無事定年を迎えて、「シニア」として元気に悠々に過ごしている。それがある日突然、一人では暮らせず、歩けず、食べたいものも一人で準備もできず、食べることもできず、身体は絶えず苦しみや痛みに塗れている。(ちょうどその時インフルエンザにかかってしまったので、これが治る余地なく、一生続くと仮定した。想像を絶するキツさだった)

そんな状態で、「早く死にたい」という祖母に、「死なないで」といった私。むしろ彼女の苦しみ、立場、歴史を知らずに、「孫」であることに100%甘えて言った発言で残酷だったな、とふと気づいた。勿論、祖母は「残酷」とは思っていない。いや、むしろ本当に純粋に孫を愛している祖母としては、決して思えないのだろう。そして、思えないが故に、自分の「死にたい」程辛い身体の痛み、死の恐怖を誰にも共有できない、「孤独」に覆われていたように見えたのかもしれない。

私の「死なないで」発言は、あなたのことを思っているから「死なないで」ではなく、「私」の悲しみのために(=私が悲しまないように)死なないで、という視点であり、「祖母」の「死ぬほど身体が辛い」という視点を慮った言葉ではなかった

「役割」や「アイデンティティ」ではない、魂と肉体が定義する「私」

「お祖母ちゃん」は「死にたい」と言ってはいけないのか。「日本人」が安楽死することは、「国民性」としてフィットしないのか。

プシューケーはPsycheであり、魂のことを指す。エロースはErosであり性愛や肉体を表す。プシューケーはエロースに会って初めて恥ずかしさを知った。エロースはエロース自身の矢に当たって、プシューケーに夢中になった。

魂は、肉体の情動を知った時に「恥ずかしさ」を覚えた。

肉体は肉体が放つ情動に突き動かされて「魂」に夢中になった。

「西の魔女が死んだ」という物語で、主人公のお祖母ちゃんが、「魂は肉体を通してしか成長できない」と言っていた。

肉体だけが魂なく存在し続けるのは、情動に振り回されているだけだと思う。同じように、肉体を知らない魂は、「新しい」ものに出会えず、成長することが出来ない。

魂と肉体が連動した時に「喜び」(=ヲルプタス)が生まれる。

私の生は「魂」が、ちゃんと「肉体」を通して、成長出来ている時に、喜びを感じるのだと思う。私の生は「肉体」が「魂」を見つけて、魂に夢中になるからこそ、肉体の暴走に囚われない心身の「心地よさ」を覚えているのだと思う。

そしてそれが可能なのは、私が「魂」と「肉体」の関係を認知して、無視していないからだ。このプシュケーとエロースがヲルプタスを生む関係を認知して、その生を生きているからこそ、「私」という存在は、「私」でありうる。「私」は、ちゃんと生きてきたからこそ、そしてこれからも生きていきたいからこそ、安楽死を真剣に考えている。

そして、「日本人なのに」安楽死したいの?という議論や、「イタリア人だから」安楽死したんだろう、という単純化に論理的合理性を感じない。

なぜなら、深淵な人間性を理解するとき、魂や肉体は、文化に影響されることはあるとしても、ヲルプタス(=喜び)を生み出す「魂と肉体の関係」は、文化に左右されないと考えるからだ。むしろ、それは、「その人」が、安楽死が良くない、安楽死したくない、と思うか、「私」が、魂と肉体の関係性から、肉体が機能しなくなったら、安楽死がしたいと思うか、の差なのだと思う。そして、「その人」も「私」もそう思う権利があり、それぞれが十分に尊重されるべきだと思う。

ここに日本人だから、イタリア人だから、というロジックはない。記事の85歳の女性も、私が想像もできない家族関係や、彼女のうちの「健全な肉体と精神」を持っているからこその、人生に対しての葛藤がきっとあったのだと思う。

「私」は日本国民である前に、魂と肉体が宿る生を生きている人間だ。そして、祖母は、「お祖母ちゃん」である前に、病む肉体の中で、魂をいかに保つか葛藤していた一人の人間だった。

Better Midllerの歌詞:

And the soul, afraid of dying, that never learns to live. (死ぬことを怖がる魂は、生きることを決して学べない)

魂は、肉体を通して成長する。肉体も魂と一緒に成長する。そして、肉体は、不可逆的に老いるのだ。

そして、死は、「西の魔女が死んだ」のお祖母ちゃんいわく、魂が肉体を脱出するとき。

古代エジプトのバー(魂)、カー(精神)、アク(バーとカーが結び付いたもの。第二の誕生)など、今も名残を残す、死や死後の世界の在り方。洋の東西を問わない葬式の儀式。これらはきっと、死者を悼むだけではなく、熟した魂を知っていた、肉体と魂と真剣に向きった人々の証だと私は思う。古代の人が、生きることと死ぬことへの崇高な尊敬を体現したものなのかもしれない。

私たちは、長い歴史の中で、平均寿命が延びて、暮らしも豊になるにつれ、生と隣あわせだった死を、知らず知らずのうちに遠ざけてしまったのかもしれない。少なくとも、私の家族は、死についてオープンに話すことが出来なかった。

でもお祖母ちゃんのおかげで、自分たちの死生観を、そして死についてを、話し合えるようになってきている。

お祖母ちゃんに感謝。

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