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蝸牛邂逅記


※虫の描写があります。苦手な方はご注意ください※


 野菜を洗っていたら、カタツムリがコンニチハしたので、思わず彼(彼女?)を生ゴミの三角コーナーに捨ててしまったらしい。苦笑いを浮かべる恋人に、わたしは思いっきり顔をしかめた。

 わりと嫌だけれど、仕方ない。
 その後、わたしがお皿を洗っていたら、シンクの壁にゴミがくっついていたので、流そうと思い水をかけてもびくともしない。
 よくよく見るとそれは小さな殻だ。なるほど、彼(彼女)だった。
 虫が大の苦手なわたしは、一瞬怯んだものの、羽も無ければ、動きもゆったりしているその生き物は、突然襲いかかってくる心配はなさそうだ。警戒レベルを弱に引き下げた。

 どうしたものかと思いながらも、ひとまずシンクに溜まったお皿を片付けることにした。
 その程度には余裕があった。
 脳内で、「つのだせ やりだせ あたまだせ」というフレーズが浮かぶ。

 いくら歩みの遅いカタツムリといえど、勝手にわたしの家をうろつかれたらたまったもんじゃないので、視線は外さない。
 寝室にいる恋人に聞こえるくらいの大きな声で「ねえ、カタツムリシンクに出てきてるよ」と言うと、「えーっ、死んでないの?」と返ってきた。
 非情な一言である。
 わたしはその時すでにカタツムリに肩入れしていたのかもしれない。
「死ぬわけないじゃんね?だってカタツムリだよ?濡れても大丈夫でしょ」
 少しだけムキになった。

 しかしいくら水が得意なカタツムリといえど、三角コーナーから懸命に脱出したことについては驚いた。
 時折水飛沫がかかると、慌てて殻に閉じこもって、しばらくするとまた出てくる。
 にゅーっと触覚を出したり引っ込めたりしている姿を見ると、こんなに小さいのに、ちゃんと生命力があるんだなあと感心する。

 シンクに溜まったお皿が綺麗さっぱり片付いた頃、わたしはカタツムリに対してなんとなく愛着が湧いていた。
 このまま殺生する気にはなれない。(あまりにも物体感の強い虫は気が進まないというのもある)

 ベランダで育てているキャベツの葉っぱをぶちりともいで、その上に彼(彼女)を乗せた。
 さっきまでシンクの壁でじっとしていたくせに、葉っぱに乗った瞬間、それなりに活発に動き出す。
 彼(彼女)の歩いた道は、てらてら濡れて光を反射する。
 かわいいと気持ち悪いの中間だけれど、かろうじてかわいい寄りだった。
 ぴこぴこ触覚を動かす彼(彼女)をじっと見ていると、不思議な感情が己の中でふつふつと芽生えてくるのが分かった。

「ねえ、カタツムリ、葉っぱの上に乗せたら少しかわいいよ。見る?」

 寝室にいる恋人に声をかけると、「いい。さっき見た」ぶっきらぼうに返される。
 棒立ちのわたしの手には、カタツムリオンザキャベツ。振られてしまったね、わたしたち。
 彼(彼女)は依然、おかまいなしで悠々と歩いている。

 たしかに恋人はさっき見たのだろうけれど、「恋人が捨てたカタツムリ」と「わたしがキャベツの上に乗せたカタツムリ」は同じなのに何故か違う生き物のような気がした。

 それでも、いつまでもこうしているわけにもいかず、お別れの時間がやってきた。家の外に出る。

 庭の、葉が鬱蒼と生えている場所に葉っぱごとぽいと放り投げる。
 夜だから暗くてよく分からない。
 すぐにポトリと音がする。
 なんてことはないのだけれど、何故だかその音が物悲しく聞こえた。

 家に帰ってから、なんとなく気になってカタツムリについてインターネットで検索した。
 逃したのは、あの場所でよかったのか?
 最近は雨も降っていなかったけれど、大丈夫なのか?

 そうしていると、外来種の生き物は自然に放ってはいけないという記事を見つけた。
 あのカタツムリは家庭菜園の野菜についていたから在来種だろうけれど、それでもなんとなく自分が間違ったことをしてしまったような気がして、眉間にしわが寄った。

 非情に見えたけれど、恋人の「捨てる」という選択は人間として正しかったのかもしれない。

 それでもやはり、わたしはあの生き物がわたしの知らないところで、この先も生きていてほしいなと思った。

 けれどそれ以上考えると、自分自身の可愛らしくも愚かな傲慢さとまともに向き合わなければいけない気がしたので、わたしはそれきり彼(彼女)のことを考えるのをやめた。



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