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靴とわたしの物語

 

 昔からファッションが好きだけれど、中でも特に靴が好きだ。

 いつから好きなのかは定かではないが、実際わたしは服よりも靴に高いお金を支払う傾向にある。
 気づけば街中で、ネット上で、時にはドラマや映画なんかでも、心踊るデザインの靴を見つけるのが得意だ。

 つやつや光る赤い靴が特に好きだ。ヒールはなくてもあってもいい。昔はヒールのある靴ばかり履いていたけれど、最近はぺたんこの靴ばかり選んでいる。
 つま先がスクエアになっているパンプス、ショッキングピンク色のバレエシューズ、ボタンのたくさんついたブーツ。家には様々な靴があるが、それらはすべてが主役級にかわいいのだ。

  前に働いていた会社は私服だったけれど、それなりに厳しい“オフィスカジュアル”というルールがあって、新卒当時はよく同期とこの問題に衝突したものだ。
 ワンピースを着ていいのは2年目からだろうか、とか、「私はいいんだけど、○○さんが何て言うか……」などという婉曲した注意とか、今書いていると少々ばかばかしいけれど、本当にそういう“暗黙のルール”があったのだ。

 そんな当時のわたしは、ある説を編み出した。

 それは“服はだめでも靴ならおしゃれしてもいいんじゃないか説”である。

 ただ労働をするだけなのだから、そんなに無理やりおしゃれしなくたっていいんじゃ……と思う人もいるかもしれない。しかし、週に5日、1日8時間も働かなきゃいけない場所で、少しでも気分の上がる装いでいたいという願望はそれほど罪なのだろうか。
 
 当時のわたしはそう考え、己のモットーを信じて疑わなかった。
 でもそれは裏を返せば、少しでも楽しく働きたい!といういじらしくも前向きな考えだったのだから、今となっては尊敬の念すら覚える。

 話は逸れたが、わたしのこの説には裏技があった。
 それは、会社に一足、大人しい色のベーシックな靴を置いておくということ。
 そうすれば、仮に注意されたとしても、または突然の商談などが入ってもすぐに履き替えることができる。
 実際、服装に厳しそうな人のいるフロアへ足を運ぶ際は、こっそり履き替えたりしていた。(それに、他人の足元までそうそう見てないだろうと高を括っていたのだ。)

 結局、退職に到るまで靴を注意されたことは一度もなかった。


 ◇


  いつしか、好きな漫画の登場人物がこのようなことを言っていた。

「ヨーロッパでよく言われたわ
“とびきりいい靴をはくの 
いい靴をはいてるとその靴がいいところへ連れて行ってくれる”ってね」

(「花より男子」からの引用)


  このセリフは「花より男子」という漫画の登場人物、藤堂 静の言葉である。一通りのメディア化はされた超有名作なので、作品についての説明は割愛する。作中は様々な名言があるけれど、この言葉を知っている人は多いかもしれない。

  藤堂 静とは、主人公がはじめに好きになった人の思い人という、読者からすれば一見目障り…とも言えるような立ち位置にいるのだが、作品を読み進めるとこれがまた本当に素敵な女性なのだ。
 容姿だけでなく、教養、芯の強さを持った女性で、人を差別することなく、主人公とも良い関係を結んで行く。(作品上、お金持ちの性格の悪いモブなどがたくさん出てくるので、静の内面の美しさが特に際立つのだ)

 そんな藤堂 静が主人公にかけた言葉が上記の言葉なのである。

 ちなみに、その後藤堂 静は一人でフランスへ旅立つことを決心するのだが、その姿を見送る主人公のモノローグがこれである。

「華やかなドレスを捨てて
ジーンズでパリを歩く静さんを想像できる
でも きっと 靴だけは 最高のものをはいていくんだわ」

(「花より男子」からの引用)


 こんな素敵なやりとり……あるかい……。
 当時のわたしは戦慄した。あまりにもかっこよすぎると。このセリフにはどこか説得力があると当時小学生のわたしでもそう思った。
 ジーンズでなくとも、シンプルな黒いワンピースに、ぴかぴかの赤い靴を合わせるだけで物語の主人公のようになれる。

 靴にはそんな力があった。

 それから何年も経って、わたしの人生にも色々なことがあった。
 今のわたしは新たに気づいたことがある。
 確かに、いい靴を履いていると、いい場所へ連れて行ってくれるような気がする。

 でも、こうも思うのだ。

 それは、“素敵な靴を履いているだけで、今いる場所が素敵に思えてくる”ということ。

  心を壊して会社を休職し、復帰した直後は会社に通うのが本当に辛かった。朝起きて体調が良かったことの方が少ない。常に憂鬱と焦燥感の板挟みで、歩く時も下を向くことが多くなった。

 そんな時、鮮やかな色の靴が視界に入るだけで、すっと心が軽くなった。

 何も問題は解決していないのだけれど、それでも確かに、コンクリートの上に立つ自らの足を見るだけで救われたのだ。

 ああ、靴が好きで良かった。まだおしゃれをすることが好きで、良かったと。そう強く思った。

  わたしは静のように強い女性ではないし、一人で遠くに旅立つこともできなかったけれど、だからこそ“素敵な靴を履いているだけで、今いる場所が素敵に思えてくる”と気づくことができた。

 もしかしたら、彼女のあのセリフをこう解釈してもいいのではないかとすら思えるのだ。

 ◇

  最近、カメラロールを遡っていたらある写真を見つけた。

 それは、赤い靴を履いた三人の足元の自撮り写真だ。
 片足だけぴっと伸ばしたような、足が並んだ写真。真ん中の足はどう見てもわたしの足だ。両サイドの靴にも見覚えがある。わたしの靴と比べるととても大きな赤のスニーカー。

 そうだ、これはかつての上司と撮った写真だった。

 前の会社には休日出勤というものが存在した。

 それは、その分平日が振替になるとかそういうものでは一切なく、単純に6連勤の週が月に二度ほどあるという感じのものだった。(就活生のみんなは絶対に“完全週休二日制”と“年間休日125日”を死守してほしい)

 言わずもがな、休日出勤は憂鬱でしかなかったのだが、ある意味良い面もあった。
 それは、なんとなくみんなゆるい雰囲気が漂うということだ。
 取引先からの電話もない、重要な会議もない、ただ溜まっているタスクを誰の邪魔もなく消化できる日。だから、お昼はいつもよりお高いランチにしたり、服装がラフでカジュアルになったり。休日となるとみんなどことなくゆるい雰囲気が漂う。

 これはわたしにとっては、“いつもより派手な色の靴を履いても良い日”を意味する。
 いつもギリギリを攻めていたわたしだが、ピンクの靴は履いてもいいけれど、さすがに赤はダメなのではという自分ルールがあった。赤は特別な色のような気がして。
 だからこそ、平日には絶対に履いていかない赤い靴は休日出勤にはぴったりだったのだ。

 むしろ、「休日も働いているんだから、赤い靴くらい履かせてくれよ!」くらいの気概だったのだろう。

  その日は、珍しくチームのみんなでランチをすることになった。
 いつもと違う、会社から少し歩いた場所で食べようという話になり、颯爽とオフィスを出る。ここの交差点は赤信号が長いだなんだと、そんなことを言いながら横断歩道の前で信号が変わるのを待っていた。

「あっ」

 気づいたのはわたしだった。ふと足元を見ていたら、ささやかな奇跡を見つけた。

 そう、そこにいた上司たちとわたしの靴がみんな真っ赤だったのだ。
 赤いパンプス、赤いサンダル、赤いスニーカー。赤い靴とはなかなかに奇抜だ。それなのに同じ日に揃うことがあるなんて。
 こんな偶然あるのかと思いながら、上司にそのことを告げると彼らも笑ってそれぞれの靴を見比べた。

 その時に撮った写真だ。

 今こうして見ると、赤い靴が揃ったことは偶然ではないのだと思う。たぶん、それぞれ赤い靴が特別で、きっと休日だからおしゃれがしたくて。
 だから、わたしはあの時上司たちが自分と同じ気持ちで、同じ意図で赤い靴を選んだのかもしれないと。
 うれしかったのだ。

 ◇

  新しい職場では、大きなリボンのついたつま先の丸いパンプスを履いている。

 色は黒だけれど、かわいいし、履きやすくて働きものの良い靴だ。

  余談だが、前の会社では「他人の足元までそうそう見てないだろう」と高を括っていたが、新しい職場で社長に「あなたが入ってきてから、あなたの足元がよく目につくようになりました。人って意外と、人の足元を見ているんですね」と言われた。(前後の文脈的に怒られてるわけではない、たぶん)
 注意こそされなかったけれど、前の会社の人もわたしの靴を見ていたかもしれない。そう思うとすこし笑えた。

 今となってはもう知る術も、必要もないことだけれど。

 
 足元を彩るとは、なんと贅沢で幸福なことか。

  わたしはいまだに飽きもせず、靴が好きである。
 
 たぶんこれからもずっと好きなのだと思う。




 

 

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