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桃の影

 家から歩いて30秒ほどの場所にある花屋は、どうにも薄暗い店だった。東京の下町に佇むその店は、長い歴史を思わせる古めかしい建物で、店主の自宅と一体化している。
 いつも電気はつけず、自然光のみに頼っているものだから、よく近づかないとお店が開店しているかどうかも分からないのだ。

 初めてその花屋に訪れたのは、わたしがこの町に引っ越してきてすぐのことだった。無人の店内だったが、少し経つとお店の奥(と言っても5メートルほどの距離)にあるふすまがゆっくりと開き、腰の曲がったおばさんがこれまたゆっくりゆっくりと、近づいてきた。

 「これをください」

 端っこにある短い小さな花束を指差すと、おばさんは極めて淡々と「250円ね」と言った。すぐに小さな花束を綺麗に整えながらおばさんは思い出したようにこちらを見た。

 「これ、終わりかけの花を切って作ったから、短いよ。仏壇には向かないよ」

 「あ、いいんです。家に飾る用、なので」
 「あら、そうなの」

 この下町では花を買うといったらまず仏壇用となるらしい。どうやらこの店で小さな花束だけを買う客は少ないようだ。おばさんは再びゆっくりと奥のふすまに向かって歩いていく。手元の可愛らしいチューリップとスイートピーはピンクの英字新聞に巻かれていた。


 それから、何度か花屋へ訪れては小さな花束を買い続けた。おばさんとは別段、世間話をすることもなかったため、相変わらず身体を重そうに引き摺る姿に、いつも小さな花束しか買わないのになんだか申し訳ないなぁと思った。それでも、ガラス越しに慎ましく佇む小さな花々に、わたしはいつも足を止めてしまうのだった。


 初めて花屋を訪れてから、一年が経った頃、わたしは精神的に体調を崩し、1ヶ月間会社を休職していた。

 一年という月日は存外濃密で、少しずつ色々な変化があった。この町には少し高いマンションが建ち、花屋は500円の花束を増やし、ご主人であろう男性が対応してくれることが多くなって、あのおばさんを見かけることも少なくなった。

 その日は休職期間の最終日だった。明日に迫った出社に、煮え切らないわたしは祈るような気持ちで散歩をしていた。吸い込まれるように花屋に足を踏み入れると、珍しくあのおばさんがふすまからゆっくりと出てきた。

 「これをください」

 はいはい、と花束を整えるおばさん。菜の花の他に、名前の知らない枝ものが入っていたので、珍しくわたしから話しかけた。

 「この花はなんですか?」
 「これは桃の花だよ」
 「ああ、桃の花」

 「そういえば、今日はひな祭りかぁ」

 独り言のようにぽつりと言うと、おばさんは悪戯っぽくにたりと笑った。

 「もう一本おまけしてあげる」

 一年間細々と通って、はじめておばさんが笑うのを見た気がする。それが今日だなんて。偶然に決まっているが、なんだかおばさんの笑顔と増やされた桃の花が、今日までのわたしを肯定してくれたような、そして明日からのわたしを応援してくれているような気がした。

 このままでいいよね。と言われたもう一本の桃の花は何にも包まれず裸のまま渡された。帰り道、左手にはいつもの英字新聞に包まれた小さな花束と右手には裸のままの桃の花。
 桃の木からそのまま枝を折ってきたようにも見えておかしかったけれど、わたしはこの時確かに、おばさんの少し大雑把なそれでいて嘘のない優しさに救われたのだ。


 家まで30秒ほどの短い距離だが、嬉しくて我慢できずに道中スマートフォンで写真を撮った。
 夕焼けを背負ったわたしの影は、桃の花がツノみたいでなんだか滑稽だった。その姿は明日からも人生を生きていける影だった。

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