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「希望としての『破壊』と、絶望としての『創造』(仮説)」2023年7月10日

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「破壊と創造」に見出した美


私は美術科の設置する高校に入学してから現在にかけての約6年間、絵画、立体造形、インスタレーション、詩、映像、小説、音楽と、様々なメディアを用いた作品制作、表現行為を行ってきた。
もちろん、高校入学以前からも何かを作るという行為は、イラストレーションを軸として幼少期から絶えず行ってきている。
しかし、双方には明確な違いがある。それは、私が主体的に見出した「美」が、制作の根底にあるのか否かだ。

では、具体的に私は何から「美」を見出したのか。
それは、2016年に公開された映画『シン・ゴジラ』において、ゴジラが熱線で東京の街、否、日本を「破壊」する場面である。

まず、米軍の攻撃に際した東京都心の意図的な停電による都市機能の停止。そして、ゴジラの炎と放射熱線による都市の物理的な「破壊」。最後に、内閣総理大臣も含めた官僚11人の乗るヘリコプターの「破壊」による日本の中枢機能の「破壊」。
物語の中盤、約10分あまりの場面だが、短い尺の中で段階的かつ歯切れ良く、VFSを用いて精細に描かれた日本の「破壊」は鑑賞者に恐怖と絶望を与えた。
しかし、私は明かりの一つも無い東京都心の中心に赤と紫の光を纏い立つゴジラが、「破壊」を通して街を自らと同じ色と光に染めていくその場面に「美」を見出した。

ただ、私はこの「破壊」を自らの経験と照らし合わせ、そこから「創造」への可能性を見出した。
それは、短い人生の中でも、東日本大震災や、原爆ドーム、第五福竜丸展示館の見学を行う平和学習から、日本が度重なる「破壊」に見舞われても、それを「創造」を経て乗り越えてきたというカタルシスを、潜在的に見出したが故である。

私が見出した「美」の根底にあるものは「破壊と創造」だった。

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創造への疑心


先に日本が「『創造』を経て乗り越えてきた」と記したが、それは本当なのだろうか。
確かに、私は高校、大学と、自らの内面で「破壊」されたコトを、表現行為などの「創造」を通して昇華する、失敗や喪失を内省する意識で作品制作を行ってきた。
自らの失敗や喪失などの「破壊」を受け入れ、より良く生きる方法を「創造」する。その点において「破壊と創造」は、個人の成長において重要だろう。

しかし、社会はどうだろうか。
2019年に制作した《Rusted Sign》という作品は、今思えば社会における「創造」への違和感を、特定の「場所」から見出し、体現している。

《Rusted Sign》2019

光ヶ丘公園の入り口に置かれている石像、その目の前に立つ赤い看板。
この赤い看板が、私が制作した作品《Rusted Sign》である。

本作で重要なのは、この作品が置かれている光ヶ丘公園の歴史だ。
1941年、太平洋戦争が始まり、川越街道と富士街道に挟まれた広大な土地、現在の光ヶ丘公園がある場所には、陸軍特攻隊基地「成増飛行場」が建てられた。それ以前は畑の広がる農村だったが、建設に伴い住民には強制立ち退きが命じられる。そして敗戦後の1948年、基地は米軍により接収され、同地には在日米軍の居住区「グラントハイツ」が建てられた。しかし、この場所は立川や横田基地に出勤する在日米軍にとって交通の便が悪い場所であり、約10年程で廃れる。そこから起きた地域住民が主体となる解放運動を経て、1973年に練馬区へ返還。名前の無いその場所は「光ヶ丘」と命名され、工事を経て現在の光ヶ丘公園が1981年に開園する。

基地の建設に伴い強制的に立ち退きさせられた地域住民の生活の「破壊」。敵の「破壊」を目的とする、基地から飛び立つ陸軍飛行戦隊。敗戦後、飛行場で行われた、米軍による戦闘機と基地の「破壊」。飛躍して、米国が「破壊」した日本のアイデンティティ。戻り、年を経て廃れた在日米軍の居住区「グラントハイツ」の、地域住民の解放運動による「破壊」。
その歴史は、光ヶ丘公園に留まらない、太平洋戦争において連鎖した「破壊」の象徴であり、日本という国家について、ローカルな視点から考えることが出来る貴重なモデルである。

しかし、「創造」された光ヶ丘公園はどうだろうか。
本作は、私が光ヶ丘公園に対して漠然と抱いていた違和感が起点だった。その違和感の正体は、この場所が太平洋戦争の「破壊」について考える上で貴重なモデルであるにも関わらず、その影ですら一切感じられないほど「創造」された公園が徹底的に整備されていることである。

しかし、私は光ヶ丘公園へのリサーチを行う中で唯一、歴史と現在が繋がる存在を発見した。それは、公園内の屋敷森跡地と呼ばれるフェンスに囲まれた土地の隅にある、「グラントハイツ」時代に立てられた駐車禁止を示す看板だ。

光ヶ丘公園の数奇な歴史に思いを馳せて|特集記事|とっておきの練馬』から

そこにあった赤く錆びた看板は、私の「創造」への意欲を掻き立てた。
私はそこから下の画像の、かつて「グラントハイツ」の入り口に立てられていた看板をモチーフにした、赤い看板を制作。二つの看板は、時を越えてほぼ同じ位置に置かれている。

光ヶ丘公園の数奇な歴史に思いを馳せて|特集記事|とっておきの練馬』から

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希望としての「破壊」/絶望としての「創造」


より良い「創造」のために「破壊」を受け入れる必要がある。
「破壊」を受け入れるために「記憶」する必要がある。

私は光ヶ丘公園の近辺に幼少期から住んでいたが、本作を制作するまでその歴史を知らなかった。リサーチを通して、公園の徹底的な整備は、その歴史を記憶させないため、意図的に隠しているように思えた。
太平洋戦争による「破壊」の「記憶」がそこにはない。光ヶ丘公園の「創造」は、太平洋戦争の「破壊」を受け入れていないのだろうか。
また、それは光ヶ丘公園に限るコトではない。失敗や喪失などの「破壊」を受け入れないまま行われる「創造」は、モノ、コト問わず、社会に溢れているのではないだろうか。

しかし、その「創造」は誰かが悪意を持って意図的に行っている訳ではない。先に「『破壊と創造』は、個人の成長において重要」と記したように、各々が全く異なる立場や考え方を持つ社会において、失敗や喪失などの「破壊」を明確にすることはほぼ不可能である。
ただ、根本的に「破壊」は社会が目を背けたいモノ、コトであるが故に、そこから生まれる「創造」は、まるで「破壊」を受け入れてないモノ、コトのように見える。加えて「破壊」を受け入れるための「記憶」を生み出すことを阻害する。

私は、社会においても「破壊」を受け入れて「記憶」する術を手に入れるべきであり、それがないが故に、歴史は繰り返すと考えている。
私は、より良い「創造」のために受け入れて「記憶」するべき「破壊」を「希望としての『破壊』」と名付けた。

しかし、先に記したように社会において「破壊」を明確にすることはほぼ不可能であり、そこから生まれる「創造」は「記憶」を阻害する。
私は、社会に溢れる「破壊」を受け入れないまま行われる「創造」を「絶望としての『創造』」と名付けた。

今後は、この二つの言葉を軸として、卒業制作に向けたリサーチを行っていこうと考えている。

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