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2021/03/26 「子午線の祀り」を観る①非情の相を見定める

不夜城の都会で天空の大きさを実感することは難しい。街の明かりにかき消されて、星々のありかも分からない。ただ、月だけが輝くのみーー。

柄になくそんなことを思ったのは、先日、舞台『子午線の祀(まつ)り』を世田谷パブリックシアターで観たからだ。

平家物語に材を取り、滅びゆく平家の運命を、宇宙の視座からとらえた壮大な劇。木下順二・作、宇野重吉・総合演出で1979年に初演されて以来、幾度となく上演されてきた。伝統芸能の役者や新劇俳優らが共演、「群読」という語りを駆使する点からも、戦後日本演劇を代表する名作だ。私は、1999年、2004年、2017年と公演を見続けている。

今回の2021年版は、コロナのため、2017年版では31人いた出演者を17人に減らし、上演時間も4時間強から3時間強へと短縮。コンパクトにした中から、平知盛らの心模様や人間関係がより鮮明に浮かび上がった。

いつの世にも呼応するものを秘めているのが古典の条件だと思うが、この日の舞台で心に迫ったせりふは、壇ノ浦の戦いを前に、知盛が口にする「非情の相を見定める」だった。

「大自然の動きは非情」

「人の世の大きな動きもまた、非情なもの」

「非情の相を ーーしかと眼をこらしてーー見定めよ」

コロナ禍にあえぐ非常の今は、まさに「非情」。観劇の帰り道に見上げた空は遠く、冷徹なまなざしで見下ろされているような気がした。「子午線の祀り」で感じたことを、しばらく書き綴っていきたい。


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