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2021/06/25 「桜姫東文章 下の巻」を観る

上演中ながら既に伝説となりつつある6月大歌舞伎・第2部『桜姫東文章 下の巻』を観た。清玄と釣鐘権助の二役と桜姫を、片岡仁左衛門(元・片岡孝夫)と坂東玉三郎の「孝玉コンビ」が36年ぶりに演じている。感染対策で座席を半分に減らしているだけに、チケット争奪戦はさらに激化。4月大歌舞伎で上演された「上の巻」は敢えなく撃沈した。今月も半ば諦めていたところ、運良くゲットできた。以下はその雑感である。

私の東京地図は劇場でできている。その中でも歌舞伎座はやはり格別である。演目の描かれた絵看板や幕を目にすると、心が浮き立つ。

今回の最大の収穫は、桜姫という女性の性根が、初めて腑に落ちたことだ。公家の姫君が自分を襲った男、権助に惚れて、女郎にまで身を落とす。やがてその権助こそ、父親と弟を殺した仇だと知って、その男ばかりか、男との間にできた我が子にまで手をかける。

桜姫のことを、かつて思い交わして心中を図った末に、1人で死なせてしまった稚児、白菊丸の生まれ代わりと信じる僧の清玄につきまとわれ、その宿命に流されているように見えて、土壇場で毅然と刃を向ける桜姫。これまでは、着ぶくれた十二単の中に隠されて、彼女の芯なるものが分からなかった。

「所詮、この身は、毒食わば……」。権助によって女郎屋に売られていく場面で、桜姫が吐くせりふ。ああ、彼女は騙されているわけではない、得心した上で、女郎になるのだ‥。

今の女性観で桜姫を捉えきれない。想像以上の縛りやしきたりがあった時代、状況に委ねて、受け身で生きた女たちが大勢いたはずである。

桜姫にとって権助は悪党だが、どこか異世界からの闖入者のように思えたのかもしれない。今までとは違う回路を開かれたのか。

個人的には、権助の一連の行為を拒絶するし、嫌悪する。だが、桜姫の心持ちを考えると、権助に惚れることで、「被害者」ではなくて、恋の当事者になろうとしたのではないか。権助との暮らしを立てるため、女郎になる覚悟をしたのも、自分の運命を引き受ける性根、生き抜くためのしたたかさがあったからだと、玉三郎の桜姫を見て思った。だとしたら、生まれ代わりだからと言い寄る清玄をすげなく拒絶するのは合点がいく。

超絶に美しい名舞台。鮮やかなで血の通った桜姫を、脳裏に刻み込んだ。

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