平松礼二さんを日本画へ導いたジャパン・ブル-の話【和樂web取材こぼれ話・その6】
小さな出会いが、進路を決めるきっかけになった―。そんな経験はありませんか? 先日、和樂webに書いた「モネの睡蓮」を日本画にしたら? 30年の探求の末に、超大作『睡蓮交響曲』を完成した平松礼二氏 という記事で、印象的だったのは、そんなエピソードです。
平松さんが日本画の道を選ぶきっかけは、少年時代に拾った瀬戸物のひとかけらの「藍」でした。瀬戸の染め付けに使われる「呉須(ごす)」という顔料だと知り、この藍の絵の具がある日本画へ進もうと決意したそうです。
実は、私が『睡蓮交響曲』を取材したいと思ったのも、神奈川県の町立湯河原美術館の展覧会のチラシに載っていた『ジヴェルニー 池の水鏡』の写真の「青」に魅入られたのがきっかけでした。この青は正確には群青色で、藍色ではありませんが、「青」に懸ける平松さんの思いが、いつまでも見飽きない青の深さになって、寄せては返す波のように、私の心に響いてきたと思います。
「藍」はジャパン・ブルー(Japan Blue)とも言うそうです。明治の時代に来日した英国人化学者が、日本人の多くが着ていた藍染めの着物を見て、名付けたのが由来だそう。藍は、サッカー日本代表のユニホームや、東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムにも使われていて、日本を象徴する色なんですね。平松さんも、「日本人の一番奥底にあるのが藍色」とお話しされていました。
「藍」つながりでいうと、今放送中のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一の実家も、藍染めに使う藍玉を作る農家でした。
一つの出会いがどこかの誰かにインスピレーションを与え、新たな出会いにつながっていく。素敵な連鎖だと思いませんか? 『睡蓮交響曲』についても同じことが言えます。浮世絵を愛したモネ、そのモネに敬意を表して、平松さんは、モネの睡蓮をモチーフに日本画を描きました。この流れを踏まえて、「誰かがどこかで、また新しい『交響曲』を作らないかなあという夢を持って描きました」と平松さん。時と場所を越え、紡がれる芸術の魂に、思いを馳せた取材でした。
※この展示は、感染対策を徹底の上、2021年6月28日(月)まで開催中です。
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