彼のようになったら、私も死を選ぶのか

(きょうだいの自死の後に思ったり考えたりしたこと。具体的な話はしてないし、暗過ぎないとは思っているけど、一応注意書きを)



2017年の年末。春に退職した私は、アルバイトはしていたけど、正規職員で働いてるわけではなく。時間がたくさんあった。

12月のシフトは終わり、1月の仕事始めは割とゆっくり。春前にはまた正職員で働くイメージもあったから、きっと最後のまとまった休暇となる。

この休みをどう過ごそうかな、と思っていた時に、友達と飲みに行った。
私は当時に起きたあるニュースでわりとナーバスになっていたが、飲み自体はとても楽しかった。

夜遅くに帰ってきて、部屋に入り、ベッドに倒れこみ、携帯を触る。
ふと、疲れとともに何もかもめんどくさく感じた。

そして1つスイッチが入った。

あ、ずっと、やりたいとどこかで思っていたこと、試してみよう、と。


それから、私は携帯を音量オフにして投げ捨てた。
パソコンのメールソフトも閉じて。時計のアラームもオフにした。

私はこの期間、すべての人との交流を断った。

何も見ないことにした。

時折わたし自身の気持ちの持ちようでそうなることはあったけど、そうではなく意図的に人を絶った。
無為に過ごして、物思いに没頭するということをした。

携帯も切って、アパートにこもる。
何にも頑張らない、何にも明るくなろうという努力をしない。

一切の望みを捨てよっていうそういう気分で。

ただただ日を過ごす。


嫌になった気分をそのままにして。
自分で盛り立てず、流れるままにして。
もう何もかもいい、っていう気持ちをただその気持ちのままに過ごす。
時間も欲も、その時その時の気持ちに従わせる。

1月にちゃんと仕事の予定があるからできることでもあった。
私は仕事の約束だけは破らない自負はあったから。
だからだからそれまでは、たっぷりある時間を使おうと思った。

そうやって過ごしたかった理由は一つ。
私は知りたかった。


そういう日々を過ごしたら、私も兄と同じようになったなら、
私も死ぬのだろうか、ということを。



「ああ、死のう」、そう思うのか。
自殺が、その日のやることの選択肢として入ってくるのだろうか。


そのことだけを知りたくて、12月の寒い日々に布団に包まりながら、
ぼーっと横になり日を過ごした。考えたくなくなったら寝た。

こんこんと。
もしくはずっと夢を見た。

人を断ち、暗さに身を任せ、あえて無為に過ごすということ。
それで、兄の苦痛のありかの体現をしてみたかった。




私の兄は数年前に自死している。

そのことを含んだ諸々を考える時、
私の中にはいつも、2つの気持ちが混在していた。


兄がした最後の選択を、その決定が薄暗くても肯定してあげたい、きょうだいの私ぐらい大切にちゃんと理解してあげたい、そう思う気持ち。
その選択を怒ってやりたい、絶対認めてなんてあげたくない気持ち。
その2つ。

自分で死を選ぶこと。それを許してしまったら、自分の中で死が圧倒的に近くなる気がして、たぶん生き物として肯定したくない私がいた。
死が近いのは怖く、できたら遠ざけたままでいたいというのは生存本能かなあと思う。
生き物としての死を避けるための嫌悪感。(自殺に対して非難を明らかにする人は、たぶん生き物としての防御反応が強いのだと思ってる。)

そして倫理観。価値観。死を選ぶ弱い行為を間近なテレビ以外で見たくなかったという気持ち。「自分から死を選ぶのはばかな行為だ!!」ってまっすぐに光を信じている人に、もはやなれない。そのことを認めたくない気持ち。

けれど、人との付き合いが少なかった彼が、できることはないと思った中でした、その方法。間違っているけれど、行き場もなくした行為を、兄弟の私ぐらい受け入れてあげるべきなんではという気持ちは確かにあった。

その気持ちでずっと揺れていた。

その感情のありかたがわからなかった。


自分で自分を死なすと言うことは、それは方法も行為も暗くて、その時の熱量すら想像するとキツイ。
知らない誰かではなく、知っている人だから、そこはより強い。
けど、その気持ちの真っ直ぐであったところは(曲がってくれればと思うけど)、ばかだねと思いながら、兄弟の私ぐらい認めてあげるべきなのかと思う気持ちを、考えたりしていた。

そしてただもう理屈抜きに、私が死んだら、ぶん殴ってやって。
そして沢山自慢して(生きていることの楽しさを!)、うらやましいでしょ、何もったいないことしてんのよって、胸ぐら掴んで、話してあげられればいいのかなって、そんな風に思った。(と言いながら、死後の世界を信じてはいないけど)

私は悲しいけど、それと同時に怒ってもいる。その行為に。

だから、いつかぶん殴って。
そうしてからちゃんと謝る。
支えになれなくて、うまくやれなくてごめんねって。
もっとできることはあったのに、できなくてごめんって。

そういうことを思いながら、いつかそうできる自分であれるようにわたしは生き切る。それが兄にしてやれる、私ができることかなとなんてそんなことを、生活のふとした時に考える。

前に記事に書いた詩のワークショップで感情を詩にしたりする中で、
兄が自死を選んだ、それ自体への気持ちは
時折高まっても、だんだん整理でき始めていた。




ただその中で、一つだけしっかりと整理しきれていない
もやもやした部分があった。

それが上で書いた、
私も兄と同じようになったなら私も死ぬのだろうかという不安だった。


いつも少しだけ怖かった。

いつか私も、そういう思いに飲まれて同じようになるのではないかということが。

自殺者の家族はまた自死を選びやすい。そういう統計もある。
なんとなく、日々を過ごしていて、その理由もわかる。

私は兄と違うのだ、そう思いたい部分と、でも私だって同じ環境で育った人間で、根っこは同じじゃないか、そう考える部分。長く胸にあった。

私もいつか、兄と同じように死を選ぶのだろうか。そういう問い。

だから、12月の日々を、その問いから頭をずらさず、
わかるまでずっと付き合ってみることに使った。

兄が自殺をしたのは兄が特別だったからだろうか。
私の家の環境は良くなくて、それが原因だろうか。
なら私もいつかそうなるのだろうか。
いつか何かに負けて、死を選ぶことがあるのだろうか。

優しすぎてそうなってしまうというなら、
今生きている私は、優しくない人間だろうか。


私は兄と違うんだと思って、兄がまるで自分といえど人を殺した犯罪者のように感じてしまう部分。所詮、私たち兄弟は同類だと思う部分。

頭によぎっては、かぶりを振って消し、日常を過ごしていた。
けれどふとよぎる。その感情とただ向き合うのに時間を使った。

しかし言ってても書いてしまえば
本当に過眠と浅い眠りを繰り返し、それだけをする。
そんな日々だった。

自問自答を書き連ね、考え、たらればを繰り返す。
リストカットをする気も全くない、そういう才能もない。
知識がある分やるときはちゃんとやるだろうとか、思いつつ、腕を見つめながら、体の重さを感じて寝る。

書いてみるとくだらない。
ただの引きこもりだ。

出口のあると保証された迷路で、バタバタしているだけ。
友達のラインを無視し、自分のダメさと無様さを自分の中で重ねる。

そんな無為な行為の先にそういうものがありうるか、思う。

過ごしていて、なるほどと、思った。
ちゃんとわかった。
はまり込めば
私だって、自殺を選ぶということが。


ただそれは
私が、それを選んだ兄ときょうだいだからではない。
人はそういう状況になれば、そういうことになりうるのだということ。
それがなんだかわかった。

私は兄と同じなのだ。
それは兄が特別だからでなく、そうなのだということ。

つなげる希望を消していき、できないことを数え、焦り、焦りを見ないために無為さをもって、その無為さすら見逃せなくなった時に、一つでもきっかけがあれば、人はそうなりうる。
私だってそうなりうる。それは、きっと誰だってそうだ。

兄が特別だからではない。


でも、だからこそ
あ、わたしはしないんだなって思った。

わたしは、そうなるのが怖くて、
いつも小さい小さいタネを蒔いていたから。

ご飯の帰り道に、
ふとメンバーの顔を浮かべて、
あの人の表情を曇らしたら悲しいな、と思ったり。
また〇〇について喋りたいな、と思ったり。
可愛い子供達の生きる姿をたくさん見たり。

あの本の続編いつかなあ、とか。
やっぱり夕方の空は綺麗だなぁ、とか。
立ち寄ったコンビニでアメリカンドッグが食べたい、とか。
また〇〇をしたいなぁ、とか。
本を並び替えると気持ちいい、とか。
飲んだ後のラーメンは美味しいなあ、とか。

小さい小さいガラクタに似てたりもするけど、少しだけ意味があるものを、日々の中で、いつかのために埋めている。

そういうのをふとした時のために、たくさん蓄えておくしかないって、わたしは知っているから。
ふと、暗いものにハマりそうになった時に、頭をよぎる、そういうものを蓄えておくしかない。それすらも効果がないこともあるのだろうけれど。
それでも蒔いておくしかないのだ。

ふとした時に思い出せるものを多く持つ。

それが私が生きていくために私のためにできることだと私は知って過ごしてきたから。

その生活と物書きの中で一つだけ短文を書けて、
それで出てきた言葉になんとなく落とし所がついた気がして、引きこもりを終わらした。

わたしは あなたではない
わたしは あなたみたくならない
そう言って線をひいた
けれど あえて言う
わたしは あなたと同じである
あなたがいる場所にいたら
わたしも同じ道をいく
わたしの中にはあなたがいる

(2018.1 未完成)


『わたしは あなたではない
 わたしは あなたみたくならない
 そう言って線をひいた

 けれど あえて言う
 わたしは あなたと同じである』


わたしは自殺した兄のことを、なかったことにしたくて拒んだ。受け入れられなかった。きっとまだ認めきれず、拒んでいる部分もある。
けど、わたしもあなたも同じだと、私が言えて、それでも私はちゃんとやっていきたいと思える。そう思えている。

ひとまず、そう思える私でよかった。


まとまったかわかんないけど、了




果ノ子
(年末のことを少し書いてみたくて、書いた。)
(兄の話も自己整理も兼ねて、いつか文章にしてみたいけれど、兄の個人的な話だから書くのを躊躇する。noteに書きたいって感じではないのかも。ただ兄のことはグリーフケアに関わる理由になっている部分でもあるので、ちゃんと整理したい。)
(わざわざ、そういうことをしないとやっていられないところが、私の性格だなあと思ったりする。なんだろうな。)


本文に出てきた詩とか、ワークショップの前書いた記事↓



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