金銭感覚と好きな物と労働

果名だにょ| ε:)
今回は「金銭感覚と好きな物」について語ります。新年一発目です。今年もよろしくお願いします。


私が初めて「お金」を意識したのは小学生のとき。ゲーム禁止の家で育った私は「稼げるようになったら絶対ゲーム買うんだ」と強い志を持って成長した。小6で今の最推しに出会い、中学では同じ界隈のオタク同士で仲良くしていた。オタクになるとやはり気になるのはお金の問題。缶バをいくつ積んだだの、特典は合計いくらから貰えるのかだのお金の問題がシビアになっていった。Twitterで見かける「お姉さん」たちは缶バを何十個何百個と買って痛バを作ったり、祭壇を作ったりしていた。その豪快なお金の使い方と自分には出来ない愛の示し方に一時期は強く憧れを抱いていた。きっと推しもそういうオタクが好きなのだろうと勝手に思い込んでいた。

高校にあがるとバイトが出来る子が周りに増えた。私は塾と部活、生徒会活動でそれどころでは無かったのでバイトはしていなかったが、バイトをしている子たちは自分より確実にあのとき憧れていた「お姉さん」に近い存在になっていった。もちろん、学費のために働く子も居たが、大半は娯楽費用を稼ぐために働いていた。しかし、私はかつて憧れていた「お姉さん」に近い存在になっている周りの子に憧れや羨望の眼差しは向けなかった。何故かは分からないが、「そんなにお金を使うのが楽しいのだろうか?」という疑問が出るようになっていた。缶バを何十個と買った子を見ても、推しを引くために必死にもがいているようにしか見えなくてあまりいい気はしなかった。フリマアプリが普及したりグッズの交換取引が普及してからは尚更だ。自分で買った大量のグッズを推しが出なかったら高値で売り飛ばす。何だか想像していたキラキラの「お姉さん」ではなかった気がした。きっとこれがオタクの現実だと理解するまでに時間はかからなかった。

そして大学に合格し、遂にバイトを始めた。まずは推しのライブ費用のため。バイトと言えど労働はとても過酷だ。職種にもよるが、私の仕事は立ちっぱなしのひたすらレジ作業。それを毎回4時間半×週4。人生初バイトにしてはかなり頑張った方だと思った。これを高校生でやっている子達はつくづく尊敬する。まじで凄い。小さい頃はレジの仕事だけでお金もらえるのいいなぁなんて無邪気に思っていたけど、立派な労働で対価がしっかり支払われるべき仕事だ。そんなこんなで人生で初めて1ヶ月働いた対価は3万強くらい。それに加え高校で貯めていたお小遣いがあったので近くの会場のライブに行くには十分だった。自分の稼いだお金で、推し歴7年目にして初めて推しを生で見た。頑張ってバイトに出て良かったと涙を流しながら思えるほどの体験だった。これが親のお金だったらまた違った感覚だったのだろうか。元々供給が少ない推しであるが故に、ライブがあればここぞとばかりにお金を出す。配信があればスパチャを飛ばす、お茶を投げる。なるほど、あのお姉さんはもしかしたら使える時に使えるように貯めていたものをパーッと使っていたのかもしれない。そういう考えもあるのかと思いつつ、次はゲーム機を買うべく働いた。

途中でバ先を変えた。3ヶ月で辞めて別のバイトを選択。運良く採用されて今のバ先で働き始めたのは夏のはじまり頃。前のバ先ではとにかく足がしんどい、髪染めネイル禁止、髪は結ばないとダメ、お客さんが多すぎる、バイトの子に知り合いが多すぎる(地元すぎて小学生のとき隣の席だった男の子に出会うレベル)、働いてる人が多すぎて誰が誰だかわからん、非力すぎてダンボールの飲料水が持てない等で辞めた。
今のバ先はというと暇すぎて暇疲れするくらいバイトは暇、ミスしても無闇に怒らず教えてもらったことを一緒に復習してくれる、適度にいじりいじられの関係をパートのお局とも作れる、超自由シフト、髪染めネイル自由(最近変わって神)というすげぇ心地いいバ先だ。
労働してお金を得るのに必要なのは「環境の良さ」なのだと知った。もちろん大変なことだって沢山ある。対価を貰うにはそれ相応の仕事をしなければならない。それでも人間関係や待遇が悪すぎるとお金を貰えても足りないと感じるし労働の意味を見失う。

さて、私は今年の8月に念願のゲーム機を購入。まさかの親と買いに行った。チャリで行ける範囲の電気屋にSwitchがなかったから車を出してもらった。買うと言った時は「えぇ、そんなもん買うんかい」って言われたから今回もなにか言われるかなと思ったけど特に何も言われず、むしろ「保証代くらい出すよ」と1000円ちょっと出してもらった。本体36000円程とソフト3本18000円程、ケースやカバーなどを合わせて5000円程の計6万弱を自分で払った。払うときはさすがに震えたし銀行の残高の減り具合にビビったけど、小学生のときの夢を自分の手で叶えられた感動が勝った。嬉しかったというより幸せだったの方が合う、そんな感情だった。その後も秋にソフトを1本買い、ダウンロードコンテンツを購入した。買う度に小学生のときの感覚を思い出してとてもわくわくした。多くの小学生が体験しているだろう夜更かしして暗い部屋の布団の中でこっそりゲームをするという体験を18歳になってからした。あの頃、ゲーム機がなくて周りの話題についていけなくて少し気が引けてた自分に言いたい。夢叶えたよ、と。スポーツ選手になる!みたいな大きい夢では無いけど私の中では絶対に叶えたいものだった。小学生のときは軽々しく考えていた労働に対して貰えるお金の重みをこの身で実感できたからこそ、夢を叶えたぞと自信を持って言いたい。

現在、SNSが普及して中学生、ましてや小学生でもオタ活に関して他人の状況を見ることができるようになった。「親金」という言葉が出てきたり、「お金=愛ではない」「強オタ=お金がある人」ではないなどと言った論争が起こったりしている。お金の稼ぎ方でもパパ活などの危険な稼ぎ方や身体に値段を付ける方法などが一般的に浸透してきている。それをどう思うかは人によりけりだが、私は夢や目標の為なら、自分が思う「普通」の日常生活が送れるならいいと思う。どんな稼ぎ方でもその人の「努力」がそこに詰まっているだろうから。後悔してもそれは自分の選んだ道だからどうにかして吹っ切れるしかない。お金を稼ぐことは難しいし現実は厳しいということを頭に入れて、楽に稼ごうと違法な道へ行かないように気をつけていればもうあとはその人次第。

ただ、働くという経験はある程度必要だと思う。お金が必要かどうかだけでなく、社会経験を積むという意味で1回はバイトをした方がいいと私は感じる。接客業をしてから店員さんへの対応は変わったし、少しは愛想が良くなった。年上の人と話すのが苦手だったのが克服しつつある。お金とプラスでなにかいいことを得られる環境が自分に合う環境と言えるんだろうなということを今のバ先で学んだ。

貴方はお金そのものを、稼ぐための労働を、稼いだお金の使い道を、どう考えますか。「お金如き」に執着する人間を醜いと考えるか賢いと考えるかこれが現実だと考えるか。自分の幸せ以外に使うお金を勿体ないと考えるか必要経費だと考えるか当たり前のものだと考えるか。朝から晩まで汗水流して働く労働をくだらないと考えるか馬鹿らしいと考えるかお金のためなら仕方ないと考えるか。色んな視点で色んな考えがあると思います。ぜひその考えを聞かせてください。コメントお待ちしてます。

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