明日は9月1日、死に囚われていた私からあなたへ

果名だにょ| ε:)
今日は9月1日の明日に向けてみんなへ、書きたいと思ったことを書こうと思います

今晩も良かったら見ていってね

9月1日は1年で1番多くの子どもが自ら命を絶つ日。未来への希望を失い、周りの人間から孤立し、一瞬でこの世を去る。

休みの間は学校に行かなくて済むから現実を見ずに済んだ子は、休み明けの学校という現実に絶望し死を選ぶ。休みの間は学校に行かないから家で1人苦しんだ子は疲れきって生からの解放を実行する。

かつての私も、夏休み明けは希死念慮が酷くなっていた。嫌な人間関係から解放された夏休みを、友達が居ないなりに全うした約35日間。そしてやってくる始業式。

「2学期は1年で1番長い学期です。」

なんて言わないで欲しいよね。あぁ、この辛さに1学期よりも長く耐えないといけないのかなんて思って死にたいが加速する。同級生も先生も親ですらも敵に見えて。きっとこの先、生きててもいい事ないななんていう希死念慮保持者のテンプレのような諦めがついて、刃物やロープを持ち出したりどこか遠くにふらっと消えたりする。

飛び降りようと校舎の4階から身を乗り出してみたり、止まらないリスカでいっそ死のうと力をいつもより込めてみたり。それでも死ねなかった。

だからこそ今、死ぬななんて言えない。生きてみようよなんて言えるわけが無い。だってあの時の私は同じこと言われてもっと絶望していたから。お前らに何が分かるんだよ。じゃあ一生面倒見てくれるんだな?一生幸せにしてくれるんだな?って。

死ぬことしか考えてなかった13歳が、今年19歳になって思うこと。


自分の世界を作りなさい。
そして一生懸命逃げろ。


13歳の私の世界はとても狭かった。死ぬに死ねなくて仕方なく生きてみた。何となく勉強頑張って何となく興味あるものに片っ端から手を出してみた。そしたら今は生きててよかったと思えた。

決して綺麗事なんかじゃない。自分の世界を自分で作った。ただ、作るのに時間がかかっただけ。辛い時に逃げ込める自分の世界を知るのが周りより遅かっただけ。ただそれだけだったんだ。

そして君たちは逃げるってことを知っているか。
私はずっと知らなかった。真正面から立ち向かうことしか知らなかった。折れそうになる自分に鞭を打つことしか知らなかった。それじゃダメだよ。たまには力抜いて怠惰になろう。力の抜き方がわからないならとりあえず何の予定も入れず、自分と向き合う時間を作ってみて。何もしなくていい。何もしなくても時間は過ぎていくということを身体で感じて。そしてまた次の日から自分なりに生きるんだ。

居場所がない、あったはずの居場所を見失った、毎日泣いていた、心を殺されたあるいは殺してしまった、助けてが言えない、逃げられない、勉強が出来ない、運動ができない、空気が読めない、生まれた意味を知らない、毒親持ち、片親、親がいない、友達がいない、兄弟が嫌い、兄弟がいない、趣味がない、お金が無い、自分の取り柄を知らない、悪いところは山ほど知っている、好きな人に振られた、生きる意味を無くした、仕事が出来ない、朝起きれない、夜眠れない、細かいことまで気にしてしまう、満員電車が辛い、就職できない、何もわからない。

死ぬのは簡単。
生きるのは難しい。
難しい世界で生きる方が価値がある。
易しい世界で生きていたい。

いくつもの考えが相反する世界で私たちは今日も生きていく。無理に生きるなとも死ぬなとも言わない。何かを頑張れとも言わない。

ただ1つ、自分が1番幸せになれる道を自分で選んで欲しい。

明日は9月1日、死に囚われていた私からあなたへ。

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