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魚河岸まで八里#3

─北小岩から篠崎まで─

 鮮魚街道(なまみち)の旅は写真集を作り力尽きた。だが、道は続いている。今度は新たに鮮魚街道の終点である松戸の納屋河岸から、鮮魚が船で運ばれた日本橋魚河岸を目指し、江戸川、旧江戸川、新川、小名木川、日本橋川沿いを歩く。


   *

 正月三日。嫁は早朝からフルタイムでパート、そのため娘は嫁の実家で預かってもらっている。嫁が朝8時に家を出たタイミングでなんとか起きれたが、凄い二日酔い&下痢である。正月二日は地元のバンド仲間と1時まで呑んでいたからだ。
 今日は14時から松戸の大都会という居酒屋
で仕事仲間の新年会である。今回は幹事的なポジションにあるため、絶対に遅刻はできない。しかし、新年会の会場も松戸なので江戸川に近い。今回は江戸川沿いを歩くためギリギリまで撮影ができるのではないか。
 9時半過ぎに家を出た。この危なっかしいコンディションでよく撮影に出かける気になるなと自分でも感心する。なにせ二日酔いでカラダは産卵のために川を遡上したサケのようにボロボロなのだ。

酒なだけに。けけけ。

 京成津田沼駅から各駅停車に乗り、京成線の江戸川駅まで。正月なので電車はガラガラだった。この正月特有のガラガラな車内というのはなかなかいいもんだ。なんとなく空気が凛としている。乗客は破魔矢を持ってたり、中吊り広告も初詣や厄払いの広告に変わっていて新鮮だ。
 2カ月ぶりに江戸川駅に着き、小さな改札を抜けると北小岩の町はちょっと前に会った親戚の子どものように他人行儀だった。前回どこをどう歩いてたどり着いたのか皆目わからない。
 これは北小岩のせいではない。私は稀代の方向音痴だからだ。
 とりあえず目ぼしい目標物として白いコートを着た若い女性の後をついていったらやっぱり逆方向だった。慌ててくるりと踵を返したが、知らない人が見たらそれこそ〝変態が女の後を付けるのを諦めた〟ように見えるだろう。

 間違いではないが。

 そして彼女と逆方向に少し歩くと目の前がモーゼの十戒のようにさーっと拓けて江戸川と市川橋が見えて来たのでひと安心した。だが、江戸川に沿って歩くとこれまた逆方向に歩いていた。

 オマエまた柴又に向かってどうすんねん! 

と自分で自分にツッコんだ。
 空はどんよりとした曇り空だが雨が降る気配は無い。雲の奥に黒い雨雲の芯がないのだ。
 私が撮影する時はいつもピーカンで、逆光や露出補正が面倒臭いが、今日はその必要が無さそうだ。久しぶりに日陰も日向もないフラットな撮影環境を楽しめる。
 しかし、改めて思うとこのカメラ、ライカSLは本当に便利な所に露出補正ダイヤルがついている。ファインダーを覗きながらこのダイヤルをクリクリ回すだけで感覚的に露出を補正できる。ライカM9のときはそうはいかなかった。撮影しても液晶で確認するしかないのだが、液晶の画質も昔のゲームボーイカラーのような画質なので失敗しても気がつかないのだ。このSLの便利さに慣れてしまうと、もうM型ライカを購入しても瞬時に対応できないかもしれない。そういえば私の叔父は死ぬまで行方不明になっていたのだが、秋田出身の母親や兄弟からは【すんず】と呼ばれていた。てっきり東北訛りで【しゅんじ】おじさんだと思っていたら【しんじ】おじさんだった。全然違うじゃないか。

 瞬時で思い出した。

 土手と民家の境界線スレスレを歩く。おしゃれなデザイナーズ注文住宅と土着民家が混在するまさにイーストサイドダウンタウン。注文住宅のほうは私に精一杯のおしゃれなライフスタイルの提案を押しつけてくる。庭先や窓辺、玄関から装飾品やグッズが外に向けてディスプレイされていて、明らかに通行人に向けてアピールしてくるのだ。

 じゃかあしいんじゃ!

 土手沿いの一本道を歩くと遠くに江戸川病院が見えてきた。私は確実にこの辺りに来たことがある。そう28年前、アートスクールの同級生〝サクちゃん〟がこの辺りのアパートメントに住んでいたのだ。当時、友達と遊びに来るとき、この病院を目印にしていたのを今でもはっきりと覚えている。
 サクちゃんは当時まだ珍しかったゲーム機、ソニーのプレイステーションを持っていたので、アポ無しで夜な夜な来ては遊んで騒いでいたのだ。ちょうど鉄拳というゲームが流行っていたときだ。調べたら鉄拳は1995年発売だった。主人公が勝ち名乗りを上げるときに言う台詞「10年早いんだよ!」をよく使ったもんだ。

 ある日突然、サクちゃんは
 僕らに何も言わずに引っ越した。


 次に夜中に遊びに来たら、彼が住んでいたはずの1階の部屋の窓が真っ暗だった。カーテンは取り払われフローリングだけのもぬけの殻になっていたのだ。私たちに嫌気がさして故郷の沖縄に帰ったのだろうか。サクちゃんは沖縄の泊港の出身で、その事件の少しあとに沖縄旅行のついでに路線バスでふらりと泊港に寄ってみた。水牛に引かれて嫁入りするような田舎町だと勝手に思いこんでいたので、立ち並ぶ灰色のビル群にガッカリした覚えがある。
 そんなサクちゃんの思い出詰まる江戸川病院の周りを練り歩いたが、彼の住んでいた白い小洒落たアパートは見つけることができなかった。恐らく取り壊されてデザイナーズ注文住宅にでもなったのだろう。

 それじゃあと諦めて今度は土手から2本ほど離れた脇道を歩く。
 古い民家や畑が点在するなかなか味わい深いエリアである。
 しばらく歩くと住所は北小岩から東小岩を経て北篠崎に変わっていた。何となく今日は篠崎駅でフィニッシュかなぁと考えていたので住所を見て安心した。なにせ稀代の方向音痴なのである。
 そして、目の前に途轍もなくデカい公園が現れた。どうやらこの超時空要塞のような大きさの公園の中を通らないと篠崎駅に辿り着けないらしいことを知る。なんと公園の中に車道が走っている。公園などを撮りたいわけではないので、嫌々歩くとバスケットコートやテニスコートがあってそれらを撮影してまぁそこそこ楽しんでしまった。

 新しい街だからか篠崎駅に近づくにつれ、最新型トヨタ車のデザインのようにどんどんつまらなくなってきた。新しめのマンションばかりで撮りたいと思うものもなく駅前まで来てしまった。

 ここでタイムオーバーだ。

 ここ新宿線篠崎駅から新年会会場の松戸駅は江戸川を舟で遡るなら近いのだが、電車で行くとなると篠崎駅→本八幡駅→京成八幡駅→高砂駅→金町駅→松戸駅と乗り換えも多く、かなり面倒だ。到着まで1時間もかかる。ギリギリまで撮影なんて諦めて早々にフィニッシュした。乗り継いで松戸駅に着くと30分も早く着いてしまった。永福町系煮干し中華そば屋の「大勝」が手招きしていたが、その後の呑みが台無しなるので我慢した。

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