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銚子街道十九里半#9

─下総橘から椎芝まで

 利根川土手に登り、東に歩き出した。
 布佐から松戸までを歩く鮮魚街道の旅は三度で力尽きた。今度は鮮魚が高瀬舟で運ばれたこの利根川に沿って、布佐から銚子まで下ろうと思う。つまり、ここから利根川の水が太平洋に流れ出るまでの道程を進むのだ。この道を銚子街道(利根水郷ライン・国道356号線)と呼ぶらしい。
 布佐河岸に標識が立っている。海まで76 .00キロメートル =19.352 里。約十九里。

    *

 6月下旬。快晴。
 前日の線状降水帯のおかげで雲が捌け、梅雨入り目前なのにバチくそ晴れている。嫁と娘は義理の妹家族とともに茨城県に旅行に出かけた。その瞬間、銚子街道まで赤い絨毯がひかれた。盤石の写真撮影日和である。奇跡的にジャスト5時に目が覚めた。予定では5時半に起きれば余裕で間に合う。目覚ましアラームをセットしていなかったので「5時30分」にセットしてもう一度寝る。
 自然に目覚めたけどアラームが鳴らなかったなと時計を見たら6時10分だった。飛び起きて急ぎシャワーを浴びようとしたら、古いブロック屏みたいな色をした娘のたいそう汚い上履きが風呂場に放り投げられている。天気がいいのは今日までなので、仕方なくウタマロ石鹸でゴシゴシと洗った。

もちろん全裸で。

 痛恨のタイムロスである。シャワーから出て上履きを干した。

もちろん着衣で。

 カメラの入った鞄を担ぎ、戸締りを入念に指差し確認してやっと出発。時計はすでに7時を過ぎていた。土曜日なのに駅は平日のように普通に混んでいる。プラットフォームにはスーツ姿の会社員までいる。しかし、私は東京とは逆方向の津田沼駅で京成線成田空港行きに乗り換えるので混雑をかわしてすんなり座れた。

 ここからは両脇を見知らぬ女子たちに囲まれてキャッキャと楽しく成田まで電車に揺られた。成田では24分の待ち時間がある。腹ペコなので二度と行かないと決めていた駅ナカの立ち食いそば屋「いろり庵きらく」に〝しかたなく〟入店する。
 店外に設置された券売機でカレーライスとかけそばのセットを注文。今まで気がつかなかったが、どうやら食券を買うと自動的に厨房に直結でオーダーされるようで、カウンターで番号の書いた食券を渡さなくていいらしい。店員のお姉さんに渡そうとしたら拒まれた。全否定。
 まるで囚人のように番号を呼ばれて配膳カウンターに行き、さっきのウォーズマンのように無表情の店員から食券と引き換えにカレーライスとかけそばセットを受け取った。

 着丼!

 まず、私自身の立ち食いそばのルールとして、カレーライスとかけそばをセットで注文した場合は、先にかけそばの麺だけを完食し、次に残したつゆをスープ代わりにカレーをいただくことになっている。なので今回もかけそばの麺を先に食した。ノーチェスト、コシのないぶよぶよの麺が不味いが、前回食べた時よりはマシである。ひょっとして、かき揚げとの相性が最悪なだけで、そば自体は少し不味い程度なのかもしれない。しかし、蕎麦つゆは深みや奥行きがまるで無い2次元の薄っぺらいつゆである。
 そしてカレーライス。これはボンカレーみたいだった。そば屋ならではの独自の工夫は微塵もない、ソリッドなレトルトカレー。ただ、空腹は最高の調味料とはよく言ったもので、普通にふはふはとがっついた。しかし、成田線銚子行きの発車時刻が残りあと10分に迫ったのでそば湯は断念し、最後にこの店で提供されて一番美味かったお冷を一気飲みして華麗に店を出た。
 遅れて成田線にエントリーしたから車内は案の定の混雑。しばらく車内を覗きながらホームを歩き、やっと空いている座席を見つけた。偶然なのだが若い女子と女子の間。逆ドリカム状態である。いや、正確に言うとGO!GO!7188状態である。そして目の前にも女子二人。女子に囲まれて、おじさんはパラダイス銀河鉄道である。
 佐原駅に着くと両隣りの女子はところてんのようにつるんと降りた。私は自動的に空いたカド席に移り、目の前の女子が今度は隣にきた。CR海物語のマリンちゃん出現のようにまだまだ確変は終わらない。こんな田舎なのにちょっとゴスロリっぽいギャル2人だった。私が居眠りをこいている間に対面のカド席が空いたので彼女たちはそちらに移動していたようだ。そして、ガンガンに化粧していた。どう見ても化粧しない方が可愛い。おじさん教えてあげたい。それよか、そんなに気合い入れて、これからなんのイベントに向かうのか聞いてみたい。だが、たとえ意を決して聞いたところで、

うるせぇんだよジジイ!
 引っ込んでろ!


 と言われるのが関の山である。

 私は佐原駅から5駅先のJR下総橘駅で下車した。2カ月ぶりの下総橘駅である。なにも変わっていない。ただ時間帯なのか、なんとなく町に活気がある〝気がする〟。
 少しだけ銚子街道(利根水郷ライン・国道356号線)を歩き、石戸交差点ですぐに裏道に潜り込んだ。裏道はじつにひっそりとしている。絶えず民家が並ぶが大きな農家が多く、どの家も垣根がきちんと手入れされていて、この町の豊かさを物語っている。そんな垣根を阿弥陀くじのようにくねくねと曲がりながら、なるべく長く一本道で行けそうな裏道をグーグルマップで探す。
 あるある。長さおよそ1㌔ほどの裏道が国道につかず離れず続いている。裏道に入ってすぐ小学校の廃校がお出迎えだ。令和2年に廃校したのでまだ湯気が残るほどの廃校ホヤッホヤじゃないか。

 天気は薄曇りだが、ときおり雲間から夏を先取りしたような強い日差しが差し込んでくる。すると一気にむあっと暑くなる。今朝のニュースによると沖縄では梅雨が明けたらしい。ここもすでに夏の気配がするのだが、きっと気のせいだろう。まだ6月である。
 町のあちこちに紫陽花が咲いているが、微妙に枯れかけていて写真にならない。それでもカメラを構えると薄茶色くなった紫陽花が必ず写真に写り込んでしまうほど、そこらじゅうで咲いている。訪れる季節を間違えたかな。
 いつも天気のいい日は逆光など露光に神経を使うので、ライカのマニュアル本を読んで見つけたアカデミー賞の常連女優みたいな名前の機能「ケイト・ブランシェット」を使うことにした。

それはオート・ブランケット!

 その機能は、一回シャッターを切ると自動的にガチョンガチョンガチョンと3段階の露光で3ショット撮影するという画期的なものだった。フィルムカメラ時代によくCONTAXなどで使っていたモードだ。リバーサルフィルムの時代はラチュードが狭く、良くこのモードに助けられた。そういや、CONTAXのRTSはフィルムを吸引して平面にするバキューム機構なんて凄い機能があったな。
 で、オートブランケットで撮っているのを忘れて、後から見ると明らかに露出不足と露出オーバーの写真があり、なんだこれは!と思い出した次第。結局スナップ写真には向かないので、2回ほど撮影してすぐに通常モードに直していたのだ。殺るか殺られるかのガンマンのようなストリートスナップの世界で3ショットが終わるのを待つというのは致命的だからである。

 この町で外を歩いている人はひとっ子一人いないが、きちんと整備されたゲートボール場を見る限り年寄りだろうが人の気配はある。
 1㌔ほど裏道を堪能したあとは東今泉街道踏切を渡り、そのまま線路っ端を歩く。この線路っ端は道も広くて交通量も多い。恐らく銚子街道の混雑をパスする地元の人たちが使う道なのだろう。踏切から2㌔ほど歩くと地元のスーパー「まるとも」が見えてきた。なかなかの盛況ぶりで、群がる蟻のようにあちこちからどんどん客が集まってくる。私は店の横にある自販機で空になったペットボトルを捨て、新しくスポーツドリンクを購入した。



 スーパーまるともにはくつろげる椅子もないので立ち寄らずにそのまま歩き出した。景色がワンパターンでファミコンソフトのナムコファイナルラップのように荒廃しきった町並みが続く。そして駅。唐突に下総豊里駅は現れた。
 駅前には潰れたそろばん塾。なにが悲しいかってかなり大規模な塾なのである。それが閉塾されているということはこの町の子供が減ったことを意味しているだろう。私には見える。かつて、この大きな塾いっぱいに子どもたちが学んでいた過去を。なんつっ亭。

 下総橘駅からひと駅歩いてこの下総豊里駅が目の前にあるがそんなに距離を歩いた感覚がない。多分この辺の区間、ひと駅ひと駅の間隔が短いのだろう。この時駅舎のトイレを借りればよかったとあとになって後悔した。しばらく荒廃街道を歩いていると急に下腹部にどーんという重い疼きがきた。産まれる!ではない。これはどうやら〝下痢〟である。早急に対応しなくてはならない。グーグル地図を見ると線路を超えて銚子街道沿いにセブンイレブンがある。ここからだと結構な距離だ。そもそも最初の企画通り銚子街道を歩いていればこんな目に会わなかったのだ。欲こいて撮れ高を優先するからこうなる。


 直線ルートではないが他に選択肢がないので銚子街道に向かって歩き始めた。こんな時に第三佐原銚子街道踏切が混んでいる。1時間に一本しか来ない電車がなぜかこのタイミングで私の行く手を阻む。邪魔をする。途中でこれでもかという田舎の良景色のなか、農家が荷下ろしをするタイミングに遭い激写した。まだそんな情熱が残っているのかと驚くも直後に腹痛のウェーブが襲う。鳥肌が立ち、私はその場にうずくまった。ウェーブが少し収まるとまたセブンに向かって歩き始める。直線で行きたいのに道が無く、ぐるりとセブンの敷地を遠巻きに半周してやっとセブンイレブン銚子忍町店さんに到着した。慌ててトイレに駆け込むとドアノブに表記された空室の青い印か、使用中の赤い印なのかが剥がれていてわからない。こちらは緊急を要するので確認の意味を込めて一回そっと回してみた。1㍉動いてカツッと止まったので鍵がかかっていると思い、静かに手洗いの前で待つことにした。しかし、待てど暮らせど一向に扉の向こうから物音がしない。あれ?さっきのは遠慮しながらドアノブを回したから本当は空いているのかな?なんて思い、今度は力を込めてグリっと回したらドアが開いておばさんが出てきた。ガチャポンかよ。いや違う。同時にドアノブを回してたのだった。おばさんは「すみませんすみません」と謝りながら出ていった。謝らなきゃいけないのは私である。斯くして私はギリギリトイレットに間に合った。1秒たりとも余裕がなかったのでカメラ鞄を抱えたまま便座に座っていた。
 暑くて狭いトイレでじーっとしていると鏡を睨んだ四六のガマのように汗が噴き出てくる。
 田舎のコンビニのたった一つのトイレを(大)で独占しているのでプレッシャーが凄い。山場は過ぎたのでドアの音でも聞こえようもんならすぐにでも忍者のようにウンコを止めてトイレを出るつもりだ。
 完全にスッキリと出し切って扉を開け、店内に戻ると感動するぐらい涼しかった。サウナの後の水風呂とはこんな感覚なのだろうか。サウナでは水風呂に入るほど自分を追い込んでいないからわからない。いつも小学生より後から入って、小学生より先に出るようなサウナ根性の無さなのだ。いつだったか一度、埼玉の日帰り温泉のサウナ室で、いつものように2、3分で出ようとしたタイミングで日焼けしたいかついおじさんが作務姿に捻り鉢巻で入ってきた。おじさんはサウナ台上段端のお客さんから指を刺してこう言った。
 「熱波行きますか!」
 客は大きな声で答える。
 「お願いします!」
 するとおじさんはその客に向けて両端を持ったタオルを広げて客に向かって扇ぎ始めだのだ。そして、熱波おじさんはひな壇の一人一人に指を差し、熱波の有り無しを聞いてくる。

冗談じゃないよ!

 すべての客がテンポよく熱波を受けている。私は救いを求めて出口を見るが熱波おじさんに塞がれている。そう、このサービスを受け終わらなければ外に出れないのだ。
 そして、やっとのことで私の熱波おじさんの番が来た。
 「熱波行きますか!
 干からびた私は朦朧としながらも擦れ声で答える。すでに言葉にはなっていなかった。
 「おなさしまさす!
 爆風のような熱波がぶぉぉぉぉーっと私の全身を襲う。体が悲鳴をあげている。熱いのに逆に鳥肌が立つほどだ。ザクの大気圏突入とはこんな感覚なのかも知れない。目を閉じて耐えに耐えた。その間10分以上に感じたが、恐らく15秒程度だろう。とにかく私の番は終わり、最後の客を待たずにすぐに外に出た。
 すぐに露天風呂の横に置かれたプラスチックの白いガーデンチェアに横たわると冷たい外気と微風が心地よく、フランダースの犬のネロのように天使に連れられて昇天しそうになった。

 話しは逸れに逸れたが、セブンイレブン銚子忍町店さんのトイレを出た時はまさにそんな感じだった。トイレを借りたのでペットボトルの水を購入した。カメラ鞄にも入らないのでスポドリを一気飲みしてゴミ箱に捨て、すぐさまこの新しいミネラルウォーターを鞄に括りつけた。
 しばらくは銚子街道を歩いていたが、車通りが激しいので再び裏街道に戻った。
 裏街道は農道のようにぐねぐね道だが、絶妙につかず離れず銚子街道をトレースしている。畑とも住宅地とも言えないライスにホワイトシチューをかけたような中途半端なエリアが続く。遠くに風車が数台見えてきた。田舎に巨大な建造物は異様な雰囲気だ。
 以前、伊豆下田に旅行に行った時に風車が数台あり、エコだなぁなんて気楽なことを言うと地元の人は風車の出す低周波の音で悩まされ、睡眠もできず引っ越してしまうんだと聞いた。それ以来私の風車の見え方は180°変わってしまった。どうしても不気味に見えてしまう。

 目の前に牧場が見えてきた。牛舎もこのぐねぐね道に沿って建てられている。ワンチャン牛を見れるかと思い前を通るとガッツリいた。凄い数。みんな耳に黄色いタグを付けている。

 こんなに近くで牛を見れるなんてなかなかないので、しばらく眺めていたらどんどん私の前に牛たちが集まって来た。物見遊山かよ。しかし、なんか人懐っこい。くりくりの眼で私を見つめている。「餌は持ってないんだよ」と言いながら撮影しているとふと気がついた。

お前ら全員黒毛和牛じゃないか!

 かわいそうになってその場を立ち去った。
 その先は緩い坂道を下る。相変わらず道は右へ左へ蛇行するが、民家が増えて来た。坂道を下りきるとローソンが見えてきた。駅も近いので寄るのはやめた。下った分だけ急な登り坂が待っていた。えっほえっほと登り、東光寺というお寺をぐるりと迂回するコースを狭い路地を使ってショートカットした。お寺の境内にある古風な保育園で運動会をやっていたらしい。門前に看板がデカデカと飾られている。ビデオカメラを持ったパパとママ、そして園児たちが楽しそうに帰宅途中だった。それを見ると途端に娘を思い出し、急激に会いたくなる。勝手なもんだ。娘は今頃ここからちょうど真北にあるアクアワールド大洗水族館水族館で楽しんでいるだろう。私はそこには一緒に行かず、ひとりこの撮影行を選んだのだ。
 家族とともに保育園を離れ、県道71号線に出る。側から見たらカメラをぶら下げた私も父兄だ。脚もいよいよ限界に近いが通り道に「滑川家住宅長屋門」という史跡があるので見ることにした。舟運で栄えた豪商の居住跡でとくにどってことのない印象だ。利根川を下ってくるといこういう建物は散々見た気がする。
 そこから椎柴駅へはすぐに着いた。想像していた以上に小さな駅だった。


 スマホで検索すると帰るルートは二つ。あと1時間ほど待って従来の成田線成田駅経由ルートかあと30分待って銚子方面にひと駅隣りの松岸駅で乗り換えて総武本線から千葉駅経由のルート。
 自宅への到着時間はほとんど変わらない。少し遠回りだが、まだ乗ったのことのない総武本線ルートを選んだ。旅のメモを書きながら駅のベンチで待っていると銚子行きの電車が来た。
 松岸駅から総武本線への乗り換えはスムーズだった。電車はガラガラ。部活の高校生があちこちで弁当を食べている。女子高生も普通に車内で食べている。こっちからすると異様な光景なのだが。
 見渡す限りの田園風景が続く。あまり成田線の車窓と変わり映えがしない。いや、その視線の先に利根川がないぶん、もっとディープな気がする。なにせこの総武本線はチーバくんのうなじから乗って最後は喉仏の千葉駅まで行くのだ。
 どの駅から乗ってきたのか、気がつくと目の前にバンギャがいる。ガンズンローゼスの1stアルバム、アペタイトフォーディストラクションのジャケットがデザインされた黒いTシャツを着ている。靴は黒いドクターマーチンのブーツ、フリルのついた黒いスカートと全身黒ずくめだ。髪型はショートボブ。とてつもなく暗い雰囲気だ。顔の印象でそう見えているかも知れない。美少女であることは間違いないのだが、うつむいてイヤホンで音楽を聴いている。 
 彼女が乗った駅から次の次の駅くらいでやはり同じようなバンギャが乗ってきた。お互い着てくる服を相談したかのような統一感。するとさっきまで暗かった彼女が突然明るくノリノリな感じに変貌していた。
 正直がっかりした。こちらの勝手な思い込みなのだが、暗い彼女が陽キャになるととても残念だ。君は仄暗いから美しく儚いのだ。エバンゲリオンの綾波レイが明るくはしゃいだらどっちらけだろう?
 そんな彼女らと私を乗せて、総武本線は旭駅や八日市場駅に停まった。駅名を聞いた事はあるが通るのは初めてだ。
 八街駅からはちらほらと聞き覚えのある駅名が続いた。車内の乗客はほぼマックス状態に混雑していて目の前に座っているバンギャはほぼ見えないほどだ。そして、やっと総武本線の終点千葉駅に着いた。ここでバンギャたちとはお別れだった。
 次はいよいよゴールの銚子なのか。

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