見出し画像

さよならライカ

 目覚めたらすべてが燃えてしまった。

 残ったのはその朝着ていたミッキーマウスのパジャマだけ。危機一髪、家族全員2階のベランダから逃げて命だけは助かった。

長くて悪い夢だなぁと思った。

 色々と端折るが、要はカメラとレンズ、全てを失ってしまった。

 失ったのは、ソニーα7、ライカMDa、ライカM9、そしてそれらカメラに装着するためのレンズは何十本になるだろうか。あと痛恨だったのはカメラマンのNさんが現役引退するときにいただいた67ペンタのボディとレンズ一式。
 当然ながら写真どころの騒ぎではないのだが、2カ月間だけ市から提供していただいた仮設住宅に住んでいるうちに、この生活を写真で記録したいと思った。
 丘の上にある小さな家から見える景色を眺めながら。

 全てを失った私が最初に手にしたカメラは、以前も使っていたコンデジのソニーRX100。それのもう一つバージョンが新しいM2というモデルの中古品。建前上は娘の卒園と小学校の入学式を記録しなくてはという口実だ。そうは言ったが結局のところ写真は撮らなかった。いや、撮れなかった。全く気持ちが乗らなかった。

 カメラのことだけで言えばライカM9を失った心の穴、これは大きすぎて埋めようがない。失って初めて知ったが、〝カメラを持ってどこかをほっつき歩いてスナップ写真を撮る。そして最後に居酒屋で安酒を引っかけて帰る〟という珠玉のルーティン。ああ、なんて尊い時間だったのだろうか。
 それをソニーRX100でやろうとしたがダメだった。なにせコイツは撮影前に起動ボタンを押すと、おもむろにレンズをベロリと露出して「さぁさ撮りますぜ」と主張する。最初からレンズが出ているデザインならまだしも、スイッチを入れるとウィーンと出てくる。そっからは面倒なのでスイッチは入れっぱなしなのだが、その姿が凄く不恰好で目立つのだ。木村伊兵衛風に言わせてもらえば

粋じゃない。

 それとアイレベルファインダーがない。背面のモニターを見ながら写真を撮るというフォームは、スナップシューティングとかけ離れている気がする。これはレンズから網膜までの距離の問題なのだろうか。

 市から借りられた団地の期限2カ月が経ち、仮設住宅を卒業してアパートを借りた。船橋市内をあちこち見まくり、何度も不動産屋に裏切られながらも新居はどちらかと言うと私が小学校一年生まで住んでいた生家があった場所に近かった。偶然だが叔母の家からも近い。そう長くは住まないだろうが、暫しここをキャンプ地とする!
 娘も今年から小学校。新しい生活に馴染もうとしている。
 そんなある日、嫁が埼玉の実家に帰省するという。以前の私ならホイホイとついて行って、子どもの面倒も見ずに朝から晩まで写真を撮っていた。しかし、カメラが無ければ鴻巣に用はない。だって、あそこは本当になんにもないんだから。
 私は同行せず、家で一人お留守番をすることにした。

 家族のいない数日間は酷い生活だった。朝起きたら、あらかじめスーパーで買い置きしていたブランド不明の味の薄い激安ビールを呑み、激安インスタント麺(醤油味)をすする。寝て、寝て、寝て、夕方ちょい前から近所のもつ焼き屋に行き、ベロッベロになって帰ってきて、面倒だから風呂も入らず寝る。そして、朝起きて激安ビールを呑み、激安インスタント麺(味噌味)をすすり、寝て、夕方からもつ焼き屋に行き、ヘベレケになって帰ってきて、面倒だから風呂も入らず寝て、朝起きたらビールっての繰り返し。
 数日後、鴻巣から帰ってきた嫁がテーブルに転がった空き缶を見て、ついに口走った「カメラでも買えば?」と。
 ここで私の起動ボタンがパチンと押された。確か起動音はブライアン・イーノ作曲だったと思う。
 見るに見かねてお許しが出た。私もカメラが欲しいなどとは自分から言い出せなかったのだ。生活にビタイチ必要のない贅沢品。しかし、嫁の赦しが出たのなら話しは違う。早速寝ながらスマホのバツ&テリーが熱くなるほどいじり倒し、ヤフオクまでバーチャルオンライン中古カメラハントに出かけた。カメラは悩みに悩んだ末、三つに絞り込んだ。

・ライカSL

・ライカSL2-S

・ライカM10-Rブラックペイント


 本命は手ブレ補正のついているライカSL2-Sだが、出物が圧倒的に少ない。私はカメラを大事に大事に扱うので、なるべく美品がいい。いや、極美品でないとダメだ。ライカM10も考えたが、結局仕事やら子供の行事などでジ・オールマイティーな一眼レフを使うだろうし、色々なオールドレンズが欲しくなれば、電子ビューファインダーのビゾフレックス2が欲しくなるに決まっている。それならいっそ電子ファインダーが最初から付いている一眼レフを買ってしまった方がいいと思ったのだ。生活がこんな状況なので、なんならカメラは一台で済ませたい。
 昔からカメラを買う前のこの悶々と考えあぐねる時間が好きだ。想像の翼は広がり、私の心はまだ見ぬ撮影地まで跳んでいる。房総半島の海辺、埼玉は熊谷の利根川集落、あの街道のその先へ。
 カメラを選び、撮影スタイルを考えている時点で私の写真は始まっているのだ。
 そう〝カメラなんて何でもいい、スマホで気兼ねなくじゃんじゃん撮る〟という人のほうが、すでに機材と撮影スタイルにこだわり、凝り固まって撮っているのかもしれない。カメラなんて何でもいいなんてことはない!全てを失ったこの私が断言するのだ。まぁいい。

 そんなタイミングでヤフオクにSLとSL2-Sが出た。その差わすかに10マソ。デザインはどこかライカR3を彷彿とさせるSLの方が好きだが、性能は圧倒的にSL2-Sだ。この数日間誰も入札しないまま、あと数時間で締め切りだ。私は表示された価格のまんま1円もプラスせずに入札した。あと3時間もしたら「おめでとうございますあなたこそが誠の落札者です!」というメールが来るだろう。
 その日の夜は会社の飲み会だったので、スマホを覗くこともなく普通に落札締め切り時間の22時を過ぎていた。しかし、脳内は新しいカメラで頭がいっぱいである。レンズはどれにするだの、バッテリーはいくつ必要だの、はたまた革のケースに至るまで考えが及んでいた。帰りの電車でやっと仕事呑みから解放されてスマホを見てびっくりである。3時間前まで放置されていた〝ほぼ私のSL2-S〟がほんのちょっとだけ高くなり、どこかの馬の骨に落札されていた。
 正直、100%自分のモノだと確信していたので頭の中が真っ白になっていた。その日は珍しくカメラのことを考えずに寝た。
 翌日、たまたま新宿に行く用事があり、時間が余ったのでふらりとマップカメラに寄った。そこで、私が昨夜購入する予定だったSL2-Sとレンズはテレエルマリート24ー70がセットされている展示品に手を伸ばした。

重かった。

 それは漬物石みたいな重さだった。気軽にスナップする重量ではないし、首からかけても相当な圧がかかるだろう。やっぱり軽くてコンパクトなM型ライカかなぁ。そう思いながらマップカメラを出た。
 だが、それから数日間のヤフオクパトロールでライカのいい出物は無かった。さすがに焦ってくる。いつ嫁のお許しキャンペーンが終了するとも限らないからだ。とは言えそう易々とかのライカさまが出品されるワケがない。これだけ張り付いて見ているとヤフオクやメルカリに出品されるライカは見たことのある顔ぶればかりになってしまった。要するに誰も買わない手を出さないワケアリ商品である。商品の写真がピンボケだったり、一部機能が故障していたり、ボディ横に凹みがあったり。難あり商品が売れ残っているのである。

 そんな時、商品の下に表示されるオススメ欄に気になるカメラが出品されていた。

Hasselblad X1D 4116

 2017年に発売された世界初の中判ミラーレスデジタルカメラ。4116とハトヤのような数字がついているが、それはブラックリミテッドモデルのこと。以前から気にはなっていた。自分の撮影スタイルに合っているのではないかと。しかし、カメラを変えるということはレンズも変えるということ。全てのカメラとレンズを失う前ならこれだけ揃った私の何十本のレンズとさよならバイバイして、新しいXシステムを取り入れる財力と体力はない。なので寝る前の空想タイムにほんの少し彩りをいただく程度だったのだ。だが、今は違う。カメラレンズの全てを失ったのだ。これからは何を買うにもお初のカメラとレンズになる。

リアクションバイトでポチってしまった。

 後から猛烈に後悔したので、誰か私より高く入札してくれないか願った。5年落ちのモデルだが、最新型が発売されて安かったのだ。それこそ激安のレベルである。しかし、私は本当にこのカメラを使いこなせるのか、持っていたライカM9よりパフォーマンスは上がるのか、なにより自分にとっていい写真が撮れるのか、まだ確証はない。
 しばらくして一通のメールが私に届いた。

おめでとうございます。
 あなたが真の落札者様です。


 慌てまくった。まさか、わてのような身分の者がハッセル大夫を身請けするとは思わなんだ。
もちろん過去にハッセルブラッドを使ったことはある。500C/MにCプラナー80ミリを付けて首からぶら下げ、毎年正月になると津田沼まで意味もなくぶらぶらと出かけるという行事をしていたのだ。しかし、それも20年前のこと。広角側が鬼のように高くて断念した記憶がある。まぁいい。

 すぐに色々と調べた。気になることと言えば、そう、このカメラであのVシステムのカールツァイスのレンズがレンズアダプターを介して使えるのかの一点だけである。なぜなら私はカールツァイス派だからだ。ライカを使っている時もカールツァイスのレンズばかりを集めて使っていた。
 あ、Vシステムと言ってもホワイトベースガンダムガンキャノンガンタンクのことではないそれはV作戦な。ハッセルが誇る鬼のように高かったフィルム時代のツァイス広角レンズ群もデジタルカメラの攻勢で今では手の届く値段になってきた。
 それがなんの問題もなく使えたら、それだけでもこのカメラを買った価値があると確信している。なにせVシステムのレンズはオークションでそこら中にゴロゴロと激安で転がっているのだ。
 だが、調べても調べても自分と同じモデルのカメラで確証のあるXVレンズアダプターを使ったCFレンズの使用記事やブログは見つからなかった。不安だけが募る。怖かったので正規のXシステムで一番安い(けど高い)45mmレンズも買ってしまった。

 これはこれでコンパクトでレンズキャップ代わりだが、これだとノロノロのオートフォーカス機になってしまう。私の撮影スタイルは基本的にハイパーフォーカルディスタンスなので、勝手にオートフォーカスされても困る。距離と絞りは決まっていて、そこに自分を移動させるだけなのだ。
 なので、同時にCarl Zeiss Distagon CF60mm f3.5 T*とXVレンズアダプターもオークションにて落札した。

 そしていつも使っていたyosemiteのカメラストラップ。忘れずにレンズフィルターも買ってある。本革のカメラケース、そしてバッテリー2個。

もう戻れない。

 そしてこれを機にバルナックライカIIfからスタートした約三〇年に渡る私のライカ生活に別れを告げた。また戻るかも知れないけど。

2023年ゴールデンウィークの5月3日(水)〜7日(日)まで、船橋市民ギャラリーにて  写真展『フナバシウォールデン2023』に参加します。写真展示は「鮮魚街道七里半(三巡目)」、写真集も「鮮魚街道七里半」を展示します。
良い居酒屋が沢山ありますので、船橋観光と共にお待ちしております。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?