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江戸魚河岸まで八里#1

松戸から矢切りの渡し

 鮮魚街道(なまみち)の旅は写真集を作り力尽きた。
 写真集にまとめると、急にその地への情熱を失ってしまう。もう二度と鮮魚街道を歩くことはないだろう。そういう性格なのだから仕方がない。だが、鮮魚街道の先へ道は続いている。そして、私の写真もその先へ繋がっていくのだ。
 ということで、鮮魚街道の終点である松戸の納屋河岸から川沿いを歩くことにした。ゴールは日本橋にある魚河岸跡である。同時進行で逆方向の布佐から銚子まで歩く。

 2023年8月吉日。松戸駅で降りた。実は昨日も私用で降りている。まずは歩きつつ、コンビニを見つけたらスポーツドリンクとタオルを入手しようと思う。河川敷を歩くとは言えここは松戸。江戸川の向こう岸は花の都大東京である。コンビニなどいくらでもあるだろう。
 江戸川に近づくと「松戸宿坂川献灯まつり」と書かれた提灯が並んでいた。夜はライトアップされるのだろうが今は真っ昼間、明るいと特に映える景色ではない。

 暫くはゆったりと流れる江戸川、そして江戸川を渡る外環自動車道や鉄道を眺めながら土手の上を歩いた。江戸時代、鮮魚もこの川を底の平らな高瀬舟で下ったのだろう。
 なんて呑気に歩いていたら高速道路をくぐった辺りから全然コンビニがないことに気がついた。このままではマズいと思い、慌てて探し始めた。凍ったスポーツドリンクとフェイスタオルが欲しい。フェイスタオルは一昨日利根川で落としたのだ。
 一旦、江戸川を離れてコンビニを目指す。4人の女子中学生がなにやら楽しそうに歩いている。思わずSPEEDかよとツッコミそうになったが、俯瞰で自分を見ると、そのすぐ後ろをカメラをぶら下げたオッサンが歩いている。変態にしか見えない。

 やはり大都会松戸シティー、そんなに歩かずにセブンイレブンを見つけた。ちょっと変わったコンビニで地元の特産品なんかまで売っていた。物が多く店内もギュウギュウで手狭な感じだった。セブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長兼最高経営責任者が見たら卒倒するだろう。だが、アクエリアスの冷凍もフェイスタオルも見つけられず、ポカリスエットだけを買って店を出た。店を出ると目の前に薬の福太郎があった。失敗した。ここの方がなんでも安いのに。でも、とりあえずフェイスタオルだけは買っておこうと店に入った。さっきのSPEED4人はここにいた。なんでも売ってる薬局なのでフェイスタオルは絶対にあるはずだが、どこにも見当たらない。店内をニキ・ラウダばりに10周ほど回り、諦めかけたその時、後ろから店員のおばちゃんに「何かお探しですか?」と声をかけられた。首からカメラをぶら下げたオッサンが店内を10周もしたら流石に怪しい。私は待ってましたとばかりに「フェイスタオルを探しているんです。」と即答した。おばちゃんはなぜだか一旦安心していたが、申し訳なさそうに「ここには置いてないんです。お風呂用のふわふわ泡立ちタオルならあるんですが…それじゃダメですよね?」と答えてくれた。ダメに決まってるだろう。わしゃこれからひとっ風呂浴びるわけでは無い。
 なのでタオルは諦めた。

 そこからまた江戸川に戻る。線路や国道6号線を避けるために大回りを強いられた。大回りついでに「松戸テニスクラブ」を見つけた。金町の駅とかに看板があるので知っていたのだ。こんな何も無い所にあるのか。コートが何面もあり、意外とデカかった。
 住宅街ではスキンヘッドのオッサンが上半身裸で車を洗っている。放水が道路に飛び散り放題だ。一滴でも私に水が掛かったら怒鳴りつけてやろうと思ったが、私を見向きもしないのに全然かからなかった。なんかイライラしていた。そのぐらい強烈な太陽だ。

 何も無い上矢切をひたすらに歩く。テキサスコロニーのような荒野だった。見渡す限り一面の枯れた畑。乱雑な資材置き場。乗り捨てられた車。フレームが剥き出しのスクーター。ぽつんと謎のバラック集落には宗教系政治家のポスターがベタベタと貼りまくられている。東京と隣接している松戸市なのに最高にヤバい空気が蔓延している。
 強烈な日差しを避ける日陰は見渡す限り無い。暑さもピークになる。すでに持ってきた手拭いはぐっしょりと濡れ、汗が絞れそうだった。
 ここで問題が一つ発生した。この後、都内で人と待ち合わせをしているのだが、近くに駅が無い。北総線の矢切駅は気を失うほど遠いし、ルートとは全然関係無い道を歩く。最初に到着予定地に設定していた京成線国府台駅はさらにその倍は遠いだろう。無理無理全然無理。近所だからと距離感を見くびった私が悪いのだ。
 諦めかけたその時、偶然にも看板を見つけた。

↑矢切りの渡し

 その手があったか! 矢切りの渡しを使えば江戸川を渡り東京の柴又まで徒歩圏内である。ルート上だし、次回もアクセスが楽ちんである。一石二鳥いや三鳥だろう。
 だが、そもそも営業しているのだろうか。やっていたとしても便はどのぐらいの間隔で運航している?運賃は?片道でも大丈夫なのか?
 ええい、ままよ! どのみちこのルートしか希望は無いのだ。
 まずは野菊の墓の顔ハメパネルがお出迎えだ。見ただけでどっと疲れが出た。私は時間が無いのだ。

 河川敷から渡しの入り口はゴルフ場の敷地内だった。桟橋へ続く頼りない未舗装の道を歩き、掘立小屋に近づいた。細川たかしの歌碑がある。
 後ろにも物好きな家族が7人ほど。これは心強い。掘立小屋のおじさんに料金を聞くと現金200円だという。乗る時に船頭に渡せばいいらしい。財布を覗くとピッタリ200円があった。百円玉いっぱい持ってきてよかった。舟を待つ時に桟橋には乗るなと書いてある。確かに手作り感満載の華奢な桟橋だ。肝心の舟は向こう岸(東京側)にいる。こっちに来たら乗れるらしい。すぐに来ますよと言われた。

 先頭なので桟橋の手前ギリギリで待つ。7人家族は木立ちの日陰で待っていた。私は彼らとは違う、この観光用の舟をガチの交通手段として利用しょうとしているのだ。恐らく戦後初めての快挙だろう。
 舟は私のはやる気持ちを嘲笑うかのように、ゆったりと移動してきた。すぐそこからここなのに、永遠にさえ感じる。照りつける太陽の中、目を閉じてなるべく早く到着して欲しいと願ったら割と早く来た。狭い桟橋なのでまずは下船が優先だ。だが、誰も降りずに乗り越しの先客が3人乗っていた。

降りれないんじゃないよな?

 つまり、ディズニーの機関車のように途中下船できずに乗った所で降りるシステムかもと頭をよぎったのである。そうなるとこんなボロ舟は時間の無駄でなんの意味もない。観光ではなく目的地まで最短の交通手段として利用しようとしているからだ。
 船頭さんに200円を渡すときに心配になって聞いてみた。後から考えれば阿呆な質問である。

私「む、向こう岸で降りれますよね」
 船頭さん「もちろん降りれまぁすぅ」

 なんか船頭さんの喋り方がおかしかったような気もしたが、まずはホッと胸を撫で下ろす。安心して乗舟した。落ち着いてから見ると舟にはモーターが付いていた。さらに船頭さんは長髪でノースリーブのTシャツを着ている。嘘でもいいから被り蓑に作務とか法被とか着て欲しかった。
 先客の3名は400円を払い柴又に戻るのだろう。私は右端真ん中に陣取り写真を撮る体制を作った。後から来た7人家族は行き場を失ったが、先客3名も私もこの不安定な舟上でビタイチ立ち上がって動いて詰めようとはしなかった。私は舟上から江戸川の写真を撮りたいのだ。乗り切れないなら2グループに分かれて、次の便にしたまえ。
 前はガラリン、後ろは詰め詰めで舟は出航した。詰めれば15人は乗れるらしい。さぁ、なんならモーターで早く対岸に私を運んでくれ。

 と、その時、舟がグンと揺れて、船体が沈み込んだと思ったら上流に向かって加速し始めた。なんと、船頭さんはサービスで対岸ではなく上流に向かい走りはじめている。

すんなり渡してくれないじゃん!

 そして、徐ろに寅さんの真似をして口上を捲し立て始めたのだ。多分、かなりパンチの効いた面白いことを言ってるんだが、自信がないのか、もごもご喋っていて、さらにはエンジンの音でかき消され、全然聞こえなかった。

 舟は上流の松戸方面に向かって200mほど滑走し、やっとUターンしてくれた。あぁ、これでやっと柴又に着ける。7人家族は若いパパ、ママ、ママのお姉さん、おじいさん、おばあさん、子供×2。どういった事情か知らないが、なんでこんなとこ来たの?とばかりに裕福そうな家庭で、ママが異常に美人だった。
 思いがけずに遠回りしたが、鮮魚を乗せた高瀬舟の雰囲気を味わう事もできたし、川面から岸を見れたり、なかなか収穫も多かった。

 桟橋に降りる時に船頭さんが乗客一人一人に挨拶するのだが、私の場合は「ありがとう、グッドルッキングガイ」だった。多分、大人の男性には何パターンかあって適当に無難なフレーズを当てたんだと思う。面白くなかった。

 土手の階段を上がった。ふと振り返ると小さくなったあの舟はまた乗船を始めていた。7人家族の美人なママも土手に向かって歩いてきた。だが、私はふりむかす急いで柴又駅に向かう。大塚で呑みの約束があるのだ。
 柴又は自転車では何度も来たことがあるが、徒歩では初めてだ。なかなか帝釈天が見えないなと思ったら、帝釈天の裏通りを歩いていた。

 途中、RICOH GRを持った紳士とすれ違った。濃いめのブラウンの速写ケースに入れてカッコよかった。私は28mmのレンズはもう使えないかな。今日もズマロン35mmとエルマー50mmを持ってきていたが、結局は50mmレンズ1本しか使わなかった。年齢とともに画角が狭くなってきている気がする。今は52歳だから正確には52mmなのだろうか。

 柴又駅前で寅さんに挨拶して京成電車に乗った。待ち合わせ時間を1時間早く間違えていた。

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