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劇団四季『ノートルダムの鐘』京都公演を超今さら振り返る

2017年8月公演



 いやもうほんとにつらい。生きることはほんとうにつらい。


 ディズニー作品の中でこんなに苦しすぎる話があっただろうか。よくやってくれた。よくこんな悲しすぎて苦しすぎて観ただけで完全燃焼、帰り道に「人間とは……」と考え込まずにはいられない作品を生み出してくれた。どいつもこいつも死んでいく。


 作曲がアラン・メンケンなのでやはり名曲ぞろいだし、劇団四季の中でも歌唱力の高い役者が集められ、更にはクワイヤまで作られているため、重厚な歌声が劇場内に響き渡る。その声の圧だけでも泣けるし、状況が『レ・ミゼラブル』なみに悲しいものだから当然泣く。ヴィクトル・ユーゴーの作品はどうやっても泣く。


 すべてがむなしかった。ロマンスも冒険もあるのに、どうしたって悲劇にしかたどり着けない。誰もが懸命に生きていて、絶対の悪はない。


 ディズニーヴィランのフロローも、アニメーションに比べて圧倒的に人間味が増していて、ただひたすらに悪だとは言えなくなっていた。『アラジン』のジャファーやイアーゴのように清々しい根っからの悪だったら、あの結末に至ってもその死の意味を考えることはなかっただろう。


 舞台版のフロローは、愛を求めたがゆえに、悪になった。
 どうしても愛されたかったのだと思う。初めての恋に戸惑い、どうすればいいのかわからず、理性を失っていく自分を恐れたのだと思う。フロローは、エスメラルダを手に入れることで、恋に正気を奪われてしまう自分を正当化したかったのだ。


 フロローは「正しく」あるために生きてきた。孤児だったフロローとその弟ジェアンを引き取ってくれた教会を信じ、その教えに従って生きた。ジプシーを憎むべきと教えられていたのに、弟は奔放に生きて、あげくジプシーの女と駆け落ちしたことに、フロローはどれだけ傷ついたのだろう。自分たちを救ってくれた教会の教えは正しいはずなのに、弟は最も破ってはならない戒律を破り、破門され、ジプシーと一緒になった。しばらくして手紙が届き、呼び出された先で弟は病に倒れ、託されたジプシーと弟の子どもは、怪物のように醜かった。フロローがいっそうジプシーを憎むのも納得だ。


 しかし誰も悪くないのだ。フロローの正しさはきっとある種本物の「正しさ」なのだろうし、ジェアンの愛も本物だったからこそ、怪物のような息子を兄に託せた。何より、フロローはその子どもを殺さなかった。大聖堂の鐘撞男として閉じ込めて育てていても、そのまなざし、その声は、あまりにも優しく、我が子を愛する父そのものだった。


 エスメラルダにさえ出会わなければ、フロローはどこまでも正しく、理性ある男だったはずだ。恋、それさえなければ。


 だからといってエスメラルダが悪いわけでもない。彼女は一度だってフロローを自ら誘惑したりはしなかった。流浪の民として生き、嫌われ、疎まれたとしても、自由と気高さを持っていた。ノートルダム大聖堂でフロローに会い、言葉を交わしたときも、フロローが認めるほど頭のいい女性だった。


 この舞台の主人公はノートルダムの鐘撞男、カジモドである。だが、一方でフロローもまた主人公だった。


 色恋沙汰は本当に恐ろしい。簡単に人格を変えてしまう。いつだって破滅へ向かうきっかけは恋だの愛だの、本来は純粋で清らかで何よりも大事なものが目を曇らせたときだ。


 エスメラルダはフロロー・カジモド・フィーバスの三人の男に愛される。結局彼女が選んだのはフィーバスだったが、果たしてフィーバスは本当にいい男だろうか?


 フィーバスは、戦場からパリに呼び出された大聖堂警備隊の隊長である。持ち歌で盛大に「息抜きしようよ」と仕事ほったらかしで遊びに行こうとしたり、売春宿で女と遊んだりする男だ。そこの女将に「あら隊長また来たの~」といった内容の言葉までかけられるほどの常連だ。いいのか、エスメラルダ。こんな浮気者で。


 ただ、こんなフィーバスだって憎めなかったりする。息抜きや遊びに執着するのは、戦場でPTSDを抱えてしまったからだ。フィーバスは誰よりも、生きなければならない、と思っている。そんな風に思っている男が、エスメラルダのためなら命を差し出すのだ。


 きっと本物の愛だった。エスメラルダはフィーバスを愛し、フィーバスもまた(誠実かどうかは別として)エスメラルダを愛した。


 カジモドだってエスメラルダに恋をして、きっとフロローよりもフィーバスよりも純粋に彼女を愛した。だからこそ、負傷した恋敵のフィーバスを、エスメラルダに頼まれたからという理由ではあれ、匿ってやったのだ。カジモドは、エスメラルダの幸せのために彼女を諦めた。友達のままでいい、と言った。その純粋な愛を感じたからこそ、エスメラルダは死の間際、二人が最も幸せに楽しく過ごした「世界の頂上で」という歌のメロディーに乗せて「なんて美しい朝なの あなたも美しいわ 世界の頂上で」と歌ったのだ。


 これで泣かなかったら相当無慈悲な人間だ。いや感性は人それぞれなので別に泣かなくても何も問題はないのだが、心が少しは動くと思う。


 主要人物四人のうち、三人が死ぬというとんでもない物語である。しかも生き残るのがフィーバスである。おそらくエスメラルダがカジモドを選んでいたらフロローはあそこまで狂気にとりつかれることはなかったはずだし、フロローを選んでいたらおそらく普通に素敵な家庭を築いていた。

 こじれにこじれた恋の相手が生き残ったという結末が、あまりにも生々しすぎる。けれど、現実とはそんなものなのだろう。

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