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大竹しのぶさん主演『ピアフ』を今さら振り返る

 大竹しのぶさん主演の『ピアフ』を観た。


 フランスで最も愛されたシャンソン歌手、と讃えられるエディット・ピアフの生涯を描いた舞台である。


 この舞台の存在を知ったとき、内容もエディット・ピアフのことすらも知らないのに、強く「これを観なかったら死ぬほど後悔する」と思い、気がついたらチケットを取っていた。しかも東京公演の。


 日程的に大阪公演(※京都在住のため)を観に行くのが難しかったのだ。反対に、東京公演は『キャッツ』を観に東京へ行く予定の時期だったため、迷いなくそちらを選んだ。

 結果、『ピアフ』は夜公演だから、昼は近くでやってる『アラジン』を観よう、それならその前日から東京入りして『恋におちたシェイクスピア』夜公演を観てホテルに泊まるか、と気がついたら二泊三日の観劇遠征になっていた。よくあることである。


 して、『ピアフ』。とんでもないものを観てしまったな、という気持ちである。


 大竹しのぶさんは本物の女優だった。序盤のエディットは若くバカな女に見えた。まず喋り方がバカだった。大竹しのぶさんといえば、あの少し鼻にかかった独特な声を思い出すのだが、序盤のエディットは若いのにおばあさんのようにわずかにしゃがれていて、しかしガーッと詰め寄ってくるように喋っていた。あの場には「大竹しのぶ」はいなくて、「エディット・ピアフ」がいた。


 ぞくっとした。怖かった。エディットはバカに見えるくらい、狂気じみていた。


 けれど序盤である。現実のエディット・ピアフの生涯を知っている人なら想像できるかもしれないが、彼女の生涯の後半の方が狂気にとりつかれても仕方がないと思える要素が多い。しかし序盤、エディット・ピアフがまだ街角の娼婦だった頃だ。その時期に、大竹しのぶさんの演じるエディットは怖いくらいに何か闇を抱えていた。


 劇団四季の『ハムレット』のDVDで、初めて野村怜子さんの狂気のオフィーリアを観たときと同じ怖さだった。本物の女優だ、と思った。


 劇中でエディットが男たちと関わり、歌手として成功していくにつれ、その狂気のようなものは薄れていき、女性として成熟していった。歌も序盤からどんどんうまくなっていく。公判で「水に流して」を歌うエディットは、耐えがたい苦しみを抱えながらも、その苦しみごと自分自身を、自分を愛してくれた人々を、心底から愛している優しい表情をしていた。


「過去は全部焼き捨てたわ 思い出にも用はないわ」


 落ち着いた深い声で、本当に柔和な微笑みで、エディットとしてそう歌った大竹しのぶさんが忘れられない。


 とんでもないものを観てしまった。エディット・ピアフ、その生涯が、日本の小さな劇場で鮮やかによみがえっていた。


 大竹しのぶさんの声はどうしてあれほどに魅力的なのだろう。エディット・ピアフの楽曲がよく合う声だった。あれから何度も、大竹しのぶさんがエディット・ピアフの楽曲をカヴァーしたアルバムを繰り返し聴いている。


 後日、通っているボイストレーニングの先生にもそのような話をしたら、数年前まで海外で歌を学んでいたその先生は、帰ってきて初めて大竹しのぶさんの歌う「愛の賛歌」を聴いて、日本にこんな歌のうまい人がいたのかと驚いたらしい。


 歌のうまさは正しい音程をなぞるだけでなく、いかに歌詞や曲に込められた想いを表現できるかだという。大竹しのぶさんの声や表現は、情熱的なエディット・ピアフのシャンソンによく合う。


 本当にいいものを観させてもらった。観なかったら絶対に後悔すると確信した過去の自分にお礼を言いたいくらいだ。


 これは私にとって観るべき舞台だった。

 観劇後、感動でボロボロ泣きながら、きらきらした夜の東京を歩き、冬の入り口の冷たい風で熱をもった頬を冷やした。

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