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小泉今日子さんとのトークイベント終了しました。

昨日(10月28日)、小泉今日子さんとのトークイベント、終了しました!

昨日のイベントでも話したように、今日子さんとは過去にインスタライブ2回(衆議院議員の小川淳也さんと、参議院議員の辻元清美さんと)、「ホントのコイズミさん」と、計3回もお話しているけれどもうちょっとお話してみたい。今日子さんの生きてきたことあれこれお尋ねしてみたいと思ってきて、私の新刊の「#遅フェミ」がひとりで生きてきた私のことを書いたから、途中ひとりではなかった時期もある(という「こと」が昨日何度か出てきたけど)今日子さんも現在はひとりで生きる、しかも15歳で決意して、16歳から働いてきた今日子さんだから、それを話してみたいなぁとイベントお願いしてみたのでした。

昨日も言ったし、「遅フェミ」にも書いたけど、私はひとりで生きてきていながら、ただ流されてきていて、なんというか、もう、私にはこれしかないから!とほんとうの意味で覚悟を決められたのは56歳にもなってからで、でも今日子さんは覚悟をとっくの大昔に決めてきたこととか、ああ、そうそう、そういう話がしたかったんだ、できてよかった。

昨日話をしながら、そうそう、あのイベントの2時間も前に私たちは会場には行ってて、本にサインをしながら、あれこれ話をしていて、(話ばかりして私はサインがのろくて、終わってからまた1時間近くかかってサインして、今日子さんはそれをずっと手伝ってくれたんだ!)で、その話をしてるときに、今日子さんが「プロとして」ということを何度も言ったのが印象的だった。そうなんだよね。プロ。仕事のプロ。私にはこの「プロとして」の意識が長いことずっと足りてなかったよなぁと改めて思う。昨日も話がああして進んだのって、今日子さんのプロとしての流れをさりげなく作るうまさだよなぁといっしょに話していた私は実感する。一見、私が聞いているようでいて、流れは今日子さんが作ってた。インタビュアーなら、それ気づくよねぇ。

そして、私がプロとして働くということを初めて考えたのは、実はコンビニでバイトしたことかもしれない、それまでプロとして働くことなんて考えられてなかったと思う。

ああ、私は本当に何も考えれないで生きてきたんだよねえ。しみじみ。だから、これからは少し考えて生きていきたいなぁと改めて思った。しかし、難しい。考える前に、どうしても、わっ!それいい!きゃあ!とかすぐ飛びついてしまうから。いやいや、あかんわぁ。。

プロとして、覚悟を決めて、16歳からずっと働いてきた今日子さん。しかし、決してその厳しさを人に押しつけたり、圧を醸し出したりしないのは、どうやって身に着けたのか。今日子さん、話せば話すほど、もっと話をしてみたくなる人だ~(あたりまえやな)。

https://303books.jp/hontonokoizumisan-wandering/

昨日も話した「ホントのコイズミさん wandering」に厚木の写真がいろいろ載っているの、それ、とてもいいんですわ。味わいがあるとかないとか、いや、そういうのはないのだが、だって厚木だしw でも、見ていて、「今日子さんの厚木」を訪ねてみたくなった。しかし、考えたら米軍基地があるよね、厚木。厚木で基地のこと、今日子さんと話がしてみたいな。でも厚木基地って実は綾瀬市にあるの? それもよく分かってないわ、私。私たちって、基地に無頓着に生きてるよねぇ。ちなみに私の故郷・沼津の近くの御殿場にも米軍基地がある。沼津にもドーンドーンという演習の音が響くぐらいです、ええ。厚木、今度ぶらってみたい。

エッセイ集「黄色いマンション 黒い猫」に、今日子さんが15歳にて決意する場面がある。昨日も一部紹介したけど、ほんとうにこの部分が好き。
「嵐が来ても決して家は飛ばないし、私の身体も心も消えないってそう思えた。周りにどんなに高いビルがどんどん建ってもこの家みたいに平然と普通の時間を刻むことがちゃんとできる」
(家、ってのは今日子さんが歌のレッスンに通っていた原宿の先生の家)
私、思うのだ。女性が多く、みんな、こんな風に思える日本の社会にしなきゃって。女性が多く、みんな、こんな風に思えたら、女性はもっともっと生きやすくなるし、政治に参画もできる。そういう社会を作らなきゃ。それを思うのだ。

昨日私が言いたかったのは、そこです、そこ、そこ。そこです。

昨日も今日子さん、随所に私たちを励まし、ハッとすること言ってたなぁと思い出す。私たち、みんなで励まし合い、がんばっていこうね。

しかし、やはり、あたりまえだが、今日子さんの声っていいよねええ。ほんと。

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