じきに死ぬ世界線での私達のはなし

昨日寝る前に、江國香織の『ウエハースの椅子』を読んだから、今朝あんな夢をみたのかもしれない。

夢の中で、私は、じきに死ぬことが決まっていた。スッと死ぬのではなくて、死ぬ病気になることが決まっている。いつ発症するかは人それぞれで、発症したら治すことはできない。私は、まだだった。

同じように、病気になることが決まっている友人たちと、定期的に会っていた。会館のようであり、銭湯のようなところで、私達は久しぶりに再開した。ここでは玄関で靴を脱がなくてはいけない。私は、前に一緒にここに来たことがある男の子の靴を、代わりに靴箱にしまおうと思って、彼の手に触れた。触れたら、彼の指は、まるで骨がないみたいに、反対方向にぐにゃりと曲がった。会わないうちに、彼は発症したのだ。しかも、病状はかなり進行している。私がそれを目撃したことに、彼が気づかなかったはずはないが、彼はいつもどおり笑って、「ありがとう」と言った。指は曲がったままだった。私は何も言わず、先に進む彼の後を追った。自然に振る舞えていただろうか、ショックな顔を隠しきれただろうかと考えながら。

その場に集まった中で、発症しているのは、彼だけではなかった。私は、彼に必要な小さな動作を代わり全部請け負った。気のいい彼が発症する前に受けてきた、数々の親切と同じ類のもののように、彼の目に映りますようにと願った。

しかし、願ったほどにはうまくできていなかったのだろう。みんなで温泉に浸かっていると、発病している女の子が言った。「優しく接したりして、興味があるふりをするの、やめなよ。あんたもすぐ死ぬのに。」自分のことを考えろ、と彼女は言った。最もだと思った。私が私のために使える時間は残り少ない。できるだけのことはするべきだ。それが結果的になににもならなかったとしても。でも私の口から出てきたのは、そういう言葉ではなかった。

「自分のことで死ぬほど悩んだうえで、更に1つ2つ、他の人のことを悩んでしまうんです。」私はそう言った。これは正確な答えだった、と私は思った。彼女を見ると、泣きじゃくっていた。「本当にそれでいいの?」と泣きながら繰り返していた。私は、しょうがないんだよ、しょうがないんだ、と彼女を宥めながら、この人は私の代わりに泣いているのだろうか、と思って、目が覚めた。

良いとか悪いではない。しょうがないんだと思う。目が覚めてからしばらく、白い天井を見つめて、しょうがないんだよと言った、自分の声を反芻していた。


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