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第27回(最終話) 君、音、朝方、etc 【私的小説】

待つことなく
過ぎ行く日々
しるしみたいな香り。

「私の部屋には、ギターケースがある。肝心のギターはない。それは私が重要で大切に思う人が今は持っている。とてつもなく憂うつな時に黒いケースを触ります。そうすると歌が聞こえるんです、不思議なことに。思い出でもあり、未来の思い出でもあります」

「未来の思い出」と彼は言う。

 私たちはコーヒーを飲んでいる。
「ケースには何もありません。けど、何もないことなんてありえもしません」
「持ち主は今どこにいるんですか?」
「分かりません。だけど歌は届きます、人を超えて時間を超えて、きっと」
「確信されているんですね」
「そんな、」と私は言う。
「迷ってばかりです、私は。だけど、そのことだけは私の信じられることです。どこかでつながっていることは」

「過去の自分とも」とハナツさんは言う。

「そうです。私の言葉が、存在が溶けて消えてしまってもいいんです。私は色んな事を見てきたし、色んな人の中にいたし、」
 次の言葉が、私には見つけられずにいる。

 時間が経っていく。
 ハナツさんは言う。
「今度は僕が大切にしている物について、お話しします」
 音楽が鳴っている。優しく鼓膜を震わせる。
 とても知っているような、だけど初めて耳にするメロディー。

「君は大丈夫、」とハナツさんは言う。
「僕が言うんだから、大丈夫だよ」
 言葉に甘えて私も言う。
「ハナツさんも大丈夫です」
「今日これから何をしようかな」
 彼は笑っている。
「何でも」
 言葉は続かない。私は前を見る。
 どこにもいけない。誰も私を助けてはくれないと思っていた。

 
 雪がどこかで降っている。触れる。ただ、触ればいい。
 冷たさと温かさを身体に感じる。

 目を瞑り、開けた。決められたセリフのようだ。
 私は言う。陳腐で、当たり前で、だけど新しく思えるその言葉を。
「今を生きてます、これからも絶対」
 何一つ、置き去りにしない表情。
「わかっている」と彼は言う。
 声を自然に信じられた。

 
 どこか空虚だけど、今は満ち足りた気持ちでいる。
 私は伝える。
 どう言っていいかも分からないその言葉を、
 誰に言うでもなく声に出す。
 
 遠ざかる背中に、胸の中にいる人に、いつか遊んだ友に、上手くいかなかった全ての思い出に、今も歌う彼に、その歌をかき消さないように、私は細心の注意とありったけの勇気で声に出す。
 
「また会う日まで」(終)

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