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『ある行旅死亡人の物語』(武田惇志/伊藤亜衣 毎日新聞出版)

わたしには、アルバムがない。2019年10月に起きたある出来事が原因で、住む家や持ち物の大半を失った。泥にまみれ水浸しとなったアルバム達を、復活させる方法もあることをインターネットで調べて知ったが、ほぼ一人でこなさなければならない事の多さの前に、「処分する」という選択肢しか疲労した頭には浮かばなかった。

幼い頃から家にも学校にも居場所がなく、友人と呼べる相手もほとんどおらず、かろうじて付き合いがあった人達とも疎遠となった。そういった状況下で、わたしの写真を所有している人間はほとんどいないだろう。もしいたとしても、学生時代の卒業アルバムが関の山だ。現在は、インターネットの世界にしか友人と呼べる相手はいない。

そんなわたしにとって、この一冊を手に取りながら浮かんだのは、「もしこの先わたしに何があったなら、誰がわたしという人間の痕跡を探してくれるのだろう」という痛みだった。

はじまりは、たった数行の死亡記事だった。2020年4月、兵庫県尼崎市にあるアパートで1人の女性の孤独死が発見された。遺されたのは、現金3400万円、星型のマークのペンダント、数十枚に及ぶ写真、珍しい姓が刻まれた印鑑などだ。

その女性の謎に目をつけたのが、共同通信社に所属する記者・武田惇志。さらに、それに手を貸すこととなったのが同僚である記者・伊藤亜衣の両名である。

なお、行旅死亡人とは病気や行き倒れ、自殺等で亡くなり、名前や住所など身元が判明せず、引き取り人不明の死者を表す法律用語を指す。行旅病人及行旅死亡人取扱法により、死亡場所を管轄する自治体が火葬を行う。死亡人の身体的特徴や発見時の状況、所持品などを官報に公告し、引き取り手を待つこととなる。

かつて女性が住んでいたアパートやその大家を訪ね、必死に関わりがあった人物を探し、一つ一つ情報を調べ上げ、やがて警察も探偵もたどり着けなかった真実へ記者二人は食らいついていくのだ。その執念と根性、「諦めない」という強さ、それらに打たれながらも、わたしの中にはただ一つの疑問が浮かんでは消えた。

彼女は、はたして幸せだったのだろうか。幸せだと感じられた瞬間と、人生のなかで、どれだけ巡り会えていたのだろう。文章を通して知り得た誰かの人生に対して、第三者が思いを寄せることは出過ぎた真似なのかもしれないが、少しでも「幸せ」だと感じられる時間が彼女の中に降り積もっていたことを、ただ願う。



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